マタギと呼ばれる方々は、日本に現存している真正の狩猟採集民でいらっしゃると思います。
時がたつにつれて記憶が薄れ、大切なものが散逸してしまわないことを祈ります。
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「マタギってなに?・・狩りのプロ、恵みの山を深く信仰」
朝日新聞2013・02・09
秋田県北部の山あいの集落に住み、熊やカモシカなど野生の鳥獣をえものとして捕らえる生活を続けた「阿仁(あに)マタギ」の狩猟用具が、国の重要有形民俗文化財に指定されることになりました。
マタギとはどのような人々の集まりで、どのような暮らしをしてきたのでしょうか?
マタギは東北など東日本の山に分け入り、狩猟活動でおもに生計を立てる人たちを指す。
阿仁は秋田県北秋田市の森吉山のふもとに広がる地名で、「マタギ発祥の地」とされている。
地区の「打当」「比立内」「根子」は、「阿仁マタギ」が暮らす代表的な集落だ。
高度成長期の1970年ごろの調査では、3集落でマタギが50人ほど確認されているが、その後は減る傾向にある。
そもそもマタギとは、どんな意味の言葉なのだろう?
江戸時代に東北各地を渡り歩いた紀行家の菅江真澄は、山に入り、マダ(シナノキ)の樹皮をはぐ「マダハギ」と呼ばれる人々の呼び名が変化したと推測した。
しかし山々を「またいで」猟をしていたことから名がついたとする言い伝えもある。
マタギは古くから伝わる独特な方法で山に入る。
普通は5人から30人単位で一緒に行動する集団猟が基本だ。
狩りの経験が豊富で、山の生態を知り尽くすリーダーが指示を出す。
狩り小屋で寝泊まりしながら、熊やカモシカなど大型動物の他、タヌキや野兎などの小動物を追った。
岩手、山形、福島などとなりの県や新潟にも出かけた。
熊の場合、見張り役、狙撃役、獲物を追いかける役を分担する。
見張り役の合図で、追いかけ役が大声で熊を追い、狙撃役がしとめる。
つかまえた獲物は、仲間で平等に分ける。
特に熊は、肉だけでなく臓器や骨はすりつぶして薬にするなど、あますところなく利用する。
胆嚢を乾燥させた“くまのい”は大切にされた。
こうした山に生きるマタギは、古くから多くの人々を引き付けてきた。
童話作家宮沢賢治の「なめとこ山の熊」で、熊の言葉がわかり、熊に好かれるクマ狩り名人の主人公「小十郎」のモデルは、マタギとされている。
後世に伝えるべき貴重な文化財として国が指定するのは「阿仁マタギ」が実際に使っていた狩猟道具の数々だ。
猟銃やたてなど武具72点、毛皮など衣類99点、行商の時に使った用具24点など293点に上る。
指定後、地元の北秋田市は用具を持っているマタギの子孫の了解を得て、ひとまとめにして管理する予定で、また文化を広く知らせる考えだ。
文化を後の時代に伝え残していくためには、物の保存だけでは足りない。
1959年に狩猟用具を「県有形民族文化財」に指定していた秋田県教育委員会は、2005年度から2007年度にかけて、マタギを訪ね歩き、報告書をまとめた。
マタギの生きざまを伝えよう、という思いからだ。
恵みの山を神様にたとえ、山に入る前に水で身体を清めた。
熊を解体する時には、成仏を祈る儀式を営み、頭を北に向けた熊の身体に塩を振り、呪文のような言葉を唱える。
信仰の厚いこうしたマタギの振る舞いは、自然と共生してきた暮らしぶりを今に伝える。
人類が自然環境との共生を求められて久しい。
山に行き、野生動物に向き合ってきた「マタギ文化」の歴史的な価値を認め、国の文化財にしようという今回の取り組みは、狩猟用具や記憶が散らばり失われてしまうのを防ぐだけでなく、荒れている地方の山々を見つめ直す良い機会になる。
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