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“はだか世”から訪れる“人類の祖”・・ニライカナイは地底にある(その3)

2010-04-27 | 日本の不思議(古代)
吉成直樹著「琉球民俗の底流」の紹介を続けます。
実に興味深い考察が述べられています。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。


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(引用ここから)

八重山の来訪神アカマタ、クロマタは、明け寅の刻に生まれるが、この生まれ方には「すでる」という言葉が用いられる。

ここで言う「すでる」とは、ヘビが皮を、蟹がからを脱ぐような生まれ方をさしている。

来訪神が“すでる”には、“すでる”ための水、“すで水”が用いられる。

具体的には、仮面に“すで水”がかけられたり、担い手たちが“すで水”を浴びたりする。

アカマタの仮面に水が注がれる時の神歌には、以下のようなものがある。

「ブンドゥレン井戸の水は
 セーロン井戸の水は
 大世持ち神をあびせて生まらせよう」


「すで水」は、人間が浴びると、一年の大きな折り目に、ヘビが脱皮する様に、人間をも若返らせるという力をもつ水である。

洞穴で、「すで水」によって再生する来訪神とは、地下のはるか彼方でよみがえることを儀礼的に表現しているとみなしてよい。

男子結社などの担い手は、仮面に「すで水」を注ぐことによって、また「すで水」を浴びることによって、秘儀的に来訪神を再生させる。

つまり、八重山の来訪神儀礼は、死と再生によって特徴付けられていると言える。



来訪神アカマタ、クロマタが新生あるいは再生する存在だとしたら、従来考えられてきたような「祖先」「祖霊」という概念ではとても理解できない。

沖縄の古い歌集「おもろさうし」の中には「ニライカナイの神」という表現は全くなく、ただ、「にらいとよむ大ぬし」とされ、男女の性別も不詳であり、ましてや夫も妻もいない非人格=無個性的であることが特徴である。


始原の世界に出現し、始原の世界の終焉によって、その存在が人間へと変換される存在とは、“始原の世界における人類”、すなわち“人類の祖”であろう。


琉球列島における典型的な来訪神儀礼のひとつである「シヌグ」にも「人類の祖」を示唆する事例がある。

沖縄島北部の集落・安田の「シヌグ」は、人々によって「はだか世の時代の先祖(アマン世の人・・大昔の時代の人)」と考えられている。




“土中からの始祖神話”は、南部琉球のみに分布しているのではない。

北に行くと、九州南部、韓国済州島、南に行くと、東南アジア、オセアニア(分布の中心はニューギニア)にもあり、琉球列島の周辺では台湾原住民に見られる。



それでは、メラネシアと琉球列島、さらには日本を結ぶものは、いったい何だろうか。


金関丈夫によれば、八重山には少なくとも3つのメラネシア的要素が認められるという。

その一つは、済州島漂流人の西表島の記事(15世紀)にかかわる事柄である。

両側鼻翼を穿孔し、栓状の小さい黒い木片をはめている。
その栓の頭は比較的小さく、あたかもほくろのように見えた、という記事があるが、この習俗は現在メラネシアの一部で行われているという事実。

第二に、波照間島前島で所蔵されている木製の鼓筒は、ニューギニアの砂時計形鼓に酷似しており、偶然の一致とは思いがたいこと。

第三に、波照間島の南村の一農家で使用されている腰部の両側にとってのようなものがついている臼があるが、これはニューギニアにおいてびんろうじゅを砕くための臼とよく似ていること。

こうした類似について、金関丈夫は、メラネシア人と接触して、少なくとも部分的に共通文化を共有したインドネシア系の習俗がもたらしたものとみなし、メラネシア人とインドネシア人の交流は、首狩り、入墨、歯牙変工などの点からみて疑うべからざるものがあるとする。

金関は、南方諸島から琉球列島、さらにはヤマトの中部地方以東にいたる地域へ、縄文中期あるいはそれ以前の時期に、メラネシア的要素を含むインドネシア系の習俗の到来を想定しているのである。


こうした議論に関係して、気候学的な条件も考慮する必要があるかもしれない。

全地球的に、およそ10000年前に最終氷期(ヴェルム氷期)が終わり、そののちに気温が上昇しはじめ、いまから8000年から3000年間にわたって高温期(ヒプシサーマル期)がおとずれ、地域によって異なるが、現在より2~3度ほど気温が上昇したということである。

日本の縄文中期がはじまるまでの時期は、高温期にあたっており、南方的なものの北上を許容する条件下にあったと考えることができる。

たとえば、縄文時代中期の勝坂式期を頂点として盛行する蛇身装飾、ことに長野県富士見町烏帽子藤内、山梨県韮崎市坂井出土の戴蛇土偶(いずれも縄文中期)があるが、これら戴蛇土偶は蛇霊と一体となったシャーマンを表現するものであり、琉球列島のハブと交流する神女たちと同様の意味を持つものである(国分 1986)という。


ニライカナイ信仰に本来結びついているのは、年齢階梯的な男子結社であり、八重山では、仮面仮装の来訪神儀礼の担い手として厳然と残されている。

しかしそうした来訪神儀礼が失われた地域では、海上他界としてのニライカナイに結びつく祭祀組織が、女性を中心として新たに作られる必要があった。

それが久高島で見られるムトゥガミたちであったのではないか。

ノロやツカサを中心にする神女組織は、あくまで御嶽信仰に結びつく組織である。

久高島では、ニライカナイから訪れる神々が寄りつく神役には、女性ばかりではなく男性も含まれる。

男性も存在するという事実に、ニライカナイの信仰の本来の姿を知る鍵があると考える。

(引用ここまで)

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2 コメント

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ポントスの水 (///)
2010-04-28 19:15:42
フルカネリ 「大聖堂の秘密」  p74

アラブの著述家たちは、この泉をホルマートとよび、預言者エリア(ヘリオス)に不死の生命を与えたのも「この水だ」と教えている。その意見によれば、この有名な「泉」はモダラムの地にある。モダラムとは「 闇のように暗い海 」という意味の語根をもつ語である。

この名には、賢者たちが「渾沌」あるいは第一質料に由来すると考える「 原初の混淆 」のイメージがよくあらわれていないだろうか?

http://weedweedweed.cocolog-nifty.com/blog/2009/04/post-51d0.html


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 (veera)
2010-05-04 07:06:44

///様

コメント、どうもありがとうございます。
水の持つ力を感じさられます。

水は、“第一質料”であると同時に“形相”でもありうるような、宇宙の原初の混沌の状態を、引き出す力を備えているのでしょうね。

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