ちくわブログ

FIGHT FOR WIN!(へっぴり腰で)

リッダ闘争から40年

2012-05-23 00:38:25 | 映画製作
リッダ闘争(テルアビブ空港乱射事件)から今年の5月30日で40周年を迎えます。
リッダ闘争とその闘いに命を賭した若者、それにまつわった人々については、以下のエントリを閲覧下さい。


レバノン取材記・2 リッダの戦士達


「涙ではなく祭を」の遺言通り、東京・京都にて以下の通りイベントが行われます。

そして今回これに合わせ、当時日本赤軍と共闘したPFLPの女性活動家・ハイジャックの女王と呼ばれたライラ・ハリドさんが来日します。



詳細は以下の通りです。


以下転載
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【東京】
[The Forum for Mid East 2012 中東フォーラム2012]

アラブ民衆蜂起とパレスチナ解放
日時:5月26 日(土)
  ★フォーラム 午後3:00 〜 7:00
  ★レセプション午後7:15 〜 9:00
場所:明治大学和泉校舎メディア棟306 ホール
費用:1,000 円 (レセプション参加は別料金)
※事前申し込みは不要です。直接ご来場下さい。

<プログラム内容>
●パレスチナからの現地報告:ライラ・ハーリド
 問題提起:板垣雄三、藤田進、臼杵陽

ご挨拶
昨年2月に始まったアラブの民衆蜂起は、エジプト・カイロのタハリール広場に代表されるように、長年の独裁政権への抗議行動から社会改革運動へと進展し、それは今日まで続いているし、欧州各地での若者の暴動、米国のあらゆる階層によるオキュパイ=「99%運動」へと連なっていった。
勿論、アラブ各地域の「民主化要求」の中身は共通点もあれば、それぞれの特徴を持っている。
また、国際的には、まるでイラクやアフガニスタンで行われたように欧米の直接的な軍事攻撃が「人権擁護」の名で加わり、地域の覇権主義者が自国への民主化闘争の広がりを抑える為に他国へ策動介入する仕方などが並行して行われている。
 それらの民衆蜂起の根幹には、「中東で唯一の民主国家」と詐称するイスラエルによるパレスチナへの占領と繰り返す虐殺行為への抗議がある。
 イスラエルの暴虐を許し、それを擁護してきた国際勢力の中東支配と支配に加担してきたアラブ諸国政権への変革要求は、パレスチナ解放・建国を求めるアラブの民衆の意思の表現としても捉える事が出来る。
従って、アラブの民衆蜂起は、中東問題にとどまらず、現在の世界各地の情勢と直結して連動した問題としての特徴を持っている。
 今回、かってパレスチナ解放闘争の闘士として活動し、現在はパレスチナ女性同盟議長を務めているライラ・ハーリド女史を日本に招いて、パレスチナを巡る中東情勢の報告を受け、同時に、長年にわたって中東問題を
研究調査してきた諸氏の問題提起をお願いし、今後のパレスチナ連帯運動にとって実りあるフォーラムを開催したいと考えています。皆さんのご参加を!



【京都】
[2012パレスチナ連帯京都WeekEnd]

6月2日&3日 京大西部講堂
6月2日(土曜日)<<ライラ・ハリド来日記念スペシャル第 1 日>>
●5.30リッダ闘争40周年メモリアル・トーク&ライブ
 大友良英 (『幽閉者』サウンドクリエーター )
 PANTA( 頭脳警察 ) on 響
 ライラ・ハリド ( パレスチナ民族評議会議員 )
  *開場 :  PM4:00〜
  *開演 : PM6:00
  *終演 : PM9:00
 主催 : ライラ・ハリドさん交流全国委員会 ( 福島・東京・京都 )
 チケット : 前売・当日とも 1,000 円
 お問い合わせ : 京都大学西部講堂 Tel.075-751-9373

6月3日(日曜日)第2日
●アラブ民衆・情熱の歴史フォーラム2012

 特別公演 ライラ・ハリド 1944 年、ハイファ生まれ。
   1947年に故郷を追われてベイルートに移住。以後はPFLPの活動家としてパレスチナ建国に従事する。
   三度目の来日となる。

