ちくわブログ

ちくわの夜明け

連合赤軍殉難者追悼の会 ご報告

2012-02-29 01:07:37 | 映画制作
「なんでお前はとっととブログを書かへんのや」と、関西の某関係者の方に怒られたので書きます。


といっても、まだ素材プレビューしたくらいなので無事終わりましたよ程度のご報告を。

当日は約70名の方々にご参加いただきました。
中には若い参加者も見受けられ、「ああやっぱりこういう会は意義があるんだよ」と思わせてくれた次第。

マスコミさんはNHKやTBS、共同通信その他・・・
いろいろ来ておられました。

わたくしはもう、自分が発言しなきゃいけないし、映画用・兼「残す会」記録用のカメラをまわさなきゃいけないしで、いっぱいいっぱいでございました。
実際、よく覚えていない。


前回の記事の通り、わたしは進藤隆三郎さんのお連れ合いだった方との電話によるやりとりからお聞きした内容を公表させていただきました。
その内容は、今まで語られていなかった、進藤さんの赤軍への真摯な想いがつまったものでした。
ある元・赤軍派の方は、この公表内容に、目にいっぱい涙をためていた、とのことでした。



「連合赤軍事件」問題については、これまで長きに渡って内部でも外部でも意見が別れていました。
主に指導者である森恒夫さん、永田洋子さんの責任問題について。

12名を「殺す」に至ったのは誰の責任か。
個人か?場か?新左翼の歴史そのものか?


この40年という節目を迎え、これだけ当時の人々が集まるのは恐らく最後だろう、ということで、あくまでそういった「意見の相違」は超えて発言されることが望まれていました。
「追悼」という会の趣旨、大前提です。

結果的には皆さん、本当に紳士で立派な総括をはらんだ発言がなされました。
会の雰囲気もとても良かったと思います。


会の終わり、元・赤軍派議長の塩見孝也さんにインタビューしました。
塩見さんは長く、「永田洋子の個人的な責任」について、元関係者の方々と意見が別れていました。
しかし、最後にはこう言っていました。

「40年という節目を迎え、もっと大きな歴史という視点から彼女を捉え返さなければいけない。これまでのように『過ちを犯した人』というだけで見ていくわけにはいかない。彼女の全体の生涯を見渡せば、明らかに人民の側に立った民衆の戦士だった。まず、殺された側に思いを馳せ、そして殺した側にも想いを馳せなければいけない。その想いをもっときちんと自覚し、永田さんに象徴させていく。ただ一方でそれを、12名の死と同一視するべきではない」


この「同一視しない」というのは「残す会」としても同じだと思います。森・永田両氏を「殉難者」とはしていませんでした。
あくまで、追悼はすべきだ、との立場です。



3次会だか4次会だか・・・・
ゴールデン街をハシゴしておりました。
その席で元・赤軍派のある方が「なんのかんの言っても、やっぱり塩見は俺らの大将なんだよ」と。

酔っていたこともあるかもしれませんが、ああ、何年もやりあっててもこんな言葉が出てくるんだ、と思いました。
「同志」っていうのはこういう関係なのかもしれないなー、と。
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連合赤軍殉難者追悼の会 のお知らせ

2012-02-24 03:15:40 | 映画制作
ギリギリの告知になってしまった・・・


今週末土曜日(2012年2月25日)『連合赤軍殉難者追悼の会』が開催されます。
以下、「連合赤軍の全体像を残す会」HPより転載します。

HP内の記事はこちら



以下転載
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2月25日、連合赤軍事件で短い生涯を終えた若者たちを悼み、彼らの抱いた理想と夢を偲ぶ集会を開催します。

参加の呼びかけ

 連合赤軍事件から長い歳月が過ぎ去り、遺族の方々は四一回忌を迎えています。
 同志、友人、事件に関心を持つ心ある人々も、犠牲となった人たちを偲び、改めて事件の重さに想いを致していることと思います。
 9年前に私たちは「連合赤軍殉難者追悼の会」を開催しました。今年は事件から40周年にあたり、再び追悼の会を行います。
 こんなに長い年月が経っても、事件は人々の記憶から去らないだけでなく、むしろますます深い関心を集めています。映画「実録・連合赤軍」(若松孝二監督)が多くの観客を集め、漫画「レッド」(山本直樹)は文化庁の賞を受賞しました。
 このことは事件がすでに「歴史」の領分に属していることを実感させました。
 長い歳月がたち、遺族と関係者に物故者も多くなった時点で開催する今回の追悼会は、おそらく多くの人たちが参加できる最後の機会となるでしょう。
 関係者の皆様の御参加をお願いいたします。


