ブルゴーニュにうってつけの日/ANGEL'S SHARE

世の中にワインと称するお酒は数あれど
やっぱりブルゴーニュに勝る銘醸地は無しと
思うワイン日記

清瀬一郎/「秘録東京裁判」

2005年05月30日 | Weblog
東京裁判時の東条英機の主任弁護士だった人物の回想録。東京裁判に関わる本には必ず参照にされている
本。最近またそぞろ反日報道が連日されている。中国政府の主張は前の大戦は一部の軍国主義者が引き起こしたもので一般の日本人も被害者である。その一部の軍国主義者が東京裁判のA級戦犯でありとくに死刑になった7人こそが張本人達であると、その戦争犯罪人が祭られている施設を国の首長が参拝にいくとは何事かということだが、少し歴史を紐解けばこの主張には単純に納得できない。そもそも極東国際軍事裁判とはなんだったのか?日本は無条件降伏したのか、ポツダム宣言を受諾するという条件付降伏をしたのか。戦争責任とは何か、誰が誰に負うべきものか。日本は防衛問題のみならずこういうところも結果に寄りかかり戦後ずっと曖昧にされてきていることは周知の事実である。いままではなんとかそれでも支障がなかったが、それではもうもたない時が来ているのかもしれない。敗戦を境にして日本の体制、文化,社会、精神は大きく変貌せざるを得なかった。もちろんすべてが変ったわけではないが、敗戦の日を境に何かが立ち切られている思いがするのは何も戦中派だけのノスタルジーではないだろうと思う。中国語が公用語みたいな夜の歌舞伎町で若い中国人留学生が作ったラーメン啜りながら自分はいま一体何処にいるのだろうと思う。
totoGOAL3を三週連続とはいかなかったが、替りにみずほのATMで調べたらLOTO6が久しぶりにフムフムまあいいかなという感じで当っていた

「ペルソナ」/猪瀬直樹「三島由紀夫と私」

2005年05月29日 | Weblog
山手の文学館での講演、本日の猪瀬直樹氏の講演は人気なのか補助席まで用意されていた。どんな話になるのかなと思ったら、いきなり地震の話、なんでも有名な民間の地震予知研究者が5月末から6月にかけて房総半島で地震が来ると予測しているらしくてテレビ局の方から携帯を切らない様に言われているなんて話を笑いながら喋っていた。そのあとは道路公団とハマコーの悪口をひとくさり、一体いつになったら三島の話になるのかなと思ってたが結局1時間半の予定時間を若干オーバーするほどの熱弁だった。内容は自身の著書「ペルソナ」に書いてある内容にほぼ沿った話だった。ひとつ面白かったのは、10年前三島のことを調べるなかで大正から昭和にかけての官僚をしらべたことがその次の「日本国の研究」につながりそれがきっかけで
小泉と知り合いになり、道路公団改革に関わるようになったという話。原点は平岡家の親子三代に渡る官僚
一家の成り立ちを調べたことにあったと言う事だった。猪瀬というひとは小柄なひとで疲れているのか肥りすぎなのかぜいぜい荒い息をしながらの講演だった。
ペルソナ―三島由紀夫伝

