世相を斬る あいば達也

民主主義や資本主義及びグローバル経済や金融資本主義の異様さについて
定常で質実な国家像を考える

有識者と云う詐欺集団 政治家も官僚も学者言論人も、その多くは欺瞞の鎧をまとった無能者

2012年07月01日 | 日記
原発危機と「東大話法」―傍観者の論理・欺瞞の言語―
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有識者と云う詐欺集団 政治家も官僚も学者言論人も、その多くは欺瞞の鎧をまとった無能者

 現在、永田町で起きている政治権力闘争は「政局」と呼ばれ、一部の知ったかぶり連中からは、“政策を論じろ”なんて声も聞こえてくるが、それこそが的外れな言説、まぁそんな事語る奴は、政策は官僚がやるものだと思い込んでいる連中の世迷言なのだろう。各種世論調査によると、驚くことに結成もしていない、党の結党理念も判らない“小沢新党”なるものに、15%もの支持率があるそうである。

 「社会保障の充実と税制改革は“行政大改革”を出発点とする」、「エネルギー政策は、“脱原発”を基軸とし、その道筋を早急に整備する」、「21世紀以降の少子高齢化社会の継続可能産業分野への集中投資を行う」、「輸出型大企業依存体質の経済基盤を内需産業に転換する」。おそらく、こんな感じの政党が生まれれば、有権者の空気は一変するような気がする。閉塞感が益々加速している国内市場で、今までの考えはすべて間違いだと云う思考経路で日本の将来の絵図を見せることが、今政治に求められているのだ。*日米同盟基軸は、当面堅持と書いておけば良い(笑)。

 米国の手先である、霞が関とマスメディアを瓦解、疲弊させることが先決。アメリカ様との関係は、当面つかず離れずで、維持継続で充分だ。いずれTPP等々の利害関係が明確になり、国民のアメリカいい加減にしろ!の風潮が生まれるのを待つのが得策。間違いなくアメリカの勢力構造は狂ってくる。それまでは、待てば海路の日和ありである。

 それから、学者とか評論家等々と云う有識者なるものを重用する時代も終わっているだろう。野田のバカが社会保障に関しては「国民会議」なんてモノの結論を待って等と抜かしているが、我が国の“有識者”ってのは、世界で一番信用できない連中の事を指している。こんな奴らに日当払うだけでも無駄と云うものだ。井戸端会議と居酒屋会議で国民の意見聴取のほうが余程マシな答えが得られる。わが国の国民も相当に愚かだが、有識者よりは賢明である。彼らには、有識が生活の糧なのだから、怪しいのは当然だ。

 あの東大・京大・阪大の原子力物理学教授の話を聞いたか、もう何も知らない事が明白だ。挙句に嘘を言い、大外れな予測をするインチキ教組のようなものである。それもこれも“生活のためだ”糞喰らえ!である。マスメディアの嘘八百も枚挙にいとまがない。最近では、国民に約束し当選し政権を握った、俗に云う「政権公約」よりも、増税のための「3党合意」なる概念の方が上位に位置していると、辞書にでも書いてあるように、紙面を埋めている。そもそも、“国民との約束”と、政治家どもの“永田町での約束”どっちが大切なのだ?考えるまでもない話だ。

 そうそう、マクロ経済だかなんだか判らんが、財務省・日銀・政府が行っている金融財政政策も狂っている。デフレ不況の元凶は、成長分野の開拓、その分野を育てる意志と集中投資が欠かせないのだが、そもそも、その日本の将来を背負って立つ産業分野さえ明確にしていない。育てるモノを見つけずに、金融緩和などしたところで、金がだぶつくだけである。挙句に、だぶついた金が市中に出回っているのなら、それなりの効果もあるだろうが、日銀の金庫に当座預金として寝ているのだから、景気浮揚に対し、糞の役にも立っていない。おそらく、グローバル経済は途中からモンスターとなり、世界のどのような力を持っても制御できない段階に入ってきたのだろう。マクロ経済理論が通用しないのだ。

  このような現実の市場に、財政緊縮派の学者も、リフレ派の学者も、東大原子力教授同様、解を持たずに“生活のために”語っている、執筆しているに過ぎない。日本の有識者の類は皆、この有様だ。今や日本経済のお荷物となっている重厚長大な輸出製造業を守る事が、何か日本の将来展望に役立つとでも思っているのだろうか。単に直近の“生活のため”に過ぎない。有識者と云う名前が欲しいのなら、哲学倫理の基盤に立って、日本の進むべき道を示せ!衰退分野に“生活のため”と云う理由で、国民の金を注ぐことは、底の抜けた古びた錆だらけのバケツに水を注ぐだけである。丁度、福島原発に水を注ぎ“核燃料を冷やすためだけ”と云う、虚しい直近の応急措置に過ぎない。政治家も有識者も、悔しかったら、我が国の将来ビジョンを具体的語ってみよ!

 何度も繰り返し言うが、「政局」無くして政党政治は成り立たない。政局を嫌って政治を行うためには、マスメディアが現在縦横無尽に駆使する「3党合意」、つまりは選挙による「民意」は無視。政党間談合政治を行えと云う事である。それが、ネジレ国会において行われる「決断できる政治」だそうである。これって、世界の歴史においてはファシズム、ナチズム、独裁軍事政治に勝るとも劣らない、談合癒着政治の推奨に他ならない。“話し合い”と云う言葉は、似非民主主義においては、多用される言葉だが、そのほとんどは“嘘”の鎧をまとった欺瞞である。今夜は、軽く勝手に吠えてしまった(笑)。では、オヤスミナサイ!

「知」の欺瞞――ポストモダン思想における科学の濫用 (岩波現代文庫)
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