「なんでお前はとっととブログを書かへんのや」と、関西の某関係者の方に怒られたので書きます。
といっても、まだ素材プレビューしたくらいなので無事終わりましたよ程度のご報告を。
当日は約70名の方々にご参加いただきました。
中には若い参加者も見受けられ、「ああやっぱりこういう会は意義があるんだよ」と思わせてくれた次第。
マスコミさんはNHKやTBS、共同通信その他・・・
いろいろ来ておられました。
わたくしはもう、自分が発言しなきゃいけないし、映画用・兼「残す会」記録用のカメラをまわさなきゃいけないしで、いっぱいいっぱいでございました。
実際、よく覚えていない。
前回の記事の通り、わたしは進藤隆三郎さんのお連れ合いだった方との電話によるやりとりからお聞きした内容を公表させていただきました。
その内容は、今まで語られていなかった、進藤さんの赤軍への真摯な想いがつまったものでした。
ある元・赤軍派の方は、この公表内容に、目にいっぱい涙をためていた、とのことでした。
「連合赤軍事件」問題については、これまで長きに渡って内部でも外部でも意見が別れていました。
主に指導者である森恒夫さん、永田洋子さんの責任問題について。
12名を「殺す」に至ったのは誰の責任か。
個人か?場か?新左翼の歴史そのものか?
この40年という節目を迎え、これだけ当時の人々が集まるのは恐らく最後だろう、ということで、あくまでそういった「意見の相違」は超えて発言されることが望まれていました。
「追悼」という会の趣旨、大前提です。
結果的には皆さん、本当に紳士で立派な総括をはらんだ発言がなされました。
会の雰囲気もとても良かったと思います。
会の終わり、元・赤軍派議長の塩見孝也さんにインタビューしました。
塩見さんは長く、「永田洋子の個人的な責任」について、元関係者の方々と意見が別れていました。
しかし、最後にはこう言っていました。
「40年という節目を迎え、もっと大きな歴史という視点から彼女を捉え返さなければいけない。これまでのように『過ちを犯した人』というだけで見ていくわけにはいかない。彼女の全体の生涯を見渡せば、明らかに人民の側に立った民衆の戦士だった。まず、殺された側に思いを馳せ、そして殺した側にも想いを馳せなければいけない。その想いをもっときちんと自覚し、永田さんに象徴させていく。ただ一方でそれを、12名の死と同一視するべきではない」
この「同一視しない」というのは「残す会」としても同じだと思います。森・永田両氏を「殉難者」とはしていませんでした。
あくまで、追悼はすべきだ、との立場です。
3次会だか4次会だか・・・・
ゴールデン街をハシゴしておりました。
その席で元・赤軍派のある方が「なんのかんの言っても、やっぱり塩見は俺らの大将なんだよ」と。
酔っていたこともあるかもしれませんが、ああ、何年もやりあっててもこんな言葉が出てくるんだ、と思いました。
「同志」っていうのはこういう関係なのかもしれないなー、と。
といっても、まだ素材プレビューしたくらいなので無事終わりましたよ程度のご報告を。
当日は約70名の方々にご参加いただきました。
中には若い参加者も見受けられ、「ああやっぱりこういう会は意義があるんだよ」と思わせてくれた次第。
マスコミさんはNHKやTBS、共同通信その他・・・
いろいろ来ておられました。
わたくしはもう、自分が発言しなきゃいけないし、映画用・兼「残す会」記録用のカメラをまわさなきゃいけないしで、いっぱいいっぱいでございました。
実際、よく覚えていない。
前回の記事の通り、わたしは進藤隆三郎さんのお連れ合いだった方との電話によるやりとりからお聞きした内容を公表させていただきました。
その内容は、今まで語られていなかった、進藤さんの赤軍への真摯な想いがつまったものでした。
ある元・赤軍派の方は、この公表内容に、目にいっぱい涙をためていた、とのことでした。
「連合赤軍事件」問題については、これまで長きに渡って内部でも外部でも意見が別れていました。
主に指導者である森恒夫さん、永田洋子さんの責任問題について。
12名を「殺す」に至ったのは誰の責任か。
個人か?場か?新左翼の歴史そのものか?
この40年という節目を迎え、これだけ当時の人々が集まるのは恐らく最後だろう、ということで、あくまでそういった「意見の相違」は超えて発言されることが望まれていました。
「追悼」という会の趣旨、大前提です。
結果的には皆さん、本当に紳士で立派な総括をはらんだ発言がなされました。
会の雰囲気もとても良かったと思います。
会の終わり、元・赤軍派議長の塩見孝也さんにインタビューしました。
塩見さんは長く、「永田洋子の個人的な責任」について、元関係者の方々と意見が別れていました。
しかし、最後にはこう言っていました。
「40年という節目を迎え、もっと大きな歴史という視点から彼女を捉え返さなければいけない。これまでのように『過ちを犯した人』というだけで見ていくわけにはいかない。彼女の全体の生涯を見渡せば、明らかに人民の側に立った民衆の戦士だった。まず、殺された側に思いを馳せ、そして殺した側にも想いを馳せなければいけない。その想いをもっときちんと自覚し、永田さんに象徴させていく。ただ一方でそれを、12名の死と同一視するべきではない」
この「同一視しない」というのは「残す会」としても同じだと思います。森・永田両氏を「殉難者」とはしていませんでした。
あくまで、追悼はすべきだ、との立場です。
3次会だか4次会だか・・・・
ゴールデン街をハシゴしておりました。
その席で元・赤軍派のある方が「なんのかんの言っても、やっぱり塩見は俺らの大将なんだよ」と。
酔っていたこともあるかもしれませんが、ああ、何年もやりあっててもこんな言葉が出てくるんだ、と思いました。
「同志」っていうのはこういう関係なのかもしれないなー、と。