 討論参加ゲスト
   板垣雄三 1931年、東京生まれ。東大東洋文化研究所名誉教授ほか。
   イスラム・アラブ世界についての著書多数。日本中東学会会長など歴任する第一人者。

   鵜飼 哲 1955年東京生まれ。一橋大学教授、仏文・仏思想史。
   ジャック・デリダに師事した後、独自の精神世界を切り開こうと中東問題などにも積極的な発言をリリース。

   足立正生 1939年、福岡県生まれ。映画監督。日大芸術学部にて映画芸術を実践。
   学生時代より話題作を連発し、独自の「風景論」を展開。若松孝二との共作ほか作品多数。
   70 年代にアラブへと旅立ち、新たな地平を模索。

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転載以上


わたくしは全日程参加し、記録係も勤めさせていただきます。
皆様ご近所お誘い合わせの上どうぞご参加下さいまし。


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金環日食撮った

2012-05-22 04:17:11 | Weblog
というそれだけの記事です。


最初はあんまし興味なかったんですが、みんながやいのやいのいいよるんで、それでは自分も見ないことにはいかんのでは、という謎の強迫観念にかられて見ました。
寝てすぐ起きたんで非常に眠たかったです。


太陽はベランダから見れます。

しかし最初はどのように撮ったらいいのか分からず。
写らないなー・・・・

お、でもなんだかハレーションが面白い形してます。
真ん中のハレーションをよく見ると、三日月の形になってます。おお。


とりあえずシャッタースピードを未だかつて使ったことないくらい早く設定してみる。

あ、きた!!

さらに早く


撮れた!!


つうわけで撮れました。
せっかく起きたんで、真ん中に重なってからもしばらく見てました。


三日月みたいに、かけてる様もいかしています。


いやあ、神秘的な光景だなあ。
・・・・

いやしかし一人で見てても案外盛り上がりませんね。
ぶっちゃけ、肉眼で見るとなんか地味だし。


なんか、写真で見るほうが綺麗なんだよな。
なんでだ。
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進藤隆三郎さんのこと

2012-05-17 03:59:57 | 映画製作
進藤隆三郎さんは赤軍派兵士で、連合赤軍のいわゆる山岳ベースリンチ事件で2人目に亡くなった(殺された)方です。
以前も書きました通り、わたしは2月に行われた【連合赤軍殉難者追悼の会】にて、この進藤さんについて発言しました。

当時のお連れ合いだったAさんの証言を元にしたものです。


その後、ひょんなことから救援連絡センターの機関紙「救援」へ、この取材を通して感じたことなど書いてみないかと言われ、喜んで、と書かせていただきました。

すでに発行されている号に掲載されたようなので、以下同じ内容のものを転載します。
もし“連合赤軍全体像を残す会「証言」9号”をお持ちの方は、わたしの発言部分と合わせて読んでいただければと思います。


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『連合赤軍事件がわかつもの、繋ぐもの』



2月25日「連合赤軍殉難者追悼の会」が開かれました。

私はこの会に主催の「連合赤軍の全体像を残す会」の側から参加し、また、発言をさせて頂きました。
私は今、33歳です。団塊世代の息子世代に当てはまります。そんな自分がなぜこの会で発言するに至ったかと言いますと、現在「赤軍」に関するドキュメント映画を撮影しており、その取材の傍ら「残す会」の活動にも携わらせていただいているためです。


発言した内容は、赤軍派の坂東隊に所属し、1972年1月1日に榛名ベースにて亡くなった進藤隆三郎さんに関すること。当時、坂東隊の中で共に活動した、進藤さんのお連れ合いだったAさんから電話でお話を聞き、その内容を公開させていただきました。

それはマスコミや関連書籍から読み解く「進藤隆三郎像」とは違ったものでした。
元ヒッピーで女ったらし、赤軍派メンバーとしての意識の低さ等、一連の媒体で語られるキャラクター像や総括にかけられた要因は数あれ、Aさんの口から語られる進藤さんは、非常に硬派な考えを持った方でした。