「マイクハマ-へ伝言」/矢作俊彦

2005年05月28日 | Weblog
品川駅構内の本屋で矢作俊彦の本が平積になっていたので「マイクハマー」と「リンゴォキッドの休日」の2冊を買って読む。昔高校生の頃、学校の国語の教師が授業の中で大友克洋の漫画は面白いという話をした。確か「ヘンゼルとグレーテル」の単行本だったと思うが、クラスの中でその本を持っている奴がいて借りて読んだ。それからしばらく大友の本を読み漁った。AKIRAはヤンマガ連載中だったのかなぁ、覚えていない。そのとき一番面白かったのが「童夢」なんかよりは「気分はもう戦争」だった。この原作が矢作俊彦だった。それ以来、矢作の本はチラ見はしていたが、ちゃんと通しで読んだのは今回が初めて。舞台が元町、本牧、京浜地区と馴染み深い場所なので親しみが沸く。でもこの本のなかの横浜は今はもう無い。元町の裏道や寿町あたりは今も変わらないが中華街周辺や本牧にその面影はなくなっている。横浜が舞台ということなら加山雄三、藤竜也主演の「大追跡」というTVドラマがすごく好きだった。いまでもCSでときどき再放送しているが、ああいう雰囲気のドラマってのは今どうして無くなっちゃんたんだろう。監督やプロデュサー、脚本が揃わないんだろうね。懐かしい気分ということで夜チネチッタで本日公開の「Zガンダム」を観る。劇場は一杯だった。ガンダム世代というのか結構大人ばかりで席は一杯だった。みんなガンオタきもいとかなんとかいってもやっぱり好きなんだねぇ。20年前のTVシリーズを大画面で見るのは不思議な体験、再放送やビデオで何度くり返し見てたからストーリーもセリフもGacktじゃないけど殆ど記憶に残っているけど、こう改めて新作取り直しの部分を含めてみるとオリジナルと劇場版はセリフに全て手を加えているのが判る。3部作なので、あと2部作られるが3部めはストーリーを大幅に修正しているらしいので楽しみ。でもどうせ作りなおすのなら“ディジェ”だけは止めて欲しい。本放送時、かつてヒーローがいくらなんでも“ディジェ”は無いだろうと思ったものなぁ。ホント、“ディジェ゛が変更になっていたらそれだけで満足だよ。あと芸能界一のガンオタのGacktの曲はなかなかイイ感じ。そのプロモの中ではガンオタぶり爆発してるけど。

Kirin cup 日本 VS UAE

2005年05月27日 | Weblog
国立から帰宅してビデオ録画を観てる。今年一番の悲惨な試合。アウェイのゴール裏で見ていたが後半は風邪引いてシンドイせいもあるが声援もせず立って腕組みしたまま試合経過を眺めていただけだった。ジーコの采配云々は最早言っても仕方が無いが、今日も折角の大黒様を全く活かせない。CFに大黒が入って相手DFと駆け引きしていたが鈴木とポジショニングが逆だと思う。大黒はアシストもできるのだからDFラインには鈴木が入ってポストプレーをし、大黒がサイドにやや開きぎみにポジションニングして、時には下がってボールを受けに行くとかした方が良いと思う。前半鈴木が下がってボールを受けていたがもともと下手なんで全く前を向けない。失点は無い方が良いが点は相手より多く取れば良いのである。トルシエのほうがまだ日本の特質を良く掴んでいたように思う。とにかく日本はゴール前でボールタッチが多すぎてシュートまで時間を掛けすぎる。もっとシンプルに攻撃を組み立てれないものか。とにかくプレーが遅い。もっとダイレクトに繋いでシュートの形にしなければ絶対に点が取れない。サイド攻撃も研究されている、時にはドリブルで中央突破図るとかしていかないと怖さが無い。小笠原はこれで先発失格だろう。もうナカタは代表には要らんと思っていたが、小笠原がこの体たらくでは俊輔のバックアップにはまだまだナカタが必要だ。バーレーン戦まで1週間しかないのに非常に不安。勝点3は難しいかもしれない、せめて引き分けにはしてくれ。でもこんなチームでドイツにいってもまず予選は突破できないだろう。ジーコのサッカーはすべてが古すぎる。バーレーンに負けたらまず2位は無理、3位決定戦に廻るだろう。北朝鮮戦が終わって2位が無理なのが確定していたら即ジーコは解任、川渕は辞任すべきである。そこからでもまだ立て直しできるしドイツ行きの可能性はあるのだから。

Kirincup 日本VSペルー

2005年05月22日 | Weblog
横浜野田岩へ行こうかなと思ったが日曜は休みなので高島屋内の野田岩へ半年ぶりに行く。重ねと生ビール冷酒を注文。天然鰻もあったがそこまではと自重。サッカーがあるので食べたら速攻に帰宅。試合はグタグタの内容、玉田先発の時点で予想はされていた事。もうジーコの選手起用が変なのは皆の理解の限度を越えている、文句を言う気分にもならない。いまだJでノーゴールのFWが先発で得点王が控えっていう選択をどうやって国民に理解せよと川渕はいうのだろう。中継するテレビ局側もその辺の事は反映していて前半から控えの大黒を撮っていた。高原がけがしたのを新聞はピンチと書いていたがこれは大チャンス、ジーコは相変わらずツキがある。ついでに玉田もけがすればもうジーコも大黒先発で行かざるを得ない。素人が見たって大黒と他のFWの動きが違うのは明らか、今日は前線でタメが作れず攻撃が単調でシュートチャンスがなかったが俊輔と小野が合流すれば改善されるはず。いっそ後半のフォーメーション取った大黒のワントップでシャドウに俊輔と本山がイイかもしれない。このままではバーレーン戦は厳しいなぁ。UAE戦はアウェイ側のゴール裏しかチケット取れなかったが国立へ応援に行こう。

