偏平足

里山の石神・石仏探訪

石仏番外 大山(神奈川)

2010年08月27日 | 登山

大山(おおやま) 木食光西

273 【データ】大山 1251メートル▼25000地図 大山▼最寄駅 小田急小田原線・秦野駅▼登山口 神奈川県秦野市蓑毛▼石仏 蓑毛集落の大日堂境内十王堂脇

273_227332734 【独り言】蓑毛集落の外れに立つ大日堂は、広い境内に本堂、不動堂、御嶽神社などが立ち並んでいます。大山の帰りに時間があれば寄ってみたい静かなお寺です。その十王堂脇に「南無阿弥陀仏」と刻まれた名号塔が立っています。塔の脇には「光西」の銘がありました。この人物についての紹介が名号塔の前にある「木食光西入寂の地」とい案内板にありましたので、長文になりますが次に記します。

「江戸時代中期享保年間(17161735)の頃、西日本一帯が飢饉におそわれ、そのために日本全体が危機に瀕したことがあった。その頃江戸麻布の出身で木食僧として修業していた光西上人は、時の宝蓮寺住職大蟲(だいちゅう)和尚の協力を得て、仏教の力により農民を苦しみから救済しようとした。

光西上人は、武蔵・相模・甲斐・駿河・伊豆その他全国を行脚し、大般若経六百巻の願主となり浄財を集めた。そして今まで荒れていた大日堂及び仏像を修理し、また御堂の造営も行った。その後一通り事業の終わった光西上人は、事業の最後の段階として生きながら仏となった。地下に深さ約1・5メートルの石室を造りその中に入り、天井に大きな石で蓋をした。そして石室の中に坐り、経を唱えながら入寂した。

『三百年後に掘ってみよ』との遺言により、昭和十年四月八日村人の手で発掘された。石室の中からは頭蓋骨及び脛骨が発見され、その他に鉦の脚三点・袈裟の環一点・小銭六枚と青銅の観音像一軀が発見された。光西上人の遺骨は埋め戻され、現在もここに眠っている」(秦野市教育委員会)

 丹沢から箱根にかけては、木食行者や念仏行者が盛んに宗教活動をしたところです。光西もその一人ですがこれまでほとんど情報がなく、手元にある日本石仏協会編『石仏地図手帳・神奈川篇』(平成2年、国書刊行会)の「秦野市の石仏・大山道をたどって」に少し紹介されているのを見ただけでした。

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