秋田明大さんに触発され、東大闘争に参加。逮捕されて獄中で血を吐き、下獄後再び「新左翼でありたい」という想いから坂東隊に合流。その後、M作戦を繰り返し、革命左派と接近した赤軍は、山へ入ろうとしていました。
Aさんは「路線が違うのに、それはおかしい」と、進藤さんを止めます。「赤軍派を抜けて。抜けないなら目の前の警察署に駆け込む」
そう言ったAさんに対し、進藤さんはこう返したそうです。
「30分待て」
なぜ30分かと聞き返すと

「30分あれば資料をまとめて皆を逃がすことができる。俺が森のオヤジと赤軍派を守らなければならない」

と。


こうしてAさんは赤軍を離れ、進藤さんは山に入ります。後は、皆さんご存知の通りです。
森さんは彼の死を「敗北死」としました。

Aさんは赤軍派に入る折、森さんと坂東さんの前で決意表明を行いました。

「全ての人々が飢えることなく 全ての子供達が学べる社会にするため 邁進します」

Aさんはその宣言通り、進藤さんが、皆が生きていたら何をしたかったか、考えた末、寄せ場に行き着きました。
そして今もそこに住んでいらっしゃいます。


元・赤軍派の金 廣志さんは「それぞれの、亡くなった同志達は家族を形成できなかった。そのことがまことに、残念だと思っています」と、涙ながらに発言されていました。


以下のことは時間の都合上も考え、会では発言しませんでした。
当時、Aさんは進藤さんの子供を身ごもっていたそうです。それゆえ、山に入るという選択肢を選んだ進藤さんに愕然とした、と語っていました。

もし、進藤さんが山に入らなかったら。もし、家族を形成できていたら。
二人はどんな人生を歩んでいたことだろう。

個人の未来を捨て、大義に向かった彼ら。
彼らを突き動かしたものは何だったんだろう。それを少しでも知ろうという試みが、息子世代の私が作っている映画のテーマでもあります。


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以上。
写真は進藤さんたちが亡くなった榛名山のベース近く
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デパート屋上遊園地

2012-05-06 03:40:37 | Weblog
昔はよくありましたよね、デパートの屋上遊園地。


屋上ではなくとも、デパートの最上階にはたいてい、小さな遊園地があったものでした。
まだゲームセンターが不良のたまり場でチビッコ一人で行くには危なかった時代。われわれチビッコはそういった所でアーケードゲームを楽しんでいました。

『ダブルドラゴン』『源平討魔伝』『忍』『達人』『ワンダーモモ』・・・・
『ストライダー飛竜』の大迫力グラフィックとアクロバティックな動きに魅了され
『アフターバーナー』『スペースハリアー』の3D以上に3Dな体感に酔いしれ・・・・

ああ。よかったなぁ。カツアゲにあったりもしたけど。


・・・あ、なんか嫌なこと思い出した。
わたくし、友達と一緒にカツアゲにあった折「目つきが気に食わないから」と、一発よけいに殴られたのでした。

ひどい話じゃないか。



さておいて。


家からやや原付を走らせますと八王子駅なのですが、その駅ビルデパートの屋上がまさしく、そういった遊園地なのです。

デン

この寂びた空気がいかにもで、大好きなスポットなんです。
某日、八王子に用事がありまして、そのついでに久しぶりにこちらに立ち寄ってみました。

デパ地下で弁当を買い、強風にふかれながら憩いスペースで食うのがならわしなんであります。
屋上から見た八王子の街なみ。

休日だからかそこそこにぎわっており、お子様方のすこやかな笑い声がこだまし、すこぶる平和な雰囲気です。

ここの名物はなんといっても、こちらの巨大くま。

ピースしてますね。かわいいですね。
これはあれです。いわゆるエアー遊具ってやつで、中に入るとトランポリンと送風でちょっとした無重力的なあれが楽しめる未来アトラクションです。
制限時間があって、時間内に出てこないお子様はサーカスに売られます。