totoGOAL3を2週連続GET

2005年05月21日 | Weblog
お台場を少し散歩、修学旅行生の多さにうんざりしたので家に帰ってテレビで女子サッカーやら女子ゴルフを観戦。途中、MXテレビでナビスコ杯もチラ見、他会場の結果が出たのであれっと思うと終了した2試合は全部当っていた。目の前東京ー千葉戦がそのまま0-1なら1等じゃんということで最後までドキドキしながら観た。FC東京に点が入ると2等もパアになる可能性大なのでオシム頑張れと千葉を応援、結果そのまま終了。配当が幾らになるのか楽しみだ。前回は11万もあったが今回は半分以下かな。でも給料日前なので二,三万でもあれば助かる。明日は野田岩の特上で祝杯挙げよう。~と思ったら配当が意外と多くて払い戻しが信金行きになった。800円の投資で147倍ついたからちょっとした稼ぎになった。これは特上から大串にランクUPだね。ワインもひさしぶりイイのが買える。くじで10万以上GETしたのは10年ぶりぐらいそろそろLOTO6でも当らんかなぁ

GREEN POINT NV/Moet&Chandon~第二十七章

2005年05月20日 | ワイン
ワイン日記で始めたのに最近ご無沙汰気味。暑くなってきたので口の中がさっぱりするモノが飲みたい。
コンビニのパイナップル味の酎-ハイばかり飲むのも飽きたのでモエがオーストリアで作るシャンパン方式のスパークリングを買って飲んでみる。モエって好みではないが何時でも何処でも同じ味を維持しているので
ある意味安心して飲める。今週は色々気になる店を再訪してみた。まず南千住の「尾花」、平日なのに店の外まで人が並んでいた。今回は真中の値段を注文、30分ほど待って出てきた鰻重はご飯アツアツ鰻フワフワ、鰻も肉厚でこの前より美味しかった。いろいろ毀誉褒貶あるがやはりたまには来たい店だと思う。大井の「ブルドック」も再訪、ステーキランチを注文、えらいボリュームのサラダ付、でもステーキもイケルと思った店は新潟にある同名店と勘違いだった。ここはやはりメンチとかオムライスとかざっかけな洋食がウリの店だと思う。布恒にも昼夜となく通う。いろいろ試したがこの店はまずは府中誉を冷で一杯、ごぼうの天ヌキかアナゴ蒸しをツマミで頂き、〆は暑いときはもり冬場はかけがベストな組み合わせと結論付けた。夜、グリーンポイントを飲みながらTVのリモコンをアチコチ、藤原紀香のドラマを観る。彼女がダイエットにいそしんで臨んだ渾身のドラマらしい。ノリカ本人は知らないけど親父のほうは仕事上で良く知っている。ノリカは親父似だと思う、身長が高く作りががっちりしているところなんかは完全に親父のDNAを受け継いでいるんだなぁこれが。彼女自身はとっくに旬を過ぎてるなんて最近は評価はイマイチ。今、モデル出身なら一番の出世頭が小雪、つぎは米倉涼子、イマイチブレイクしそうでしないのが伊藤美咲、長谷川理恵、ある意味大ブレイクが梨花、よくCMで見るのがSHIHO、山田優。彼女らから見れば最早過去の人になりつつあるんですかねぇ。本人に実際会うとスッゴイBodyスタイルで圧倒されるらしいけどね。

大井「キッチンブルドック」

2005年05月18日 | Weblog
店名がキッチンブルドックとは「包丁人味平」の世界だ。グルメ漫画の元祖の様なこの漫画、幼い頃、連載中も単行本でもよく読んだものだ。味平カレーの真似をして母親の作ったカレーに醤油入れて一晩寝かして食ったらボンカレーみたいな味がして結構旨かった事を思い出す。主人公の味平が最初に働いていた洋食屋の名前がキッチンブルドック、ここから物語は始まり最後もここの店でのエピソード終る。その漫画に肖ったのか全く関係ないのか知らないが大井ではそれなりに有名店らしい。場所は大井町の駅降りてすぐの、東京にもこんなとこが残っているいるんだねぇというくらい狭い路地の横丁の一角にある。お昼時は人で一杯、名物は草鞋のようなメンチカツ、ステーキも結構いけるらしい。とりあえずメンチのサービス定食を注文、何故かおでん付き。値段のわりにはボリュームがあってメンチもまあイケル。損の無い味、今度はステーキを試してみよう。店内はお世辞にも清潔感があるとは言えないけどね。

