駿 府 は 96 か 町

駿府はちぃっと覇気がないけぇが,御所(ごせ)っぽくていいじゃん【ごせっぽい≒平穏でせいせいしている様】

江川町(えがわちょう)

2008年08月20日 11時29分15秒 | 駿府96か町のいま



旧【江川町】は、おおむね江川町交差点から両替町通りまでの
いわゆる江川町通り沿いの町(丁目は付かない)です。
(うち、呉服町スクランブル交差点までは旧東海道です。
また中島屋ビル横の※東西の小路は静岡大火後の区画整理で設けられたものです。)

駿府の碁盤の目地区では、ひとつの町が原則として1ブロック、
つまり1丁(60間、約109m)ごとに名付けられているのですが、
駿府の東はずれに当るこのあたりの江川町、紺屋町、下桶屋町などは
やや変則的になっていて2丁近い長さの町となっています。

また、現在は旧東海道(伝馬町通り)とは江川町交差点で五さ路となってつながっていますが
御幸通りが開通するまでは江川町通りとは直角につながっていました。


「江川町」は1945年消滅しているのですが、
江川町通り、江川町交差点、江川町地下道というように江川町の名が使われているため、
失われてしまった町名の中では最もよく知られている町名かもしれません。
江川町の名は、一説によると今川時代からあったとも言われています。

なお、江川町の“旧町名の碑”が江戸期にはなかった御幸通り側に設置されているのは、ちょいと疑問に思われます。
たしかに、土地としては御幸通りの一部も江川町でしょうが、
城下の町名の付け方の基本は通りに沿って付けられたのですから、
当然に江川町通り側に設置すべきものでしょう。
(多分、御幸通り側の方が設置する土地の確保がしやすかったのでしょうが、
 これではせっかくの碑も誤解を与えるもとです。)


江川町を現在の町名で言うと
御幸町4番地付近、紺屋町1・3・4番地付近
(町名変更は1945年)


明治期の地図
赤線沿いが江川町(一部横丁を含む)
緑線は、附近の新設された道路



方位の表記について
駿府の町割りは方位に対して傾いているので、JR線や国道1号を東西に見立てた方位がよく使われているのですが、
ここではより実際の方位に近い「札の辻を起点にして城のある方向を北」とした方位の表現をします。
したがって両替町通りは東西、江川町通りは南北の通りということになります。

その他
記事内容は誠実に書いているつもりですが、内容の正確性を保障するものではありません。


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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
位置特定 (IYA)
2008-08-20 18:05:18
「メチャ安サイトー」が見えたので場所がすぐわかりました
中学の頃、「サイトー」の新聞の広告を見るのが楽しみで、お店にも何度か足を運びました。
清水の質屋さんを覗くのも好きでしたが、ここもファンです。舶来と言うだけでなんか素敵と思いました。

しかし隣の「目のまえスクランブルビル」と言うネーミングはびっくりでした。でも、わかりやすいかも・・
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昔の江川町のことなど (あおい君)
2008-08-20 19:32:46
ボクの母は、サイトーのことを「エガーチョーのサイトーミシン」と言っていましたので、多分戦前はミシン屋ではなかったのかと思われます。(但し、昭和初めの地図には載っていませんでした。)
ボクの覚えている範囲の記憶では電気屋さんでしたが、今ではややマニアックな品揃えの店ですね。

「目のスクビル」は、漫画家の“しりあがり寿氏”の生誕地だということで、その縁でしりあがり氏が名付け親らしいです。

そのほか、電々ビルのところには、郵便局(現静岡中央局)があったこと、中嶋屋が木造のホテルで玄関は今と違って江川町通り側にあったことを覚えています。

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Unknown (Unknown)
2008-08-21 06:04:42
>漫画家の“しりあがり寿氏”の生誕地

そうだったのですか。
あそこにテナントで入っている10円饅頭は、行列ができない普通の店になったみたいですね。

そんなことより「うさぎ餅」を初めて知りました。
鷹三の松木屋ですね。
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うさぎ餅 (あおい君)
2008-08-21 15:46:29
松木屋は北街道沿いで、二丁目の松柏堂から100mほど清水寄りにあります。(所在地は、葵区鷹匠三丁目1番7号)
一時はパルシェの食品館にもときどき出店していましたが最近はないようです。
ほかにも西脇に工場と売店があるようです。(駿河区西脇1058番地の1)
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