ちくわブログ

おっぱい

東アジア反日武装戦線“狼” ・ 大道寺将司の死

2017-06-08 22:39:49 | 映画制作
元・東アジア反日武装戦線“狼”の実質的リーダーであった死刑囚、大道寺将司さんが亡くなった。
5月24日、多発性骨髄腫により死亡。


赤軍派を取材する前、国内の様々な過激派、武装闘争を試みた人々のことを調べていた。
その中でも東アジア反日武装戦線について書かれた、松下竜一著『狼煙を見よ―東アジア反日武装戦線“狼”部隊』と鈴木邦男著『腹腹時計と<狼>』からは多くのことを学ばせてもらった。
彼ら団塊の世代特有の戦争犯罪に対する「原罪意識」は、我々世代にとってそこまで絶対的なものではなかった。だからこそネット右翼等が生まれたのだと思う。

だからと言って、わたしは彼らのことをそれほど追いかけなかった。やったことの過ちが、あまりに明確で受け止めきれないものを内包しているため。
一度、支援者の方々に頼まれて死刑制度反対についてのトークに参加したが、その時も明確に「死刑反対」とは言えなかった。当時の週刊誌を集めると、生々しい現場の死体写真が写っている。それを見ると国家が遺族に代わり、加害側に死の制裁を与えるのはやむないことだと思っていた。
政治犯に限らず、あらゆる殺人事件においても。

特にそれからは少し距離を置き、一年に一度頼まれて支援者の集会を撮影する程度だった。

ただ、わたしの中で大道寺将司は絶対的な存在だった。
誰も持ち得なかったヒューマニズムと感性、そして実行能力と屈強な意志。人間としてここまでやれる意志の力は、その部分だけ切り取ってみれば、ある種のヒーローのように感じた。これは日本赤軍の奥平剛士さんに対して感じるものと同じだ。

だからと言って、自分は大道寺さんの死に対する言葉を何も持ち合わせていない。
ただ記録することができるのは自分だけだ、と思い2日間にわたって山谷で行われたお別れ会に参加した。






以下、現地で聞いた言葉。


会場の外で山谷のオッサン達と酒を飲んでいた外国人の日雇い労働者らしき人。突然、話しかけられた。
「42年、ハンパじゃないよ。やったのことは悪いよ。でも中で変わるでしょう?それは外に出さなきゃダメ。人間にそんなことやっちゃいけないよ。42年だよ?ガバメントが悪い」

支援者
「『加害者なのに盛大に惜しまれながら見送られるのは違うのではないか』といったことを言っていた。
自分自身が病気で痛みをずっと耐えることによって、被害者の人達が具体的にどんな思いをしたかという事を、本人も分かる思いがあったのではないか…今は、おつかれさまという思い」


かつての同志
「あの日みんな死ぬ予定だった。『死ななければならない、死ななければならない』と思いながら皆取調べを受けた。…その後色々な人に出会い、自分達の責任の取り方は死ぬことではないのだ、と教えられた。生きて責任はとれないが、死んでも責任はとれない。彼らが死刑制度反対の先頭に立ったことはすごいなあ、と… 自分の事を『死刑になって当たり前』と思う中、それでも自分を含めた皆を殺すな、というのはすごく苦しかったし勇気のいることだったと思う」


支援関係者
「私たちは想像力が足りなかった。学生運動時代『大道寺君たちが正しい』と思っていたが、実際に飛び散った遺体等の写真を見れば、それによってこういうふうになる、という必要な想像力が、大道寺さんたちにも足らなかった」


支援者
「ある日の面会で『人を殺めたことがある人間と、そうでない人間の間にはとてつもなく大きな壁がある』ということを言っていた。それはもちろん74年の三菱重工爆破で、8人の人を殺めてしまっているという、そのことが自分にとってどういう重みを持っているか、という。そうでない人間には理解しようの無いものとして残り続けている。そういう風に捉える事ができた。
(病気になり)自分の死の苦しみと、身体的な痛みと闘うということは、それは同時に74年の8月、あの丸の内で傷ついた、死んでいった、あるいは重軽傷を負った人達が、どういう苦しみを持っていたかということに改めて直面する日々であったと。そういうふうに思います」



