ちくわブログ

おっぱい

プーちゃん なに見てんの。

2017-09-22 06:33:04 | Weblog
先日、実家で飼っていた猫のプーちゃんが亡くなった。


何歳かは不明。たぶん20歳弱。大往生。
今年の正月に帰省した時にはずいぶん弱っていた。ただ、これからおばあちゃんになっていくんだろうな、くらいにしか思っていなかった。







その約半年後、仕事で夏前に帰った頃には、もうほぼ歩けていなかった。


猫の寿命についてちゃんと考えてなかった。

夜中、ほとんど一日中そこから動かないクッションの上で寝ているプーを撫でると、まったく起きずに何の反応もせず寝息をたてている。
「もうお別れかな」
次に会えるのは、恐らく今年の年末。その頃にはもう生きていないんだろうな、と覚悟した。

元気だった頃は寝てる時に撫でると、すぐに起きて「触るなよ」と言わんばかりにプリプリと逃げてってた。


プーちゃんは子猫の頃、元の飼い主から虐待されて、どういうわけかうちの実家へやってきた。

人間を信用せず、高いところが好きで、最初の頃は母と父にも触らせてくれなかった。
動物好きの母はそれでも何とかしようと、愛情を注いで、手には引っかき傷が絶えなかった。

やがて2匹目の猫、弟分となるモモちゃんがやってきた。

モモは甘えん坊で臆病な性格で、いろんな面でプーと対照的だった。

分かりやすいのは鳴き声だった。
モモは母に甘えに甘え、「ミャーーオ、ミャーーーオ」とうるさいほど鳴くが、プーはごくごくたまに、宝石のような綺麗な声で「ミャッ」と鳴いた。

そういう正反対の性格が幸いしたのか、2匹は本当の姉弟のように仲が良かった。







しかし見事なまんまるだなあ…

高いところと狭いところが好きで、冷蔵庫から棚の上、ぴょんぴょんと飛び回って家族を見下ろしていた。







たまに、じーーーっとこちらを見てきた。



「なに見てんの?」と声をかけて手を振っても、目を静かにパチクリさせるだけだった。

猫の瞬きは信頼の証、というが、どうもうちの場合は、人間の言葉にすれば「別に」って感じだった気がする。
無視、とかじゃなくて、声に出して「別に」という。

ここ数年はもう馴れたもので、近寄っても逃げなかった。
あまり高い場所にも登らなくなった。





夜中、一人で居間にいてテレビなんか見てると、そっと覗きに来てうろうろ机の周りを2~3周した後、膝に乗っかってきてくれた。
なんだかそれは帰省するたびの恒例になっていた。

兄と一緒に昼寝してるところ。

わざわざ人のコップで水飲んだりする。

油っぽいものに目がなかった。


元気がなくなってから、弟分のモモはプーにぴったりと寄り添っていた。



母の話だと、体中ベタベタになるまで寝続けるプーを舐めていたらしい。

そして亡くなってからは、その亡骸の上に重なるようにして乗っかり、離れなかったそう。



人間を信用しなかった猫が、何年もかけて人間を信用して、最後は母の腕の中で亡くなってくれた。

わたしが上京してからずっと母と父と一緒にいてくれた。
信用も愛情も、与える対象次第なわけで… プーはそういったものを、子供がいなくなった我が家に与え続けてくれた。

ありがとう、忘れないからね。
安い言葉だけど本当にそれしかない。感謝しかない。


そうしてプーのことを思い出すと、目をパチクリさせて「別に」って言ってそう。
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北朝鮮から帰ってきております。

2017-08-29 21:15:56 | 映画制作
行く前はさんざん「キミと会うのもこれで最後か…」とか言われていたのですが、普通に帰ってきました。


今朝もまた北朝鮮からミサイルが飛んだようで…
こんな緊迫したご時勢ですが平壌は平和でありました。


今回の目的は第一に、自分の映画『赤軍の人々』の取材。
5年前の訪朝時から今、彼らがどのように変わったか。あの後、日本人村(彼らが住んでいる平壌の郊外にある村)が開放されマスコミ取材があり、ヨーロッパ拉致疑惑の国賠訴訟、ストックホルム合意、他諸々… 様々な出来事がありました。
その一連の動きと彼らの今、そして解放された日本人村内を撮影してきました。


もう一つは、国内支援者による日本人村(よど号グループ)サイト作成と、それにまつわる諸々の会議。
わたしはこの中で映像を担当することになりました。


ここが重要で、今回の異例の訪朝は「よど号支援の名目」がなければ果たせませんでした。
実はこの数年、2度にわたってわたし自身の訪朝が却下されていました。
どうすれば行けるかということを考えた時、彼らに協力する自分自身の名目が必要でした。


さて。
5年ぶりに訪れた平壌の街は、ガラッと近代化され明るくなっており、そのめざましい発展ぶりに驚きました。




夜はネオンがそこそこきらびやかで、女性や子供を中心にファッションも明るいものに変わっていました。


詳しい事はまた順を追って書いていきたいと思います。



以上。



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「拉致疑惑」と帰国 ---ハイジャックから祖国へ
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えん罪・欧州拉致 -よど号グループの拉致報道と国賠訴訟
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謝罪します
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北朝鮮に行ってきます。

2017-08-08 23:26:49 | 映画制作
5年ぶり2度目の訪朝です。


久しぶりによど号グループの皆さんと会ってきます。

明日北京へ入り、明後日から北朝鮮へ。
平壌の風景も以前と変わっているらしいので、楽しみです。



以上!!
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『浅間山荘から45年「連合赤軍とは何だったのか」』に参加して

