鞭聲粛々夜過河
べんせいしゅくしゅく よるかわをわたる
暁見千兵擁大牙
あかつきにみるせんぺいのたいがをよおするを
遺恨十年磨一剣
いこんなりじゅうねんいっけんをみがき
流星光底逸長蛇
りゅうせいこうていちょうだをいっす
訪朝5日目。
この日は朝から『よど号本』出版に関する打ち合わせ。カメラは回せず。
2時間ほど議論し、事務所にて昼飯。例の犬さんです。
その後、休憩・自由時間となったのですが、わたしは現在グループのリーダーにあたる小西隆裕さんに、今は亡きかつてのリーダーである田宮高麿さんはどんな人だったのか?聞いてみることにしました。
知らない方のために注釈しておきますと、田宮高麿という名前は「全共闘史」「昭和事件史」と共に語られる人物であり、よど号事件といえば彼の名前が突き抜けて有名です。
95年11月30日、訪朝した塩見孝也(元・赤軍派議長)さんを平壌駅に送った翌日、心臓麻痺で死亡したと伝えられています。
小西さんはマジメな顔つきになり、「それは知っておかないかんな」と一言いいました。
そして「今は酒が入ってるから、今夜話すよ」と。
「今夜は飲まないようにするから」とも。
雰囲気がいつになく堅くなったのを感じて、ひとまず自室に戻りました。
この事務所の一室は、よど号メンバー全9人中、亡くなられた5名を遺影と共にまつってある祭壇の部屋があります。そこをバックに「小西隆裕が田宮高麿を語る」なんて映像が撮れたらいいな、と思っていたわけですが、了解自体はあっけないくらい簡単にとれました。
2時間ほど経ち再び集合し、翌日われわれは帰国の途につくため、送る会をしてくれるとのことで、いつもは来ない日本人妻のお二人も加わり、盛大に飲んで歌う、とやることになっていました。
それなのに、インタビューのために「今夜は飲まない」と言った小西さん。
そこまで敬意を払われている人物なのか。ますます興味がわきましたが…
「小西さん、やっぱり今夜はいいです。最後なので、飲みましょう。また来ますのでその時に聞かせて下さい」と伝えました。
「そうか、ならそうしようか」
こうして取材者にあるまじき能天気な行動で夜は楽しむことにしました。
いや、まあ、俺も飲みたかったから……
帰国して数ヵ月後のある日、田宮さんの娘さんとお会いしました。
「(事件やグループに)色々思うところはあるし、なんでハイジャックなんてやったの?て思う。でも、私は父を尊敬しています」
すごい人だったんだろうな、と思います。
ハイジャック時、乗客を解放する時お別れとして、詩吟『川中島』を謡ったという田宮さん。
歴史として俯瞰すると『よど号ハイジャック事件』自体はありえない、突飛な闘争・事件でありましたが「本気で革命をやろうとした人たち」を個々に迫っていくと、その若いエネルギーのほとばしりにはっとさせられることがあります。
田宮さんはそんな若者たちを引き連れて、どんな思いで海を渡ったのか。
次に訪朝したら必ずいろいろと聞いてみたいと思います。
続く
前回まではこちら
【北朝鮮 よど号グループ取材記・1 北京】
【北朝鮮 よど号グループ取材記・2 平壌へ よど号グループとの初対面】
【北朝鮮 よど号グループ取材記・3 よど号グループ帰国問題談話・平壌観光】
【北朝鮮 よど号グループ取材記・4 人民大学習堂/万寿台の丘】
【北朝鮮 よど号グループ取材記・5 主体思想塔と平壌の遊園地】
北朝鮮 よど号グループ取材記・番外編 北朝鮮のハンバーガー
【北朝鮮 よど号グループ取材記・6 祖国解放戦争勝利記念館】
【北朝鮮 よど号グループ取材記・7 大同江果樹農場】
【北朝鮮 よど号グループ取材記・8 『赤軍という現象の歴史的再定義』】
北朝鮮 よど号グループ取材記・番外編 「犬食った。」
【北朝鮮 よど号グループ取材記・9 『北朝鮮という国』】
べんせいしゅくしゅく よるかわをわたる
暁見千兵擁大牙
あかつきにみるせんぺいのたいがをよおするを
遺恨十年磨一剣
いこんなりじゅうねんいっけんをみがき
流星光底逸長蛇
りゅうせいこうていちょうだをいっす
訪朝5日目。
この日は朝から『よど号本』出版に関する打ち合わせ。カメラは回せず。
2時間ほど議論し、事務所にて昼飯。例の犬さんです。
その後、休憩・自由時間となったのですが、わたしは現在グループのリーダーにあたる小西隆裕さんに、今は亡きかつてのリーダーである田宮高麿さんはどんな人だったのか?聞いてみることにしました。
知らない方のために注釈しておきますと、田宮高麿という名前は「全共闘史」「昭和事件史」と共に語られる人物であり、よど号事件といえば彼の名前が突き抜けて有名です。
95年11月30日、訪朝した塩見孝也(元・赤軍派議長)さんを平壌駅に送った翌日、心臓麻痺で死亡したと伝えられています。
小西さんはマジメな顔つきになり、「それは知っておかないかんな」と一言いいました。
そして「今は酒が入ってるから、今夜話すよ」と。
「今夜は飲まないようにするから」とも。
雰囲気がいつになく堅くなったのを感じて、ひとまず自室に戻りました。
この事務所の一室は、よど号メンバー全9人中、亡くなられた5名を遺影と共にまつってある祭壇の部屋があります。そこをバックに「小西隆裕が田宮高麿を語る」なんて映像が撮れたらいいな、と思っていたわけですが、了解自体はあっけないくらい簡単にとれました。
2時間ほど経ち再び集合し、翌日われわれは帰国の途につくため、送る会をしてくれるとのことで、いつもは来ない日本人妻のお二人も加わり、盛大に飲んで歌う、とやることになっていました。
それなのに、インタビューのために「今夜は飲まない」と言った小西さん。
そこまで敬意を払われている人物なのか。ますます興味がわきましたが…
「小西さん、やっぱり今夜はいいです。最後なので、飲みましょう。また来ますのでその時に聞かせて下さい」と伝えました。
「そうか、ならそうしようか」
こうして取材者にあるまじき能天気な行動で夜は楽しむことにしました。
いや、まあ、俺も飲みたかったから……
帰国して数ヵ月後のある日、田宮さんの娘さんとお会いしました。
「(事件やグループに)色々思うところはあるし、なんでハイジャックなんてやったの?て思う。でも、私は父を尊敬しています」
すごい人だったんだろうな、と思います。
ハイジャック時、乗客を解放する時お別れとして、詩吟『川中島』を謡ったという田宮さん。
歴史として俯瞰すると『よど号ハイジャック事件』自体はありえない、突飛な闘争・事件でありましたが「本気で革命をやろうとした人たち」を個々に迫っていくと、その若いエネルギーのほとばしりにはっとさせられることがあります。
田宮さんはそんな若者たちを引き連れて、どんな思いで海を渡ったのか。
次に訪朝したら必ずいろいろと聞いてみたいと思います。
続く
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【北朝鮮 よど号グループ取材記・1 北京】
【北朝鮮 よど号グループ取材記・2 平壌へ よど号グループとの初対面】
【北朝鮮 よど号グループ取材記・3 よど号グループ帰国問題談話・平壌観光】
【北朝鮮 よど号グループ取材記・4 人民大学習堂/万寿台の丘】
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