世相を斬る あいば達也

民主主義や資本主義及びグローバル経済や金融資本主義の異様さについて
定常で質実な国家像を考える

●第一次大戦前夜に近似してきたウクライナ 内戦から東西大戦へ

2014年05月17日 | 日記
危機の二十年――理想と現実 (岩波文庫)
E.H.カー
岩波書店


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●第一次大戦前夜に近似してきたウクライナ 内戦から東西大戦へ

 日本人の多くが、ウクライナで起きている紛争を、第一次大戦同様に「遠い海の向こうの戦争」と思っているだろう。商才豊かな産業に携わる者たちは、戦争特需が舞い込むのではないかと皮算用しているかもしれない。たしかに、戦場がウクライナ国内に限定された局地戦であるなら、特需が日本経済を潤す可能性はある。しかし、第一次大戦レベルにまで戦況が拡大されれば、日本も否応なく巻き込まれ、第三次世界大戦が勃発するかもしれない。ドイツ・シュミット元首相は以下のように言っている。

≪ 「第1次大戦前夜を想起」=ウクライナ危機で警告-元西独首相
【ベルリン時事】旧西独のシュミット元首相(95)は16日付のドイツ紙ビルトに掲載されたインタビューで、緊迫の度を増すウクライナについて、第1次大戦開戦(1914年)直前のように「危険は日に日に高まっている」と警告した。
 シュミット氏は「第3次大戦に言及するつもりも、北大西洋条約機構(NATO)の軍事費増強を要求するつもりもない」と述べながらも、「当時の状況にますます近づいているように思える」と語った。 ≫(時事通信)

 実のところ、筆者も第一次世界大戦の内容を把握していない。日露戦争、太平洋戦争(第二次世界大戦)には詳しいくせに、一次大戦への興味は希薄だ。地政的に「遠い海の向こうの戦争」と云う感覚なのだろう。しかし、その初めの世界大戦が第二次に繋がり、第三次に繋がるのであれば、嫌でも興味を持つべきだろう。特に、現在の安倍政権は、どこまでが本気で、どこからが外交的パフォーマンスなのか判りにくい状況なのだから、尚更だ。先ずは簡単に第一次世界大戦を伝えるサイトの解説記事を引用しておく。


≪ 第一次世界大戦から100年 どんな戦争だった?
 第一次世界大戦の開戦から、今年は100年にあたります。史上初の世界大戦なのに、日本人の関心はあまり高いとはいえず、日露戦争や太平洋戦争のように 声高に論じられることはありません。「忘れ得ぬ戦争」である第二次大戦に対して、第一次大戦は「忘れられた戦争」ともいわれます。他方、こう述べる歴史家 もいます。第一次大戦が現代に至る国際社会の枠組みをつくった、大戦中の1917年から新しい「世界史」が始まった、と。いずれにせよこの大戦の後、日本も「世界史」の主要アクターとして躍り出ることになります。

何がきっかけで開戦したのか?
 中学の歴史教科書は、開戦の経緯を次のように説明しています。「1914(大正3)年、オーストリアの皇太子夫妻が、サラエボでセルビア人の青年 に暗殺されました。オーストリアはセルビアに宣戦布告し、まもなく各国も参戦して、ドイツ、オーストリア、トルコを中心とする同盟国側と、イギリス、フラ ンス、ロシアを中心とする連合国側に分かれて、第一次世界大戦が始まりました。」(東京書籍「新しい社会・歴史」)

 暗殺事件は「サラエボ事件」で記憶されている方も多いでしょう。しかし、バルカン半島のサラエボ(現在のボスニア・ヘルツェゴビナ)という辺境地で起こった、「ささいな」という修飾語がつきそうな事件が、どうして世界大戦の引き金になったのでしょうか? 少し時代をさかのぼりましょう。

 日本が明治維新という大変革期にあった19世紀後半、ヨーロッパは平和な「良き時代(ベルエポック)」でした。ヨーロッパ列強はひと足先に重工業化を成し遂げ、帝国主義の眼と刃(やいば)をアフリカから中東、アジア、太平洋へと向けていました。この海外航路・植民地争奪戦のなかで、利害の一致する国どうしが手を結び、世界は「同盟国」と「連合国」という2つのブロックに分かれていったのです。1902年の「日英同盟」も、たがいの「利」のもとで結ばれた 同盟でした。ロシアの中国進出を牽制するという日英共通の「利」です。