2017-07-24 02:19:28 | 映画制作
先日はご参加いただきありがとうございました。
このブログ読んでる方で参加された方がいるのか謎ですが…

満員御礼で150名強のお客さんのご参加をもってイベントを終えることができました。
3部構成で「戦後史」「映画」「作家」と、それぞれの切り口で語られる連合赤軍はやはり『よど号事件』や『日本赤軍』等の、赤軍派から派生した他の現象とは違うもの、興味への根本が別次元である「人間」そのものを扱う事象として再認識させてくれました。


詳しくは『連合赤軍事件の全体像を残す会』の公式ページからどうぞ。

まあただ時間がめちゃくちゃ少なかった。
これだけ豪華なゲストを呼んで、1部につき1時間は無茶もいいとこでした。


あと、
かんじんな俺の映画の予告編が間に合わなかったが「どうなってんの」という声は1名のお客様からしか聞かれず、悲しかった。金返せとか言ってほしかった。

印象的だったのはやはり自分が深く関わっているからでしょう『第2部 ≪映画がとらえた連合赤軍≫』で、足立正生監督大暴走で司会ハイジャックを敢行し、思いっきり自分のペースに持ち込んでました。

内容は主に若松孝二監督『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』の有名なセリフ「勇気がなかったんだよ!」を巡るやりとり。
この映画で最も議論に上がることが多いシーンなのですが、わたしもこのセリフが、この素晴らしい映画を一気にダメにしている部分だと思っています。
ひとつの事象を再検証する時、送り手である個人の感情を爆発させる事は、最もやってはいけないことだと考えているからです。

だってこの人達、まだ生きてるわけです。昔のこと、終わったことではありますが、まだ45年前の出来事なんです。
「勇気がなかった」というのは、そういうことを彼がもし本当に言ったとしても、ああいう演技でやらせては駄目でしょう… と。

例えて言うと、ドキュメント見てたらいきなり感傷的な音楽が流れてしらける、あの感じです。
だからこそ、はまる人にはぴたっとはまる演出だとは思いますが。


足立監督はこのシーンを「『勇気』が違う意味にされ、慙愧に堪えない」「革命をやろうとする中で、悩むこと、わからないこと、疑問に思うこと、それを認めて引き受けることが『勇気』だと思う」と語りました。

そこであることを思い出しました。

3年ほど前だったか、何かの帰りに足立監督が唐突に「これからの運動(自分たちがやってきたこと)はお前が担え」と言い出しました。ふざけて「俺に運動だとか活動なんてできるわけないじゃないですか!俺がそんなことやれるって思ってます?」と笑いながら言うと、「やれる。お前はできない事は『できない』と言う。だからやれる」と帰ってきました。

何を言ってるんだろう… と思いましたが、つまりこの『勇気』にまつわることを言っていたのかもしれません。


よど号も、連合赤軍も、日本赤軍も、彼らの運動・活動は失敗続きでした。
それは今という現状がなによりも物語っています。

だからこそ、その敗北の積み重ねと個人の姿勢を、足立監督は重要視しているのかもしれません。


闇を闇として、それでも前に進む。そういうことを何十何百と積み重ねることが、革命には必要なのでしょうか。
革命に敗北はあっても挫折はない。

ということで。


今、同じように「お前がやれ」と言われたら「嫌でございます」と即答しますが。



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浅間山荘から45年「連合赤軍とは何だったのか」

2017-07-09 22:44:59 | 映画制作
前回から5年。
今年は少しおもむきを変えて、渋谷LOFT9にて開催いたします。

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OPEN 12:30 / START 13:00
予約¥1500 / 当日¥1800(+飲食代)
場所:渋谷LOFT9
東京都渋谷区円山町1-5 KINOHAUS(キノハウス) 1F


チケット予約

【第1部〜3部まで登壇の連合赤軍当事者】
植垣康博(赤軍派)、前澤虎義(革命左派)、岩田平治(革命左派)、雪野建作(革命左派)
【司会】金 廣志、椎野礼仁

第1部 ≪戦後史の中の連合赤軍≫
白井 聡(京都精華大学専任講師)
鈴木邦男(一水会元顧問)
青木 理(ジャーナリスト)

第2部 ≪映画がとらえた連合赤軍≫
足立正生(「実録連合赤軍の最初のシナリオ執筆」)
掛川正幸(「実録連合赤軍」決定稿シナリオ」)
青島 武(シナリオライター。連合赤軍を描いた「光の雨」等多数)
原渕勝仁(フリーTV番組制作者)

第3部 ≪作家が描いた連合赤軍≫
桐野夏生(作家。最新作は連合赤軍の女性を描いた『夜の谷を行く』)
山本直樹(エロ漫画家。連合赤軍を詳細に追った『レッド』を連載中)
金井広秋(慶応大学の紀要に「死者の軍隊」を連載。彩流社刊)

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第2部 ≪映画がとらえた連合赤軍≫にて足立正生・若松孝二監督による『赤軍‐PFLP 世界戦争宣言』の3分バージョンを上映します。



あと、あと!!わたしが作り続けている赤軍派のドキュメント映画『赤軍の人々(仮)』の「現状報告版」予告編も上映します!!
これにつられて来る方はいないであろうことは分かっているんだ。でもやっと、撮った映像を編集して皆さんにお届けできる、初めての場となります。
北朝鮮・レバノン・日本全国をロケした内容をギュッとつめこみます。
何卒何卒よろすくね。


先日、初夏のあさま山荘に行ってまいりました。
事件時の季節とは違い、草木が生い茂り全容が見えないさまはまさに要塞。本当にいいロケーションだなーと思いました。

ついでにメル斗さんの案内で「さつき山荘」があった場所にも行き、ここからこうしてあさま山荘に辿りついたんだろうか?と二人で想像したりしておりました。


では皆様、当日LOFT9でお会いしましょう。



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