ウッディアレン/「さよなら、さよならハリウッド」

2005年05月17日 | Weblog
都心では恵比寿ガーデンシネマのみの上映。「虎の門」で井筒がめずらしく誉めてた。ウッディアレンの映画を久しぶりに観た。いつものウッディアレン節炸裂、英語が判らないとギャグの面白さも半分かな。
ウッディアレンって女優をかわいく撮る監督だと思う。どちらかというと「マンハッタン」とか「アニ-ホール」よりも若い頃のスラップスティクな映画「バナナ」とか「SEXのすべて」とかの方が好み。この映画も面白いけど爆笑という感じではないが、femaleなんかよりはお金払う価値はある。

辻井喬「三島由紀夫と私」

2005年05月16日 | Weblog
日曜日の午後は山手の神奈川近代文学館に堤清二の講演を聴きに出掛けた。入場料千円で220人の定員満杯だった。ここも又オバサン軍団と後は老夫婦づればっかり。若者はゼロ。これゃ本が売れなくて出版社が苦労する訳だ。平均年齢は60~70才ぐらいだろうか。三島が生きていれば80才、堤が77才だから丁度同世代か少し下で文学がまだ世間への影響力を持っていた時代に育った人達だ。堤清二は三島氏とは詩人、作家として20年くらいの交流があったと語っていた。講演の冒頭は21世紀初頭の現在の日本は三島が予言したとおりの無機質でニュートラルでからっぽの姿になってしまったと憂い、特に政府の戦略なき外交政策をなじっていた。そしていま何故三島かという問いかけにはいまこそイデオロギーの右側でも左側でもなく文学的見地から三島の思想、理念、美学を再検討する価値があると。あの事件のとき大人であった人なら必ず思いだす、自分が何処にいて何をしていたかというお決まりの話から、故人と交流のいろんなエピソードを交えた1時間半の講演だった。盾の会の制服制作に纏わる話とか通夜の時に父親の梓氏にその制服のことでぼやかれた話とかは過去にいろんな所に発表している事なので既に知っていたエピソードだったが、事件の1週間まえにさしたる用事もなく呼び出されて酒を飲んだがそれが彼からのさりげないお別れの挨拶で自分はうかつにもなにも感じ取れず、そして後に知ったことだがその日は自分と別れた後どこかのホテルに集まって決起趣意書を認める日だったという話を披瀝していた。堤清二というひとはおっとりとしたしゃべりでとてもピストル堤の後継者という雰囲気ではなくやはり文士っぽくて、こりゃ西武百貨店の経営に失敗するのも成る程とうなずけた。講演の中でも出てた馬込の三島邸のことが気になって今はどうなっているのだろうかとミーハーよろしく尋ねてみた。場所自体は今は便利な時代なので調べようと思えばすぐ判る。しかも良く考えれば大森には布恒や野田岩があるから始終行ってるのに今まで行ってみることを思いつかなかった。馬込の辺りは大森駅にあった看板によると大正年間に多くの文士や画家が移り住んで文士村を形成していたとある。ここに家を建てたのはそういうのも影響したのだろうか、行ってみると馬込の付近は坂が多く道幅も狭くてさして良い住環境とは思えない。三島邸は駅からの距離も遠くて環七から少し入ったホンとに住宅街の中にひっそりとある。このロココ風の家は清水建設の設計施工で後年篠山紀信が「三島由紀夫の家」という家の写真集を出版したぐらい有名な建物。臼田坂の途中で少し細い道を曲がるとその家はある。思ったより小さいとよくその印象が書かれているように確かに大邸宅ではない。壁が高いので中はよく見えないが敷地もさしては広くない。表札にはいまも三島由紀夫の表札が掲げてある。敷地内の別棟には両親の住む日本家屋があるはずだが今は表札の姓が違う。もちろん両親、そして未亡人も亡くなっているがひょとしたら娘さんが結婚して住んでるのかもしれないなと思った。でも生前はこの家で外国からのお客や文学者仲間を呼んで派手なパーティーを良くしてたらしいが場所的にはこんなとこでねェという感じだ。もちろん1960年代のことだから現在のバブリーな東京とは様相が大分違うだろうけど、流行作家の華麗なる生活という雰囲気は家の周辺からは感じられなかった。