以上。



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ビッグ野郎

2017-05-23 01:26:46 | Weblog
「ワシ、チンポだけはデカイんですわ。そらあもうビッグだんねん」


酒が入っての事とはいえ、やにわに語りだしたちくわ氏(38歳・童貞)に一同はドン引きしながらも相づちをうつしかなかった。
彼の孤独は、まだまだこれからなのだ。

そのことを知る大人の友人たちを持ち得たことは、彼にとってただひとつの幸運であった。


風俗嬢からの一言のお世辞が、今の彼を生かすものの全てであった。

孤独はまだまだ、これから。



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日常に潜む姫宮なな

2017-04-26 04:26:48 | Weblog
ある日。
東京拘置所へ向かうため小菅駅へ降り立ったわたくしは上記のようなポスターを見た。

あ、かわいい。

困っている顔がすごくかわいい。

以来、東武線に乗るたびにこの「姫宮なな」という女を盗撮した。
ご覧頂きたい。





















笑顔より困っている顔がいいと思う。
わたくしは駅員さんに尋ね、この女に会わせてもらうことにしたのだ。

教えられた通り「東武鉄道 お客様センター」に向かったわたしを、彼女は待ちうけていた。

「サインをくれ」

困った顔をすると思ったが、渡してきたのはこのような名刺だった。




キミは自分のよさが、ぜんぜん分かっていない!!!



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浴田由紀子さん・釈放

2017-04-05 00:36:15 | 映画制作
「出発にあたっての私の決意の第一は、『もうだれも死なせない革命をやる』ということでした」



東アジア反日武装戦線“大地の牙”にて連続企業爆破事件に関与、そして77年ダッカ事件により日本赤軍に合流した浴田由紀子さんが先月釈放されました。

当日の早朝、東京拘置所へ。

まだ誰も来ていない。

数日前、支援者の方と打ち合わせはしていた。
この日のために約4年間、毎年あることを手伝っていた。それを無駄にしたくないし、一方で42年ぶり(日本での刑期は22年)に日本の娑婆に帰還する人においそれとカメラを向けていいものか。
いつも重大な事象を撮る時に出てくる罪悪感のようなものが気を重くさせたけど、エゴだけで撮るわけじゃないんだ、と自分に言い聞かせる。

そういうことを考えながら自分を奮い立たせていると、猫が来て遊んでくれた。





なんかスゲーなごみました。


ぽつぽつと支援者、お迎えの車がやってくる。マスコミも4社ほど来ていた。

みなさんと「どう動くか」を改めて確認する。
支援者もわたしも、とにかく「本人の希望を第一に」ということで一致した。

マスコミの取材は断る、とのこと。これは救援連絡センターのボス・Yさんが「俺が抑えるから大丈夫」と請け負ってくれた。
そうしてマスコミの方々は横一列に並んで、行儀よく出所を待っていた。本当に何も撮っていなかった。

一方でわたしは「車で出て、そのまま合流地点まで行く」とのことなので、どうにか何かを撮れないか探っていた。
前述の通りわたしと、支援者に深く内通した韓国人監督は撮影を許されていた。

近くの広場に出入り口を覗ける場所がある。
そこで出所時間の7時30分まで待った。





やがてそこに支援者の迎えの車が停まった。
その窓越しに、かすかに出所する浴田さんの姿をとらえた。
送り出す刑務官に深々とお辞儀をする浴田さん。

ああ、撮れた。これをずっと待っていたんだ。

手ごたえのあるものを撮った時の、独特の高揚感を抱えたまま、合流地点のファミレスに向かう。
浴田さんはすでに多数の支援者、関係者に囲まれてコーヒーを飲んでいた。

その後の撮影は、ある程度自由にさせてもらえた。
移動の車中等で話をさせてもらうと「本当に優しいただの若者がいわゆる『テロリスト』になった、なってしまったんだな」と思った。

ずっと笑顔で、はつらつとしていて。
時代と個人の相性もあるだろう。そしてこれまでの取材で「人との出会い」があの時代、武装にはしった人々の起点であるような気がする。

浴田さんにとって、その人とは齋藤和(のどか)さんということになるだろう。
齋藤和さんは浴田さんのパートナーであり、“大地の牙”メンバーだった。
その齋藤さんは東アジア反日武装戦線が共通して持っていた意志「逮捕されたら持ち歩いている青酸カリで自殺する」を唯一成し遂げた人物だった。
その辺のことは『でもわたしには戦が待っている』という本に詳しく書かれている。