 「三国同盟」と「三国協商」
 同盟国は、「三国同盟」を結んだドイツ、オーストリア、イタリアが中心。北アフリカの植民地争奪戦で、フランス に対抗するという「利」で一致していました。ドイツは皇帝が新航路開拓・軍備拡張に積極的で、他国の脅威になりつつあり、現在は小国のオーストリアも中央~東ヨーロッパ一帯を支配する強国でした。このうちイタリアは、オーストリアと領土問題の対立で「害」が表面化したため、たもとを分かちます。後にこの空席に加わるのがトルコです。かつて栄華を誇ったトルコ(オスマン帝国)は国力の低下がいちじるしく、南下してきたロシアに対抗する「利」から、ドイツに接近したのでした。

 連合国は、「三国協商」を結んだイギリス、フランス、ロシアが中心。植民地の再配分を求めるドイツを包囲する、という「利」で一致していました。イギリスはどの国とも同盟を結ばない「光栄ある孤立」の道を歩んでいましたが、日英同盟を皮切りに、フランスと協商を成立させ、日露戦争後はロシアとも手を結びました。露仏も同盟関係にあったことから、「三国協商」へと発展していったのです。

 この2グループの対立に火をつけたのが、前述の「サラエボ事件」です。バルカン半島は、スラブ系を主とする多民族、イスラム・正教系・カトリックという多宗教が入り混ざり、争いが絶えなかったことから、「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれていました。ここにゲルマンの親玉ドイツとオーストリアが進出してきたため、セルビア民族主義の青年がその「害」の象徴であるオーストリアの皇位継承者を襲撃したのです。セルビア人は、ロシアと同じく正教系のスラブ民族です。オーストリアがセルビアに宣戦布告すると、ロシアものろしを上げたのでした。

 予想以上に長引いた戦争
 日本も日英同盟を口実に、ドイツに宣戦しています。中国や南洋諸島にあったドイツ権益がねらいでした。しかし、一般の国民には切迫感が欠けていたようです。反露感情の高まりで起こった日露戦争とちがい、ドイツに対する悪感情は希薄で、「害」も「大義」も見出せなかったのでしょう。結果的には戦争特需という「利」に浴したものの、主戦場はヨーロッパであり、「遠い海の向こうの戦争」でした。

 日本の特需の背景には、大戦が予想をうわまわる物量戦・長期戦になったことがあります。徴兵制によって数千万の兵士が戦場にかり出され、戦車・航 空機・潜水艦(Uボートが代表)や毒ガスまで使われました。大量の兵器・物資を供給できる工業力が問われたことから、史上初の「経済戦争」という見方もあります。その舞台裏で「利」を得た日本は、世界3位の海運国へと躍進し、大戦前にあった約11億円の債務も完済しました。

 戦況は、短期決戦を想定していたドイツのもくろみが外れ、フランスとの西部戦線、ロシアとの東部戦線とも持久戦に入りました。海上戦でも一進一退の攻防がつづきましたが、17年4月にアメリカがドイツに宣戦すると、連合国が圧倒するようになります。18年になると、総力戦で疲弊したトルコ、オーストリアが降伏し、11月にはドイツも連合国と休戦協定を結びました。そして翌19年6月、講和条約(ベルサイユ条約)の締結によって、犠牲者1500万人以上ともいわれる未曾有の大戦が終わったのです。

 第一次大戦から新しい「世界史」が始まった?
 大戦中は、両グループとも中立国を味方につけようと躍起でした。植民地に対しては、戦後の独立・自治という「利」をほのめかし、自陣営への協力を求めたのです。なかでもイギリスは、アラブ人に対しては「フサイン・マクマホン書簡」でトルコからの独立を約束する一方、ユダヤ人に対しては「バルフォア宣言」でユダヤ国家建設の支援を約束するという「二枚舌」で、双方から協力を取りつけようとしました。この後、中東のパレスチナは、アラブ人とユダヤ人の争いの舞台となります。今日までつづく新しい「世界史」の始まりです。

