北朝鮮から帰って、はや一ヶ月が経ちました。
この間、素材の整理・編集や、よど号支援組織「かりの会」機関紙「かりはゆく」への原稿書きなどをしておりました。
そうしているうちに、だんだんと体験したことを客観的に見ることも出来るようになってきました。
映画『かぞくのくに』を観たり、横田滋さんの写真展へ行ったり。
「国交が無いお隣の国」という、近くて遠い国をどう考えるか、今まで使ったことない脳味噌を使ったりしてちょっとものの見方が広がった!
ならいいんですが、こんがらがって実は今に至ってもよく分からないでいます。
ただ、率直に言って平壌の滞在は非常に楽しく、また“全体的に”フランクで自由なものでした。
恐らく一般的な日本人と同じく、訪朝前のわたしが抱いていた北朝鮮に対するイメージは「拉致をする怖い国」・・・というものだったのですが、今は違って見えます。
ちょっとこういう意見も言いにくいところが、「国交がない」ということの悲劇なのかなーとも。
それはよど号メンバーも同じで、どんなお堅く、話の通じないような人達だろう・・・と思っていましたところ、拍子抜けするほど普通のオッサン達でした。
ほぼ毎晩、一緒に酒を飲み、歌って踊って。なんつうか、愉快な方々でした。
では以下、当日付けていた取材記を元に。
北朝鮮へは北京を経由して行くので、北京での1日から。
ギリギリまで荷物を纏めて朝6時過ぎの電車で羽田へ。
あまり眠れなかった。
搭乗手続き済ませ、集合場所のカフェで朝飯。
なぜだか急に、日本にいながらにして日本食が恋しくなり、卵かけご飯定食を食う。
今回のメンバーはわたしの他、救援連絡センター局長・山中さん、元 連合赤軍兵士・植垣さん、椎野企画・椎野さん、Sさんの計5名。
搭乗。約4時間で北京空港へ。機内ではチーズチキンカツ出たがほぼ食べられず。胃の調子が悪い。
映画観たり、田宮高麿さんの本を読んだりして時間をつぶす。
12時50分頃北京空港到着。気候は晴れ。日本と同じく蒸し暑い。時差は1時間。
車から見る北京の景色は、上海に比べると劣るかもしれないが十分都会。なんかでも、中国ってへんな形のビルとか好きだね。
○○北京支局の方がこちらでいろいろとタクシーなど手配してくれた。ホテルに到着し荷物をといた後、朝鮮大使館へ。ビザ、無事取得。
北朝鮮のビザはパスポート大のカードで、実際のパスポートにはスタンプ等何も残らない。
夜までは自由時間のため、ホテルに戻った後、椎野さん、Sさんの3人で天安門広場へ。
バスで向かう車中、添乗員のオバサンが椎野さんに「あなた、こっちの席に座って、座ってるあなたは譲りなさい」と。若者も素直に応じていた。すごい親切。
天安門は有名な毛沢東の肖像があるあの門をくぐった。あとはあまり面白くもなく。奥に行っても門的なものが続いてるだけで。ただ、「天安門広場に来た」というだけでとりあえずの達成感。
門の中では、みんなが食っていたアイスキャンデーを買って食う。1元。ものすごく硬い。
暑い事もあり、他にもジュースの屋台などが出ていた。
帰りは地下鉄を使う。ものすごく混みあっていた。東京以上かもしれない。
地下鉄の通路にあった謎の自販機。なんだろうこれ。
夜、某ホテルにて火鍋をごちそうになる。
以前、上海で食べたものとは違うタイプだった。うまい。ビールがすすむ。
このホテルではエントランスで3人の女性がずっと楽器をひいており、それもまた素晴らしかった。
宿泊するホテルに戻り、借りていたよど号グループの陳述書を読む。
iPhoneでブログ更新。
ホテルにネット回線が繋いであるが、すごく遅い。そして、ツイッターは繋がらず。
iPhoneからはなぜか繋がる。
いよいよ明日、北朝鮮へ向かう。
日本にいた頃よりは、なぜか大分緊張が和らいでいる。もう来るとこまで来てるし、あとは成り行きにまかせつつ、いい画を撮るのみ。
続く
この間、素材の整理・編集や、よど号支援組織「かりの会」機関紙「かりはゆく」への原稿書きなどをしておりました。
そうしているうちに、だんだんと体験したことを客観的に見ることも出来るようになってきました。
映画『かぞくのくに』を観たり、横田滋さんの写真展へ行ったり。
「国交が無いお隣の国」という、近くて遠い国をどう考えるか、今まで使ったことない脳味噌を使ったりしてちょっとものの見方が広がった!