female/長谷川京子他/toto3

2005年05月14日 | Weblog
CINECITTAで初日、5作品からなるオムニバス映画、ハセキョ-版は中学生3年の女の子が担任教師とヤリまくる話当然ながら中学生時代のハセキョ-は別の役者。ハセキョ-はどちらかというとムッチリ、代役はスリムって繋がり感がないじゃん。ちっとは高岡早紀を見習え。使い方が中途ハンパだ。でも高岡早紀も大御所石田えりには負けてる。映画としては大塚寧々が出ていた作品がなかなか面白かった。でもfemaleというより少年の性の目覚めがテーマだからちょっとずれてる感じ。冒頭とエンディングのダンスは意味不明、まぁお金出すのが勿体無い映画だった。帰ってきてスーパーサッカー見てたらtoto3が2等当選してた。
でも配当は3200円ぐらい、800円使ったからちょっとだけプラス。新潟が2点取るなんてのは想定外。

砂の上の植物群/常盤貴子~Flora auf sand/Paul Klee

2005年05月13日 | Weblog
「砂の上の植物群」と聞いて思いつくのは吉行淳之介の小説、パウル・クレーの絵をモチーフにした作品で、
内容を忘れてしまったが、高校生の頃好んで何度か読んでいた。同じ題名のこの芝居は内容について予備知識全く無しで新宿シアターアップルに見に行った。ハナキンなので満員、観客の七割は女性だった。常盤貴子と筒井道隆が売りの芝居だが、二人ともあまり冴えた役ではなかった。常盤貴子は舞台慣れしていなくて滑舌が悪く2,3回セリフをとちっていた。筒井は王様のレストランまんま。常盤ちゃんの見せ所は最後に渡辺いっけいにレイプされそうになって服を脱がされ下着姿で押し倒される場面、でも女性が多いせいかオォーという雰囲気はゼロ。むしろ渡辺いっけい、温水洋一等がはじけた演技をやっていた。脇の女優人もなかなかイイ人選だった。なかでも舞台でパンツ脱ぐ熱演するのが西尾まりでどっかで見た顔だなあと思ったら、昔子役で田村正和のドラマ「うちの子に限って」とか「パパはニュースキャスター」なんかに良く出てた女の子だった。いつのまにかおとなの女になっていたんだねぇ。舞台自体はまあまあかな。結構みんな笑ってたけどギャグにはあまり笑えなった。航空機事故の補償とか日本が巻き込まれる正体不明の戦乱とかJRの事故があったり北朝鮮の空爆計画のニュースがあったりでタイムリーな所があったのは偶然とはいえ旬な感じで生々しい。

ゴッホ/カッサンドル/里見宗次

2005年05月12日 | Weblog
日本人のゴッホ好きは異常だね。連休も終わり平日だからそろそろ空いているだろうとゴッホ展に行ったら相変わらず長蛇の列、入場まで約50分待ち。一体2ヶ月の公開期間に何十万人来るの?主力はオバちゃんと修学旅行生。オバちゃん連中と狂気の天才ゴッホとどう結びつくのか理解し難い。「ひまわり」こそ1点も出展されていないけど時代を追ってこれだけのゴッホ作品が見れるはやはり貴重な体験。やはりアルル時代の作品、「種を蒔く人」「黄色い家」「夜空のカフェテラス」の三点はイイナアと思った。特に「夜空のカフェテラス」に強く惹かれた。ゴーギャンとのケンカ別れ、耳切り事件を経て段々精神が病んでいく様もその絵のタッチにあらわされているのがなんとなく判る。死の2,3週間前の作品をまじかで見るとペイントナイフの使い方が雑なような気がして、集中力の欠如があるように思う、写真で見てるだけではわからない事だ。1時間半程掛けてじっくり見て外にでたら行列は全然減ってなかった。翌日今度は上野の東京都美術館にアールデコ展を見に行った。こちらもオバちゃんと修学旅行生ばかり、でもこちらは空いていて余裕で観覧できた。ラリック、カルティエ、マッキントッシュ、マリーローランサン、マンレイ、宝石、ガラス工芸,
家具、絵画、写真、ポスター、洋服、建築etc、アールデコ様式をこれだけ纏まった形で展示されるのは初めてということでゴッホ展よりもこちらの方が好み。特に惹かれたのはカッサンドルの一連のポスター群
「北方急行」「ノルマンディー号」等とても格好イイ、でもこれらの作品はなにかの折にみたことがあったけど日本人でこの時期国際的に活躍したグラフィックデザイナー里見宗次のことは新しい発見だった。明治生まれで91才まで長生きした方で多摩美の教授だった事もある。今回出展されてたのは今ナにかと問題の国鉄の戦前のポスター、なんでも1937年のパリ万国博覧会でこのポスターが名誉賞と金杯を受賞したとのこと。このとてもカッコイイポスターにすっかり心奪われてしまった。思わず売店でこのポスターのコピーを買い求めて部屋の壁に貼って眺めている。1937年といえば昭和12年、前年には226事件、日中開戦と軍靴の足音が聞こえ出した頃だが、このポスターを眺めていると本当のところはどんな時代の空気だったのだろうかと改めて思う。

