始まりに向かって

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皆の上に神が降りて来る・・「神と人のはざまに生きる」(3)

2017-01-17 | 日本の不思議(現代)


現代の稲荷巫女・三井シゲノさんの聞き書き書、アンヌ・ブッシィさんの「神と人のはざまに生きる」の続きをご紹介させていただきます。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。


           *****

          (引用ここから)


シゲノに自分の後を継いでほしいという大叔母の期待は、しごくもっともなものであった。

というのも、シゲノには巫女の素質があると思われていたのに加えて、村にはあるしきたりがあり、それによれば、ある家に神がかりする者が出た場合、その血筋を引く者がその例にならってそうなるのが望ましいとされていたのである。

しかもたいていこの機能は一世代おいて、すなわち祖母から孫娘へと受け継がれるものなのである。

「稲荷のオダイ」の場合には、必ずいつか稲荷に憑かれる人が出ると信じられる決まりがあるゆえ、常に稲荷信仰は絶えることがない。

シゲノは「稲荷の神」や「白高(しらたか)」、その他の神々について、またそれらの神々の関係について語ってくれたが、稲荷信仰が農村にあまねく行き渡っており、その土壌からおびただしい数に上る「オダイの神々」が現れたのだ、ということがわかった。

             ・・・

シゲノは語った。


             ・・・

村人たちは続々と「お滝」にやって来ました。

皆さん「見えた」「見えた」と口々におっしゃりながら、その日も夜通し、あくる日も丸一日、村人たちは、私と一緒に残って、その間私はずっと「神さん」にお祈りと感謝の言葉を捧げておりました。

かつては神事というのは、夜に行うのが通例でありまして、午後10時か11時頃から皆さんばっさばっさとお出でになりました。

はじめて「神さん」がわが身に降りられるようになって以来、私は夫の元に帰らず、「お滝」の仮住まいに残っておりました。

しばらくたつと、昼間お暇な方々から、畑仕事で忙しい方々まで、皆さんいらっしゃって、私と一緒に「神さん」に祈りをあげるようになりました。

翌年「お滝」に住まうようになってから10か月ぶりに、私は家に帰りました。



夫が亡くなってからは、日々の仕事をし続けながら、「神さん」によりいっそうこの身を捧げるようになりました。

晩になって子供が寝付くと、家の中に設けた神殿の前へ行って何時間も過ごしておりましたし、暇さえあれば「お滝」へ行っておりました。


私は気がおかしくなった、との噂が流れました。

私が「神さん」にお祈りを捧げるときに、家に来る人たちがありましたが、私の言うことは決まって意味不明で誰にも分らず、またこの私もなに一つ覚えていないものだから、説明のしようもないのでした。

けれども皆が皆、噂を丸のみにしていたわけではありません。

どのようにして私が再び光を見出すようになったか、その経緯を目のあたりにした人たちの中には、変わらず私に会いに来る者がありました。

彼らのおかげで、私は「神さん」へお祈りしようとするたびに陥るあの状態が、何の役に立つのか分かったのです。

彼らは、私の口から出る言葉から、自分たちが一番知ろうとすること、彼らにとって死活に関わる問題を聞き取るのでした。

またこの手で撫でてやると、彼らの苦しみは和らぎ、彼らの病は癒えるのでした。

重病の場合には、どんな手当をすべきか、「神さん」が教えてくれました。

子供も大人も助かりました。


ところが、雲行きはあやしいものでした

と言いますのは、私が「白高(しらたか)さん」に祈り始めるや、私のみならず、私の周りにいるすべての人にも「神さん」が降りてくるのです。

当初はとりわけそのようなことがよく起こりましたが、ここ大阪へ移ってからも幾度もありました。

「白高(しらたか)さん」は、誰彼なしに降りてくるのでした。

ここにいる人が皆おかしくなるぐらい、地震のようなことを起こして、言葉には出ないけれど、一人残らず踊らせるのです。

いつもその場にいた40~50人のうち4、5人は、かっかと震えて踊り始めるのでした。

私もまた震えてじっとしておられず、家中グラグラ柱まで揺れて、茶碗なんかはどれもひっくり返る始末でした。


妙見さんを祀っている大和郡山のある老女を私は知っておりましたが、この方も「神さん」が降りると、手には御幣を持って、しゃがみこんだまま飛び上がることができました。

20才の頃私は、彼女が部屋中を飛び跳ねるのを、この目でしかと見たのです。

その場に居合わせた人々も飛び上がっていましたが、彼らも皆同時に「神さん」に乗り移られていたのでしょう。


ある日のこと、突然父がどならんばかりに「そんなことばかりして、おまえ、気でもふれたのか?

「神さん」とやらが誰かに降りるというなら、その誰かをはっきりしてもらい、そして言うべき教えは何であるかを明瞭にしてくださるよう、その「神さん」にお願いしたらどうだ?

それならおまえだて、「神さん」を呼び寄せる者たる資格もあろうが、おまえときたらどうだ?

まるきり「神さん」に乗っ取られて、他人まで巻き込んでいるじゃないか?

あの人たちに降りてきた「神さん」をいつでも落とせるとでも思っているのか?」と言うのです。


夫を亡くした私は、改めて父に従う身となっておりました。

父の怒りをかったのは、私が自分でも抑えきれない、ど外れた業に身をやつしていたことでした。

自分自身、「白高(しらたか)さん」のああして出てくる時の荒々しさを前にして、一度ならず恐れを抱いたものですが、もし父の怒りに際して、事の重大さを自覚していなかったら、きっと取返しのつかないことが起こるまであのまま続けていたことでしょう。


         (引用ここまで・写真(中)は三井シゲノ氏・本書より)

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たくさんあるのですが、風邪のため、後日リンクを付けます。

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