本能寺の変 「明智憲三郎的世界 天下布文!」

『本能寺の変 431年目の真実』著者の公式ブログです。
通説・俗説・虚説に惑わされない「真実」の世界を探究します。

信長最期の言葉の証人捜査(後編)

2010年05月30日 | 歴史捜査レポート
 前編では家康家臣の大久保彦左衛門忠教(ただたか)の書いた『三河物語』の中の信長最期の言葉「城介が別心か?」の解説をしました。後編ではいよいよ、この言葉を聴いた証人探しです。
 ★ 信長最期の言葉の証人捜査(前編)

 まず、『三河物語』の信憑性について検討してみます。
 名前に「物語」と付いているので信憑性のない軍記物のひとつのように誤解されるかもしれませんが、彦左衛門が徳川家譜代家臣としての思いを子孫に伝えるために書いた覚書です。筆者と書いた意図が極めてはっきりしており、基本的に信憑性が高いといえます。
 子孫によく思われたいという作為は働いたでしょうが、それ以外に嘘を書く必要性はありません。信長最期の言葉もあえて嘘を書く必要性のない話ですので、彦左衛門の創作とみるよりも彦左衛門の周辺、つまり徳川家内部でこのような話が広まっていたと考えるべきでしょう。

 それでは、信長が自分の息子(城介=信忠)の謀反を疑うという常識外れの言葉を言う可能性はあったのでしょうか?
 拙著『本能寺の変 四二七年目の真実』を書いた時点では、この可能性が見出せませんでした。
 ところが最近、「ありえる!」と気が付きました。
 それは、家康と行動を共にしていた信忠が5月29日に大阪から上洛してしまったことです。信長と光秀が立てた家康討ちの計画では、信忠は家康と共に堺へ行く手はずになっていました。それが急に予定を変更して上洛してしまったのです。おそらく、この計画変更を知った信長は信忠を厳しく叱責したでしょう。息子といえども命令違反は命令違反です。
 この事件のことが謀反の発生を知った瞬間に信長の頭をよぎり、咄嗟に「信忠の謀反か?」と口に出たのではないでしょうか。
 現代人は息子が父親に謀反などするわけがないと決め付け勝ちですが、戦国時代には親子が殺し合った例はいくらもあります。武田信玄は父親を追放し、息子を殺しています。斎藤道三は息子に殺されています。当時の常識は息子の謀反などあり得ないという現代の常識とは異なっていたのです。

 それではこの信長の言葉を聴いた肝心な証人は誰なのでしょうか?
 これも拙著を書いたときには、三河を本拠とする徳川家の人間が信長の内々の京都での出来事の情報を得るのは難しいと考えていました。
 ところが徳川家と京都を結ぶ人物がいたことを思い出しました。それは茶屋四郎次郎です。
 四郎次郎は京都の商人で屋敷は本能寺の側にありました。家康との関係は極めて深く、家康の軍事行動にもしばしば参加していました。家康が安土から上洛した際にも家康一行は四郎次郎の屋敷に宿泊しています。堺まで家康に同行し、家康が信長の命令で6月2日に上洛する前日に先行して上洛し、本能寺の変勃発の報を上洛途中の家康に伝える役を果たしました。その後は家康一行と共に「神君伊賀越え」を行って三河へたどり着いています。
 彼ならば京都の人脈を生かして情報収集することは可能です。
 本能寺から無事脱出できたのは信長の周辺にいた女性たちと小姓の彌介のみです。信長は「女どもは苦しからず、急ぎ罷り出でよ」と命じて女性たちを逃しています。そのことを『信長公記』(しんちょうこうき)の作家である太田牛一は当の女性から取材して書いています。この女性たちは信長一行の炊事・洗濯・掃除など身の回りの世話をする人達です。おそらく京都に住む身元のしっかりした人達を集めたのでしょう。四郎次郎のような商人に頼んで集めたのかもしれません。
 いずれにせよ、身元がしっかりしていたので牛一は女性たちを探し出して取材することができたわけです。同じことが四郎次郎にもできたでしょう。京都での人脈であれば牛一より四郎次郎の方がはるかに広かったはずです。
 
 こうして見てみると信長の側にいた女性がこの言葉の証人であり、茶屋四郎次郎が取材して家康に伝え、それが徳川家内に広まったと考えられます。かなり蓋然性が高まったと思いますが、いかがでしょうか。

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