ならいいんですが、こんがらがって実は今に至ってもよく分からないでいます。
ただ、率直に言って平壌の滞在は非常に楽しく、また“全体的に”フランクで自由なものでした。
恐らく一般的な日本人と同じく、訪朝前のわたしが抱いていた北朝鮮に対するイメージは「拉致をする怖い国」・・・というものだったのですが、今は違って見えます。
ちょっとこういう意見も言いにくいところが、「国交がない」ということの悲劇なのかなーとも。
それはよど号メンバーも同じで、どんなお堅く、話の通じないような人達だろう・・・と思っていましたところ、拍子抜けするほど普通のオッサン達でした。
ほぼ毎晩、一緒に酒を飲み、歌って踊って。なんつうか、愉快な方々でした。
では以下、当日付けていた取材記を元に。
北朝鮮へは北京を経由して行くので、北京での1日から。
ギリギリまで荷物を纏めて朝6時過ぎの電車で羽田へ。
あまり眠れなかった。
搭乗手続き済ませ、集合場所のカフェで朝飯。
なぜだか急に、日本にいながらにして日本食が恋しくなり、卵かけご飯定食を食う。
今回のメンバーはわたしの他、救援連絡センター局長・山中さん、元 連合赤軍兵士・植垣さん、椎野企画・椎野さん、Sさんの計5名。
搭乗。約4時間で北京空港へ。機内ではチーズチキンカツ出たがほぼ食べられず。胃の調子が悪い。
映画観たり、田宮高麿さんの本を読んだりして時間をつぶす。
12時50分頃北京空港到着。気候は晴れ。日本と同じく蒸し暑い。時差は1時間。
車から見る北京の景色は、上海に比べると劣るかもしれないが十分都会。なんかでも、中国ってへんな形のビルとか好きだね。
○○北京支局の方がこちらでいろいろとタクシーなど手配してくれた。ホテルに到着し荷物をといた後、朝鮮大使館へ。ビザ、無事取得。
北朝鮮のビザはパスポート大のカードで、実際のパスポートにはスタンプ等何も残らない。
夜までは自由時間のため、ホテルに戻った後、椎野さん、Sさんの3人で天安門広場へ。
バスで向かう車中、添乗員のオバサンが椎野さんに「あなた、こっちの席に座って、座ってるあなたは譲りなさい」と。若者も素直に応じていた。すごい親切。
天安門は有名な毛沢東の肖像があるあの門をくぐった。あとはあまり面白くもなく。奥に行っても門的なものが続いてるだけで。ただ、「天安門広場に来た」というだけでとりあえずの達成感。
門の中では、みんなが食っていたアイスキャンデーを買って食う。1元。ものすごく硬い。
暑い事もあり、他にもジュースの屋台などが出ていた。
帰りは地下鉄を使う。ものすごく混みあっていた。東京以上かもしれない。
地下鉄の通路にあった謎の自販機。なんだろうこれ。
夜、某ホテルにて火鍋をごちそうになる。
以前、上海で食べたものとは違うタイプだった。うまい。ビールがすすむ。
このホテルではエントランスで3人の女性がずっと楽器をひいており、それもまた素晴らしかった。
宿泊するホテルに戻り、借りていたよど号グループの陳述書を読む。
iPhoneでブログ更新。
ホテルにネット回線が繋いであるが、すごく遅い。そして、ツイッターは繋がらず。
iPhoneからはなぜか繋がる。
いよいよ明日、北朝鮮へ向かう。
日本にいた頃よりは、なぜか大分緊張が和らいでいる。もう来るとこまで来てるし、あとは成り行きにまかせつつ、いい画を撮るのみ。
続く
私もこの記事をまさにアップされてすぐに読ませていただいていたのですが、ドキドキでした。
未知の世界はいつも緊張と不安でいっぱいだと思います。そんな中、気分を重くするような対応をしてしまい申し訳ありませんでした。
北朝鮮はレバノンの時とはまた違う緊張感があったと思います。
表現をすることが上手な赤目さんが無事帰ってこられたことが本当に嬉しいです。
また私たちの知らない世界を表現してもらえるんですもんね。
ブログも映画も心から楽しみにしています。