偏平足

里山の石神・石仏探訪

石仏番外 山の石造物・石尊信仰

2016年04月28日 | 登山

ブログ「偏平足」から、神奈川県丹沢の大山の石仏案内と、〝石尊信仰の山と石仏〟をテーマとしたものをまとめました。


【はじめに】 山の雑誌の情報をもとに、房総の嶺岡浅間の石造物を訪ねたのは昭和58年でした。山頂の富士信仰の浅間山石祠はすぐわかったものの、中腹の天狗面が納められた石祠を探し出すのには苦労した記憶があります。その天狗面の正体を知りたいために、祀られた場所にあった石碑銘の人宛に問い合わせの手紙を出したのも若気の至りでした。しかし、何故に三つの石祠を建てるのか、何故山の中腹に祀るのかはわかりませんでした。それでも日本石仏協会の『日本の石仏』で「鬼神」として発表したのが昭和59年(№30)でした。その後山の雑誌『新ハイキング』にも「鬼神」として掲載していただいたのが昭和60年(351号)。石仏関係書や山の雑誌にこの写真がでたのはこれが最初だと思います。拙著『里山の石仏順礼』(平成18年)でも「鬼神」で収録しました。しかし〝鬼神〟という名称は常に違和感がありました。
 ところが、関東各地の山に勧請された石尊信仰の石造物の祀り方を見ているうちに、三つの石造物と山の中腹に祀るこの独得な祭祀形式が徐々にわかってきました。そして答えがみつかりました。まず三つの石祠ですが、これは本山である大山石尊山山頂の祭祀形式である石尊・大天狗・小天狗からきていること。中腹に祀ることは、富士山五合目に大山石尊から勧請された小御嶽石尊に倣ったもの。という結論にたどり着きました。つまり関東の山に祀られた石尊信仰は、丹沢の大山から直接勧請されたものと、富士信仰と一緒に勧請されたものの二通りあって、嶺岡浅間の山頂に浅間社、中腹に石尊社を祀ったのは富士信仰からきているものと判断しました。

【大山】
山頂の石尊大権現 
大山寺の矜羯羅、制吒迦童子 
茶湯寺の念仏塔 
淨発願寺の空誉、弾誓 
蓑毛道の巡拝塔 
蓑毛の木食・光西 

【関東他の石尊信仰】 
大山道  (神奈川)峰山 
石尊大権現(群馬県)桐生石尊山 
不動、石祠(群馬県)桐ノ城山 
不動、石祠(群馬県)安中石尊山 
石尊石祠 (群馬県)王城山
大天狗、小天狗(群馬県)榛名物開山
 
木大刀  (群馬県)鍬柄山 
大天狗、小天狗(栃木県)足利石尊山 
不動明王 (栃木県)板荷石尊山 
大山不動 (栃木県)飯岡・石尊山 
役小角  (茨城県)磯原・石尊山
石祠   (茨城県)十王・石尊山
天狗   (千葉県)黄和田畑石尊山
 
鬼神   (千葉県)嶺岡浅間2 
鬼神   (千葉県)嶺岡浅間1 
小御嶽大神(千葉県)梨沢大塚山 
磐長姫命 (千葉県)四方木浅間山 
天狗、烏天狗(福島県)小野石尊山 
雨降神社 (福島県)口太山

【追伸】2016年5月2日 富士山の小御嶽石尊について「大山から勧請したというのはちょっと違うんではないかと思います。少なくとも地誌類なんかでそういう記述を見たことはありません」とのご指摘がありました(コメント参照)。これについては、千葉の梨沢大塚山で案内にしたもので、『富士山の絵札』(平成8年、富士吉田歴史民俗博物館企画展図録)から引用ました。大変重要なところですので、さらなる情報、ご意見をいただいて再考したいと思います。


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1 コメント

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小御嶽石尊 (大谷正幸)
2016-04-28 23:21:37
こんにちは。

「富士山五合目に大山石尊から勧請された小御嶽石尊に倣ったもの」

小御嶽はもと杣人(富士山麓は入会の山林ですから)の神様だといわれています。石尊という語がいつからこの神につけられたのか、それほど古い話ではないようで、せいぜい江戸中期ごろでしょう。

「石尊」の名を持つ山は他にもあることですし、大山から勧請したというのはちょっと違うんではないかと思います。

少なくとも地誌類なんかでそういう記述を見たことはありません。
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