偏平足

里山の石神・石仏探訪

石仏382大山(神奈川)

2012年05月18日 | 登山

大山(おおやま) 石尊大権現(せきそんだいごんげん)

382【データ】大山 1252メートル▼国土地理院25000地図 大山▼最寄駅 小田急線・伊勢原駅▼登山口 神奈川県伊勢原市大山の大山ケーブル駅▼石仏 大山山頂の奥宮社殿前。地図の赤丸印

3821【案内】大山の山頂には中腹にある大山阿夫利神社の奥の院が建つ。その社殿は前社・本殿・奥の院と少しずつ離れて斜めに並んでいる。その間に茶店や休憩所やトイレが建つので、神を祀る頂きにしては雑然としている。そんななかで奥の院の社殿前だけは小さな広場があり、狛犬も立っていて落ち着いた空間になっている。狛犬は「安永七3822 3823 戊戌年(1778)六月吉日」に江戸の大山講の人たちによって奉納されたことが台座の銘からわかる。その台座の正面には「奉納 石尊大権現 大天狗 小天狗」とある。かつてこの山頂に祀らのれていた石尊大権現と大天狗・小天狗だ。それがどのような位置関係で祀られていたのか、いまある社殿などからはわからない。ただ石尊大権現・大天狗・小天狗がそれぞれ単独で祀られていた形跡は過去の文書からも確認できる。その一つ、大山の東山麓にある日向薬師の宝城坊に残された『日向薬師』(昭和40年、中央公論美術出版)の峰入り行場を記した「峯中記略扣」の大山の項には、「石尊大天狗、小天狗の行場へ行って札納め」とある。また『伊勢原市史資料編続大山』(平成6年、伊勢原市)には、安永七年六月に再建された山頂社殿の上棟祭にあげられた各社殿の祝詞「石尊宮上棟祭祝詞」「大天狗上棟祭祝詞」「小天狗上棟祭祝詞」が出ている。安政七年は冒頭に案内した狛犬が奉納された年でもある。こうした点から山頂には石尊大権現・大天狗・小天狗を祀る社殿があったと思われる。それは、各地に勧請された石尊大権現の石造物配置からも指摘できる。たとえば千葉県君3824 津市の石尊山や群馬県桐生市の石尊山の石祠が三基並ぶ形式。あるいは福島県小野町の石尊山の石祠と大天狗・小天狗の石造物などだ。本尊と大天狗・小天狗の三尊形は石尊大権現に限らず飯縄権現などにもみられるが、石尊大権現ほど大天狗・小天狗の三尊形式にこだわった信仰は他になく、石尊大権現に納める木太刀にもこの三尊銘が記されていることは、このブログの378鍬柄岳(群馬)で案内したとおりである。下写真は大山阿夫利神社に奉納された木太刀。

【独り言】茶湯寺 大山に登った翌日は伯父伯母の法事があって福島へ出かけました。郡山駅でローカル線に乗り換えると、目の前に従姉たちが坐っていました。横浜に住む山の好きな従姉に、昨日大山に登った話をすると、従姉はその前日母の供養のため大山の茶湯寺に出かけたというのでした。茶湯寺は大山のバス停からケーブル駅に向かう途中、大山川を渡った先にある寺です。いつも気にはなっていたんですが、いまだ行ったことのない寺でした。話によると、亡くなって百一日目の供養をする寺だそうです。なんでも、亡き人は百ヶ日に極楽の門に至り、百一日目は御先祖様の仲間入りをする日だそうで、それを知っている亡き人は茶湯寺の山門で家族のくるのを待っているのだそうです。供養に優劣はありませんが、とてもいい供養だなと思うと同時に、そういうことを知っている従姉が観音様のように見えました。この日一日機会あるごとに茶湯寺の話を思い出し、我が父母のときはどんな供養をしたかな……などと反省もして、雪が残る安達太良の山を見ながら、久々にいい時間をすごしました。

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