 もう一つの大きな影響。大戦末期、ドイツは皇帝が退位し、共和制に移行しました。戦勝国のロシアも、大戦中の17年に皇帝が追い出され、帝政が崩壊しています。レーニン主導によるロシア革命で、5年後には史上初の社会主義国ソビエト連邦が誕生しました。「あと出しじゃんけん」で戦勝国となったアメリカも、体力を消耗することなく、日本以上の経済的な「利」と、国際社会での強い「影響力」を獲得しました。大戦後の世界は、この米ソ両大国の「利」と 「害」を軸に回るようになります。これも、第二次大戦後の冷戦につながる新しい「世界史」の始まりです。

 なお、ある歴史学者によると、第一次大戦をはじめて「世界戦争」「世界大戦」と名づけたのは日本人とのことです。この戦争の向かう先や本質を見抜いていたのかもしれません。ただし一般には、30年代まで「欧州戦争」「欧州大乱」などと呼ばれていたようです。どちらにしても、まだ「第一次」はついて いませんでした。 ≫(THE PAGE)


 第一次世界大戦は、以上のようなものだった。世界大戦が1次より2次の方が規模が大きくなった点を考慮すれば、3次は太平洋戦争より規模が大きくなる事も考えられる。まして、日米同盟における米軍との協力関係をバージョンアップさせようとしている安倍政権の解釈改憲への動きなどを観察してしまうと、杞憂では済まされないリアル感を覚える。どうも安倍政権の日米同盟の加速的深化な振る舞いには、腹に一物の感もある。「欧米8対中露2」と云う外交姿勢も見え隠れしている。時に、安倍晋三の自己矛盾的な言動も、うつけ者を装う信長の風にも見えるのである。無論、買被りだろうが、オバマ政権内部では、評価が分かれているのも、筆者同様のHATENAがあるからに相違ない。


 ≪ 欧米制裁対象の露下院議長、来日へ…大統領側近
 ロシアのナルイシキン下院議長が、6月2日に東京都内で開かれるイベントの開会式出席のため来日することが、16日わかった。
 複数の関係者が明らかにした。
 イベントは、ロシア文化を日本に紹介するもの。ナルイシキン氏は、プーチン露大統領の側近とされ、ウクライナ情勢を巡って、米欧の制裁対象となっている人物だ。
 日本政府は4月末、ロシアに対する制裁として、ロシア政府関係者23人の査証(ビザ)発給停止を決定したが、ナルイシキン氏は含まれていない。菅官房長官は14日の記者会見で、「(日本の制裁に)抵触していない」と述べ、来日は問題ないとの認識を示した。 ≫読売新聞

 上記読売の記事は、ベタ記事レベルの扱いだが、米国の気持ちを逆なでしているのも事実だ。プーチンの今秋訪日を、日米関係の深化と同時に行おうというわけだから、これは日本には珍しい外交姿勢だ。単に、安倍が目先の利に、片っ端から手出ししているだけ、と国内的には理解できるが他国の理解は異なるだろう。穿ち過ぎた解釈が加えられることも考えておいた方が良いかもしれない。最後に、ウクライナ問題で、アメリカの役割が驚くほど大きい事実を、元米国ロシア大使が語っている。


 ≪ ウクライナを内戦へ追いやる米国
  2008年、当時、米国の駐ロシア大使を務めていたウィリアム•バーンズ氏は、ウクライナを北大西洋条約機構(NATO)へ引き込もうとする試みは、ウクライナの分裂と内戦を伴う恐れがあると米国政府に警告していた。そして今まさにそのような事態が起こっている。

 欧州安全保障協力機構(OSCE)は、ウクライナ南部・東部における軍事作戦の停止や、地域の抗議運動の指導者たちとの協議を提案したが、キエフ政権は拒否した。民族主義者とファシズムを公に信奉する人々が中核のキエフ政権は、合法的な政府は憲法秩序を回復するために武力を行使する権利を有するとした米国務省の高官たちの発言を、万能の免罪符として受け取った。彼らは違法な手段で政権に就き、憲法を踏みにじったことなど気にしてはいない。重要なのは、外国の友人たちの承認を得たことだと考えている。キエフ政権は、戦車、大砲、戦闘ヘリコプターを使って秩序をもたらし、彼らが「分離主義者」や「テロリスト」と呼ぶキエフの軍事政権に反対する人々の区域だけでなく、一般市民の住宅をも砲撃している。ウクライナは急速に全面的な内戦に向かっている。

