駿 府 は 96 か 町

駿府はちぃっと覇気がないけぇが,御所(ごせ)っぽくていいじゃん【ごせっぽい≒平穏でせいせいしている様】

下石町三丁目(しもごくちょう さんちょうめ)

2008年08月09日 14時01分35秒 | 駿府96か町のいま
<青葉通交番―最近は遠方から静岡おでんを求めて訪れる人も多いためか、
 入口に青葉おでん街と青葉横丁への案内が貼ってある。>

<別雷(わけいかずち)神社―96カ町の町頭がここに集まり駿府の自治を担っていた。
戦前はもっと大きな境内だったものが、静岡大火後の区画整理の結果
現在の敷地となったようだ。狭い敷地に無理やり押し込められたような印象もある。>

<交番からは至近距離の通り東側にある青葉おでん街>


旧【下石町三丁目(しもごくちょう さんちょうめ)】は、現在の青葉通りの昭和通り交差点から南へ2筋目(一丁)までの南北の通り沿いの町でした。
(一丁の真ん中を横切る小路<別雷神社横>は、静岡大火<1940.1.15>後の区画整理でもうけられたもの)
当然のことながら、一、二丁目同様かなりの面積が道路になってしまっていて、通り沿いの西側が七間町、東側が常磐町二丁目に再編され(1945.9)、下石町三丁目は消滅してしまいました。

なお、南端に接する東西の通りを東に入ったところにある常光寺は、
宝台院(常磐町二丁目13番地の2)で謹慎していた慶喜の護衛のために
静岡に来ていた江戸の町火消し、新門辰五郎が投宿していたということです。


下石町三丁目を現在の町名でいうと
七間町の一部、常磐町二丁目の一部
(町名変更は1945年)


方位の表記について
駿府の町割りは方位に対して傾いているので、JR線や国道1号を東西に見立てた方位がよく使われているのですが、ここではより実際の方位に近い「札の辻を起点にして城のある方向を北」とした方位の表現をします。
したがって両替町通りは東西、下石町通り(青葉通り)は南北の通りということになります。

その他
記事内容は誠実に書いているつもりですが、内容の正確性を保障するものではありません。




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