大江健三郎著『さようなら、私の本よ!』

2005年05月11日 | Weblog
久しぶりに大江健三郎を読んでみた。といっても「群像」に連載中の『さようなら、私の本よ!』 の第2部。この人、ノーベル賞取ったあともう小説は書かないとか言っていたはずなのにその後も結構本を出している。とくに最近憲法改正の動きに反対する政治的活動が目立っている。このひとほ戦後民主主義の信奉者で護憲、反戦、反核の姿勢は一貫しているがダイナマイトの発明で出来たノーベル賞は貰っても天皇からもらう文化勲章は貰わないというわけの判らない態度で世間の良識ある人からは蛇蝎のように嫌われている。最近のは読んでないから知らないが文学的な面ではやはり才能溢れる日本を代表する作家だと思う。特に題名のつけ方は秀逸で若い頃の短編には面白いものが多い。高校生の頃は熱心な読者だった。
でも政治的な姿勢にはずっと違和感がある。本人は意外とひょうきんで電波少年に出ていたのを見た事がある。まだ連載中の作品を手に取ったのは三島由紀夫をトリックスター「ミシマ」として登場さしてあるからだ。昔から政治的には正反対に立つ二人はお互い悪口言い合っていたが、今憲法改正が現実的な政治スケジュール上っている昨今、ある意味憲法改正の象徴のような三島に関する特集がいろんな雑誌で組まれ中で、危機感を募らせている大江がどういう形でミシマを取り上げるのかに興味があった。大江は前もどの作品だったかで三島の首切り写真のことを小説の題材にしていた。この作品で本心かどうかは完結いない小説なのでわからないが、ミシマの行動を10年早すぎたとして自決せず逮捕されて監獄で10年すごして娑婆にでれば80年代の象徴になり得たと登場人物にひとり語らしている。主人公は大江の分身で最近作ではずっと出ている長江古義人で二部のなかでは右翼からの攻撃で絶版になっている「セブンテーン」の第2部“政治少年死す”を発表したときにミシマから作品を激賞する手紙が届いた秘話を明かしている。この作品は深沢七郎の「風流夢譚」事件のおかげでながらく幻の作品になっていたが、昨年ある雑誌が「風流夢譚」とこの作品をのっけていまでは普通に読める。「風流夢譚」も今読むと内容も特段どっうてことない。作品としても不出来。これで人一人が刺殺されたのは不幸としか言いようが無い。イデオロギーも流行のファッションと同じで時が過ぎれば陳腐化するという事かな。

築地 布恒更科

2005年05月10日 | Weblog
都内をうろうろしていたら築地本願寺の近くで布恒更科の看板を発見、丁度、お昼どきなので暖簾をくぐってみる。誰もいない。あれれと思ったがそのまま席へ。メニューは若干大森との違いはあるがほぼ同じ。
あとでしらべると大森が本家でここ最近息子夫婦が出した店らしい。本家になかったメニューのすだちかけというのを頼む。かけに輪切りのすだちが載っている。蕎麦の味はほぼ同じ。スダチの香りはいいけど時間が経つと汁に皮のえぐみがでてしまう。すだちはわが故郷の味だが、そばにあう柑橘系としては柚子にまさるものないと思った。しかし布恒の蕎麦を食べて長い休みで田舎ボケしてたのが少し戻った。