「あなたを死なせて自分は死ななかったことの後ろめたさも大きく私のなかにありました」

連続企業爆破事件に関与し、人を傷つけ、パートナーも死に、自分は生き残ってしまったその総括を引きずりながら。
77年、浴田さんは日本赤軍の奪還要求に応えアラブへ飛びました。



「どうですか?約40年ぶりの日本は」と聞くと「まるで外国みたい。どこも変わってて」と。
「とりあえず出てきて何が嬉しかったですか?」「さっきのファミレスで大好きなコーヒーが飲めたこと!2杯も飲んじゃった」


どういう経緯か知らないが、浴田さんは釈放とほぼ同時に本を出した。

児童文学だった。

優しい筆致で書かれたその本を眺めながら「優しすぎる人はどこまでも行ってしまう、という事は本当にあるんだな」と思った。





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死と生をめぐる

2017-03-13 21:07:26 | 
夢と目覚めの間を行き来することがよくある。


夢の中で、たまに訪れる街があって、そこにはいつも地方都市を旅した時に感じるような、ある種の郷愁が漂っている。

ある日、その街を歩きつつ「もう2時間後には起きなければならないのに」とあせりながら、それでも目覚めに向けてゆっくり散策し、たまに喫茶店に入ってコーヒーのようなものを飲んだりしていた。

ずっと歩いて街の端に行き着くと、海のような、大きな川のような開けた場所に出る。
夜があけて周りが明るくなってくると、海辺だか川辺には様々な種類の生き物がいた。見たことのないような虫もいる。綺麗なカラークラゲもいる。
水辺に坊さんが3人、念仏を唱えながら歩いていた。
「絵になるなぁ」と思いながらカメラを構え、海だか川に近づいていった。そのまま水の中に入ってしまった。
塗れてしまった。どうしよう。もう起きなきゃいけないのに、目覚めまであとどれくらい歩かなくてはいけないのだろう?

困っていると平泳ぎしながら伯父がニュッと出てきた。
伯父のことは、やっさんと呼んでいた。

「ああ、やっさん助かった。今から帰るんでしょう?俺も帰るんだ。このあたり不慣れだから車で送ってってくれよ」

そう頼むとやっさんは、濡れた俺の背中をバスタオルでぽんぽんと優しく拭いた。子供をあやすようなあの独特の、情のこもった手つきで。
不思議だな、と思った。

親でもない、数年に一度会うか会わないかの仲なのに。
おじさんやおばさんという存在は、時折実の親子のような優しさや厳しさを見せてくれる。

「一緒に帰ろう」と言うと、やっさんは困ったような笑顔で、無言のままずっと背中を拭いてくれた。
もういい、もういいって乾いてるから。


そう思って言おうとしたところで目が覚めた。


これから仕事で12時間は超えるだろう重たい撮影がある。
ヘンな夢見ちゃったな。



やっさんは、去年のクリスマスに亡くなった。
おばさんに「寝る」と言って就寝。そのまま翌朝それこそ寝てるように死んでいたらしい。

近しい人が死ぬと、いつも悲しみが遅れてやってくる。
感情の吃音という言葉をどこかで読んだが、そういうものだろうか。でも多くの人は、近しい人が亡くなると、その喪失に感情がついていかないものだと思う。


シャワーを浴びながら、夢のことを思い出し、やっさんの葬式に出れなかったことを悔やんだ。
同時に、夢の中で背中を拭かれた時に感じた優しさを思い出した。

子供の頃、何度も夏休みに泊まりに行って世話になった。自分から進んで行くというより、両親が子供の自立心を養わせるために、熊本の実家に俺と兄を預けた。
その間、おじさんとおばさんが親のような存在になる。

そういう、両親以外の親のような存在だった。

唐突に様々な思い出が巡ってきて、涙が止まらなくなった。
俺はやっさんの、あの優しさに報いることができただろうか。結局なにも返せていない。もう全て遅い。そういう不義理を自分はやってしまった。

死という事象は人の感情を酌量しない。ただそこにあって、そこから先は何もできない。
墓参りも、手を合わせることも、生きている人間の気休めでしかない。
「お別れの数時間復活」みたいな準備があればいいが、ない。