さて、飯も食ったしちょっとぶらつくか、と席を立ったら・・・

えっ。


えー・・・なんだー・・・終わっちゃうんだここ・・・


そうなんです。どうやら駅ビル自体が改修工事するらしく、こちらの由緒正しい遊園地も閉園するとのこと。

悲しみ。


そういうことなんで、じゃあ、ここに来るのももう最後だろうと、通報されるのも恐れず、写真を撮ってきました。
命がけの特写をご覧下さい。






こうやってあらためて写真で見ると、すでに廃墟っぽいな。


「閉園で大ピンチ 金魚あげます」


「屋上産まれ 屋上育ち」という、よく分からないウリがいかしている。
思わず「うまいの?」と思ってしまう。


プライズコーナーは筐体がボロイながらもしっかりしており、管理してる社員さんだかバイトさんの趣味全開であまりファミリー向けではない。



ショーケースにはfigmaやらそれ系フィギュアが「うそこけ こんなもん取れやしねえよ」てくらい飾ってあります。

まどかタイタスの先をゆく機動戦士まどかガンダムが。

これが許される管理の懐の深さがまた素晴らしいですね。


ソニックブラストマンも現役。これはおなじみパンチングマシィーンです。


グローブの使い込みっぷりが、歴戦のボクサーどころじゃない。



以上。
こうやって古いものが淘汰されてく歴史の歴史にならない瞬間を見るのは悲しいもんですね。
あと数日で、立川の第一デパートも取り壊されるのですが、わたしはそこの地下にあるスパゲティ屋「サンモリノ」が大好きなので、尚のこと悲しい。

かの池波正太郎大先生は「東京オリムピックが東京の風景を破壊した」的なことを書いて嘆いておられましたが、まさしく今の東京、いや、地方も含めて「新しいものにかわる」ということは「画一化する」ということであり、味も素っ気も無くなるってことなんですね。

最近も渋谷にご立派なイチモツができ、GWはたいへんなにぎわいと聞きますが、地方だろうが東京だろうが考えてることはみんな一緒で、どうしてもそういうところに人が集まってしまうんですね。

東京の人間に地方の人間を田舎者扱いする資格なんてないんです。
俺だってスカイツリーがどこかから見えたら「ウワーイ!」と写メ撮っちゃいますし。



という。
ある屋上遊園地の最後でした。
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【浅間山荘から四十年 当事者が語る連合赤軍】 開催のお知らせ

2012-04-28 13:41:48 | 映画製作
あの事件から40年。
3月に「連合赤軍の全体像を残す会」主催にて【連合赤軍殉難者追悼の会】が行われました。

そして来月の5月13日、今度はより外部へ向けたイベントが開催されます。

会議を重ねるうち、さまざまなゲストをお招きすることは決定したのですが、何より本人、当事者の方々から
改めて聞きたい、ということで「当事者が語る」となりました。


わたしは例によってこの会を取材させていただくのですが、今回もまた前回同様、お手伝いさせていただくことになりました。
「第一部 映像でふりかえる」がそれです。


以下、連合赤軍の全体像を残す会HPより転載。

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浅間山荘から四十年 当事者が語る連合赤軍

プログラムの概要がほぼまとまりました。
まだ、交渉中のパネリストが数人あり、今後さらに充実した出演者を予定しています。また、各部のパネリストも、今後入れ替えされることがあります。

第一部 映像でふりかえる
 当時の資料映像を構成、20分。
 馬込伸吾 制作、金廣志 監修

第二部 当事者世代が語る
 塩見孝也、鈴木邦男、三上治、森達也
 司会:金 廣志
 当事者四名は、以下各部を通じて出演します。

第三部 連合赤軍が残したもの
 雨宮処凛、ウダタカキ、大津卓滋、田原牧、山本直樹

第四部 世界に広がった若者の叛乱─企画中
 以下の方が参加の意向を表明し、その他の方も交渉中で、企画中です。
 パトリシア・スタインホフ、ピオ・デミリア

●日時:2012年5月13日(日曜) 午後1時30分〜午後6時
●場所:目黒区民センターホール JR目黒駅から徒歩10分
どなたでも参加できます。
●資料代:999円
 受付で連合赤軍関連文献の資料集をお渡しします。


参加の呼びかけ

 いまから40年前、日本を震撼させた事件がありました。
 公安権力は「それ見たことか」とばかりに、一旦掘り出した遺体を埋め戻し、記者の前でまた掘り返すという死者を冒涜する演出を繰り返しました。週刊誌には、書き手の品性が露わになる読むに堪えない記事が氾濫しました。
 しかし、心ある人たちは、無私の活動の果てに悲惨な最期を遂げた若者たちを深く悼み、悲しみました。
 それから40年たち、遺族の方々は今なお消えることのない悲しみの四十一回忌を迎えました。

