昔が良かった。

古き良き時代というけれど。クルマ好きにとって、60年代、70年代は希望があった。

赤川鉄橋

2013-08-23 18:10:18 | その他

今日、自転車通勤にしたのは、ここに寄りみちしたかったから。


大阪市内、毛馬の閘門から、淀川堤防を上っていくと、見えました。
鉄道ファンならおなじみの、
赤川鉄橋(城東貨物線)
 その昔は、こんな白い色じゃなく、少し黒ずんだ赤色か、赤錆色だったような気がするのですが、どなたか確かな記憶のある方いませんか?

赤川鉄橋をはじめて渡ったのは、高校2年か3年のときだったと思う。
当時、寝屋川の淀川沿いの高専に通っていた私は、高校資格で国体に出たくて、高体連の理事にかけあったが、敵が増えるのを嫌ったその城Oの先生に、はねつけられて、当時出来たばかりの、ZUNOWレーシングに入っていた。高校生なのに実業団からの一般参加だ。おかげで、国体は、補欠以上にはなれず、悔しい思いをしていた。
一度だけ、空きの出来た、全日本の大阪代表になることが出来た。しかしながら、補欠上がりの身分、スクラッチが好きなのに、出場させてもらった競技は、スクラッチと、生まれて初めて走る4000m個人追い抜き。ありえない組み合わせだ。おまけに、鈴鹿サーキット120キロのロードレースまで。

そのころのZUNOWレーシングの練習会で、走ったのが、この赤川鉄橋だ。
ZUNOWといえば、大阪の旭区に店があり、とうぜん、大阪北東部での練習が多かった。堺に住んでいた私は、個人練習が多くて、ほとんど、シマノの連中と、競輪選手と、堺の臨海道路でのスプリントのもがき練習だった。
たまに参加する、ZUNOWのロード練習は、距離的には、私にとってハードだったが、無茶な走りをする仲間との練習は、それなりに楽しかった。
16~7歳のころ、2つほど年上の中川氏の先導でのロード練習会。そのZUNOWレーシングの練習会で走ったのが、まだ枕木路面で、自転車で走ると、コトコトと動いていた、恐怖の赤川鉄橋なのだ。あの、少し隙間のある、そして滑りやすい枕木路面の鉄橋を走るスリルは、今思い出しても金玉がずり上がる。

私が今、普段使っているロードは、NAKAGAWAのクロモリだが、このモデルを使う理由は、ビルダーの中川氏が、ZUNOWレーシング時代の仲間だからである。 ヤフオクで、中古で手に入れたフレームを、ナカガワに持ち込み、昔のよしみで、フレームを完全リビルト、126→130の変更してもらって、プロミネンスは、Cレコモデルから、8Sモデルに変身、その後さらに変身して、最終9Sモデルへと。
昔から、自分のフレームは自分で設計し、フレーム製作だけ、信頼できるビルダーに依頼し、組み上げは自分でして来た私。首吊りの、一般市販品の外車などには目もくれない。
市販品では満足できないから、わざわざフレームオーダーする選手は、販売店についているのではない。ビルダーの腕に信頼を寄せているのだ。

車も、自転車も同じですね。

40年以上前に、中川氏の先導で初めて渡った赤川鉄橋。

 いま、その中川氏のリビルトしてくれたフレームに、私なりにパーツをチョイスして組み上げたロードレーサー「ナカガワプロミネンス」で渡る赤川鉄橋。走る方向は当時と反対向きだが、もう、この秋以降は走れないと思うと、。。。。。

 

 
ことし、10月限りで、橋を渡れなくなります。



 
下流側にも、上流側にも、ワンドがあるところです。

 
その昔、枕木そのものを並べてあった路面ですが、今は千鳥模様の鉄板です。
枕木時代は、コトコトと、枕木が動いて音立てて、自転車でわたるのはすごく怖かったのお覚えています。


渡りきった、北側の堤防には、踏切が。
鳥飼大橋から、長柄橋への信号の少ない、堤防沿いの裏道だ。


上流に見える、今後の迂回路となる、菅原城北大橋(城北の100円橋)

 

 

 


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