仕事で熊本を訪れた折、帰りを1日遅らせてもらって母の実家、つまりおじさん、おばさんの家を訪れた。6年ぶりのことになる。

子供の頃、じいちゃん、ばあちゃん、おじさん、おばさん、いとこの兄妹がいたこの広い家も、今はおばさん一人になってしまった。

家に上がり、仏壇の遺影に手を合わせると涙がぶわっと出てきてしばらく止まらなくなった。
その状態でロウソクの火を消そうと手を振り下ろしたら、線香を手の平に「ジュッ」と叩きつけてしまい、小さな根性焼きが。


玄関の正面には犬小屋がある。

もうとっくに死んでしまっただろうと思っていた飼い犬のゴマが、まだ生きていた。失敬な。ごめんね。
立派なおじいちゃん。あれ?オスだっけメスだっけ。

もうほとんど眼は見えず、耳は聞こえないらしい。認知症も進んでいる。そのため人が近づくとおびえるらしい。
排泄も自分ではうまくできず、オムツをしている。

昔は、近づくとぴょんぴょん跳ね、ワンワン吠えて腹を見せてなついてきた。
腹をなでてやると目を細めて幸せそうな表情をしていた。その顔が大好きだった。

もう俺のことも分からなくなっているだろう。
ここまで近づいても寝てる。

「ゴマ、ゴマやーい」
しばらくすると、ムクリと頭を上げた。

白濁した眼がこっちを見ているようで、どこかを見ている。少なくとも「人間がそこにいる」という認識はできているみたいだ。
なでて、耳の近くで「おい、ゴマよ。俺だ」と言うと、ピクンと反応した。

耳の下をわさわさしてやると、そのまま体重をかけ、リラックスしながらフンフンと鼻を鳴らして目を細めた。
一応昔会ったことがある誰か、という信頼はされているようで良かった。


翌日、おばちゃんに頼んで父方の祖母を老人ホームに訪ねた。
寝たきりで痴呆になって数年経つ。そして何度か「もうダメかもしれない」と言われてきたがたくましく生き続けている。

祖母は昼飯を取った後、車椅子でグッスリと寝ていた。
職員さんが起こそうとしたが「お腹いっぱいで気持ちよくなっちゃったみたいですね~」と。

子供の頃、こちらの祖母はちょっと厳しい人という印象で、私はもっぱら母方の祖父・祖母になついていた。
しかし今はもう本当に優しい表情で、なんかかわいい。憑き物が落ちたよう、というか。お肌もスベスベしている。
そういう表情になって死んでいくというのは、本人にとって幸せなことなのかもしれない。
自分の息子が、突然先立ったことも知らない。


その後、父方の実家へ顔を出した。

ちょっとヘンな話だけど、うちの両親は兄弟と姉妹で結婚している。そのため実家同士が近い。

茶をもてなされていると、近所に住むいとこが2歳の子供を連れて遊びに来た。
ずっと死や老いについて考えていたけど、この小さな命が言葉になってない言葉を話しながら体中のエネルギーを迸らせるように動き回っているのを見ていると、周りのもの、空気、景色も全ての彩度が上がるように感じた。

こうして世代は変わるんだなあ。俺もオッサンだし、間もなくおじいちゃんにだってなるのだ。
そうなのだ。

おばちゃんから聞いた話だと、いとこの娘(従姪)が若くして子を産んだらしい。えー、つまりおばちゃんが曾祖母になったという。
ということは俺は世代的におじいちゃんでもおかしくないのだ。

ぼんぼん子供産めばいい、と思う。


帰りまでの時間、おばちゃんとコーヒーを飲んで、人吉城跡に連れて行ってもらった。



「登るのは疲れるから」と、一人で石段を登り、二ノ丸から人吉市を望む。









6年前、母方の祖母が亡くなった時にもここへ来た。
人の死に触れたあと高い場所に登ると、何かその風景に不思議な印象を残す。






駅でおばちゃんと別れた。





これから、あの広い田舎の家でおばちゃんはずっと一人で過ごすのか。
しばらくは何度も人知れず泣くのだろう。薄い色の中で、誰にも気付かれずに、慰めも自己憐憫も何もない涙を何度も流すのだろう。

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