 40年前の事件は人々の心に深い傷を残し、多くの人々は長い間そのことに触れることを避けてきました。
 しかし、この十年ほど、ひとびとはこの事件に再び光を当て、それが何を意味したのかを考えるようになってきました。多くの書物が出版され、この事件が新聞・雑誌の記事やテレビ番組で扱われることも多くなりました。映画の「実録・連合赤軍」は海外でいくつもの賞をとりました。また漫画の「レッド」は、文化庁の賞をとり、私たちを驚かせました。また、当時は生まれてもいなかった若い人々が、この事件に興味を持ち、本を読んだり、映画を見ています。
 歴史学の分野でも、はじめてこの時代とあの事件を正面から取り上げた学術的な大著『1968』が上梓されています。

 連合赤軍事件は、その5年ほど前から高揚した若者たちの運動を背景としていました。この大衆運動は、ベトナム戦争とそれが引き起こしたアメリカやヨーロッパで急進的な学生運動の大波に呼応しており、また、ソ連圏で起きたプラハの春などの清新な運動とも連動していました。67年から72年に至る大衆運動は、同世代の何割もの人たちが参加した広がりをもったこと、足掛け5年にもわたる年月の間持続したこと、さらに、全国各地でさまざまな課題を取り上げたことなどで、現代の日本の民衆運動の歴史の中でも特筆すべき性格のものでした。
 しかし、連合赤軍事件の後、この事件とその背景をなした大波のような大衆運動は、急速に退潮していきました。また、この時期からかなり長い期間にわたって陰惨な内ゲバが続き、それによる死者は100人に上るといわれています。
 以後数十年、連合赤軍事件は本格的な研究の対象とされることもなく、歴史の中に埋もれていったかのようでした。連合赤軍事件は、決して忘れ去ることはできないがあえて触れようとは思いたくない、のどに刺さった骨のように、人々の意識の底に沈潜していました。
 いわば、この事件とその背景をなした数年間は、数十年の間「正史」の外に置かれてきたのです。

 昨年、日本の社会は、激しい地震と大津波、引き続いて発生した原発事故の洗礼を受けました。人々は、長い間疑問も持たなかった日本の社会と文明の成り立ちと、これまでの世の中の仕組みに対して、考え直すことを強いられています。

 このような時代に、私たちは連合赤軍事件40周年を迎えました。
 この時にあたり、あの事件とあの時代に再び光を当て、それが何を意味していたのか、語り合い、考えてみようではありませんか。

2012年3月1日
                                          連合赤軍事件の全体像を残す会





参加していただけることになったパネリスト

8.大津卓滋
 弁護士、植垣康博さんの弁護を担当。横浜国立大学出身。

7.ウダタカキさん
 「実録 連合赤軍」に吉野雅邦役で出演。

6.田原牧さん
 東京新聞記者。

5.雨宮処凛さん
 フリーターなど、若く、つつましい生活を強いられている人たちの意見と感性を代表する著作や発言で知られる。
 「反貧困ネットワーク」副代表。

4.三上治さん
 ブント叛旗派の指導者。現在は、経済産業省前のテント村で奮闘している。

3.鈴木邦男さん
 新右翼の論客。
 連合赤軍無問題をめぐっても、積極的に発言している。

2.山本直樹さん
 漫画家。連合赤軍をテーマにした「レッド」を講談社の隔週刊誌『イブニング』で連載中。単行本は六巻まで刊行済み。

1.森達也さん
 ドキュメンタリー映画監督、作家
 現在、東日本大震災と原発事故のドキュメンタリー共同監督作品「311」を公開中。


参加の確定した当事者

青砥 幹夫さん
植垣 康博さん
前澤 虎義さん
雪野 建作さん

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転載以上。



と、
いうわけで。

今はろくすっぽお仕事もせずに、貧乏に磨きをかけつつ、こちらの映像を制作しております。
ご興味ある方、是非ご参加下さい。

ますます貧乏になり、塩イーターと化したわたくしと会場でお会いしましょう!!
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