                                 連合赤軍事件の全体像を残す会
                                             植垣 康博
                                             金  廣志
                                             前澤 虎義
                                             雪野 建作


2012年1月15日



日時:2012年2月25日(土曜日) 
    午後5時45分開場、6時開会
場所:東京しごとセンター 5階セミナー室
   飯田橋駅から JR中央・総武線「東口」より徒歩7分
          都営地下鉄大江戸線・東京メトロ有楽町線・南北線「A2出口」
          より徒歩7分、東京メトロ東西線「A5出口」より徒歩3分
地図
  ※資料・花代として1,000円を受付でお支払い下さい。


●取材を希望されるメディアの方へ
事前に下の「お問合せ」より、氏名、所属、Eメールアドレス、電話番号をお知らせください。
所定の制限に従っていただきますが、取材は可能です。

●平服でいいの?
という問合せがありました。
故人を悼むという会の趣旨に反しないものであれば、平服でかまいません。(2月16日追記)

●一般の人でもいいの?
との問合せもありました。
40年前に酷寒の山中などで亡くなった青年たちを悼む心があれば、関係は問いません。どなたでもお越しください。
(2月16日追記)


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転載終わり



事件後40年の今年、彼らがどのように動くのか、カメラと自分の目で追っていました。
そしてひょんなことから、わたし自身も協力させていただくことになり、取材活動を通して、ある方の証言が得られました。


当日は連合赤軍にゆかりのある方々が登壇し、亡くなった彼ら、彼女らの思い出を語ります。
そんな中、わたしは恐らく「縁」という意味ではまったく無い唯一の人間としてお話させていただきます。

内容は「山岳ベース事件(リンチ事件)」で2人目に亡くなった進藤隆三郎さんについて。
ある方の証言を元に、彼がどう生きて、どのような思いで闘争に携っていったのか。
そして隣にいた「ある方」自身は、それをどう見たのか。


公表することを躊躇っておられましたが、最後は
「どうか、進藤の名誉を回復してやって下さい」
とのことでした。


ご興味ある方は、是非ご参加下さい。
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インフルエンザからのご帰還

2012-02-12 00:53:28 | Weblog
お仕事の締め切り四日前から、インフルエンザにかかっておりました。

いつ以来なんだ?
ぜんぜん分からないのですが、わたしには「自分がインフルエンザなんかにかかるわけがない」という妙な自信があり、そしてまんまとかかったわけです。

風邪薬がぜんぜん、まったく効きませんので「死ぬのかな」と思っておりましたところ、巷ではインフルがナウ。
はは。まさかな。でも薬もらいに行くついでに、と病院へ行き検査を受けてみたら「菌、すっごいいっぱいいるよぉ」とのことでした。


ちなみに昨今どのように検査をしますのかと申しますと、口の中でも覗くのだろうと考えておりましたが口じゃなくて鼻の穴でした。
なんか柔らかな猫じゃらしのような、フリフリした細いものを鼻の奥へ奥へと入れていきます。

「すーぐ済むよ 痛いけどすぐ済むからね」
ずずずずずず

えっ まだ奥まで・・・
ずずずずずず

あっそんなに奥までっ 無理もう無理 ああっ

ずずずず・・・・


確かにすぐ済むのですが、痛くて泣きました。
「処女がおセックスをいたすと、もっと痛いのか」と、熱でぼーっとした頭で考えておりました。
涙に濡れた目は医者を睨みつつ。

その後、詳しい症状の説明やらして処方箋を出してもらいました。


隣の薬局で薬を受け取り、インフルエンザの特効薬もやりました。
タミフルとかではなく、吸引剤でありました。
小さなプラスチックの容器に入ったものの先っぽを口に含ませ「スッーーーーーーッ」と吸い込むのです。これをふたっつ。
以上で終了。
錠剤のように飲み続けなくていいそうです。

それとは別に解熱剤やら咳止めやらを受け取って帰りました。



一方仕事が途中でしたので、フラフラになりながら事務所に行き、外付けHDDに進行中の案件を詰め込む。
そして家のPCで続きをやる、といった体制としました。
薬飲んでから2日は他人と触れ合ったらダメとキツク言われましたので。


さて結果、なんとか〆切には間に合うことができ「俺はつくづく、たいした男だ」と誰も褒めてくれないので自分で褒めました。


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