 だが、その危険性について米国指導部は6年前に警告していた。WikiLeaksの情報によると、2008年2月1日、当時、米国の駐ロシア大使を務めていたウィリアム•バーンズ氏(国務次官2008-2011年)は、米国、欧州連合(EU)、北大西洋条約機構(NATO)がウクライナ問題に干渉した場合の危険な結果について詳細に述べていた。バーンズ氏は、「ロシアはNATO加盟に関するウクライナ国内の意見の激しい相違を特に懸念している。ロシア系住民の大多数はNATO加盟に反対しており、ウクライナでは分裂や暴力、また最悪の場合は内戦が起こる恐れがある。その場合、ロシアは介入するか否かについ て決断しなけれらばならず、ロシアはそのような選択に直面したくはないはずだ」と執筆した。

 だが米国は2013年から2014年にかけての冬、キエフの出来事に干渉し、民主的に選出されたヤヌコヴィッチ大統領を力で解任することを支持した。ある説によると、ヤヌコヴィッチ大統領は、ウクライナにとって不利なEUとの連合協定(西側企業に対するウクライナ市場の開放)への調印を拒否したため、米国とEUの不満を買ったという。一方でロシアの一連の専門家たちは、ヤヌコヴィッチ大統領が、クリミアに米国の軍事基地を創設するというウクライナの政治・ 実業界のエリートたちの親米的なロビー活動に関する米国の計画にも反対したことが問題だったとの見方を示している。また、軍港の租借に関するロシアとの協定破棄を通告し、セヴァストポリからロシア艦隊を追い出す計画もあったとみられる。

 これらは、2008年に当時ウクライナ最高会議の議長だったヤツェニュク氏が調印した2つの文書を基に、今年の5月15日までに行われる予定だったという。1つ目の文書は、「2008年4月1日付ウクライナ大統領令No.289/2008への補足。行動計画『ウクライナ・NATO』の枠内における 2008年ウクライナ・NATO目標計画」。2つ目の文書は、機密「2008年上半期のウクライナ・NATO行動計画の枠内におけるウクライナ・NATO 目標計画の実施に関する分析報告書」。専門家たちは、これらの文書は米国で作成され、当時ウクライナの大統領だったユーシェンコ氏の妻である米国人のカテ リーナ・チュマチェンコ氏を通して、ウクライナ政府の高官に指令が届けられたとの見方を示している。米国はその頃までに、防諜機関や諜報機関を含むウクラ イナの全ての治安機関を厳密な管理下に置いていた。ウクライナは事実上、「独立について語ることが好き」な米国のマリオネットとなった。

 2008年8月、ウクライナ軍はグルジアの南オセチア侵攻を撃退する活動に参加したロシア機を撃墜した(だがグルジアの助けにはならなかった)。

 続いての行動は、クリミアを米国の「不沈空母」とすることだった。専門家たちによると2014年初頭、米統合参謀本部はクリミアを占領するために、米軍や民間会社の傭兵を使う可能性について検討した。クリミアの住民に物理的壊滅の危険が差し迫った。ウクライナへ送るために米国の軍部隊がポーランドに派遣され、キエフにはクリミアでロシア軍との戦闘行為を指揮するための本格的な司令部が設置された。アナリストたちは、世界は2014年初頭、第3次世界大戦の 瀬戸際に立たされたと考えている。だが、ロシアに支援を要請したクリミアの住民たち、そしてクリミアのロシアへの編入について勇気ある決断をしたロシア政 府の断固とした行動によって、大惨事を未然に防ぐことができた。ウクライナ, 米国, アンドレイ イワノフウクライナ情勢   ≫(ロシアの声)

Newsweek (ニューズウィーク日本版) 2014年 3/18号 [ウクライナ危機 新冷戦の現実味]
クリエーター情報なし
阪急コミュニケーションズ


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