言語分析未来予測

上石高生
言葉の分析からの予測です。分析の正しさは未来に答えが出ます。分析予測は検証可能でなければなりません。

麻生氏と自民党の今後

2008年09月23日 07時20分27秒 | 批評
麻生総裁で自民党はまとまるのか 言語分析未来予測/ウェブリブログ

 自民党で歴代の幹事長が総裁となったのは、「1978年の大平正芳、このときの総裁は福田赳夫」、「1987年の竹下登、このときの総裁は中曽根康弘」、「2000年の森喜朗、このときの総裁は小渕恵三」と、3つしかない。
 あの田中角栄ですら、幹事長の要職は利用しなかったのである。

 1976年、福田は、大平との間に「2年で政権を譲る」と大福密約によって、総理の座を得る。それで大平を幹事長に据えて政局の安定を図ったとは、32年後の福田康夫と麻生太郎の関係(禅譲)そのままではないか、と驚いてしまう。
 1978年、大平正芳は田中派の後押しで福田赳夫に大差で勝利した。田中派が後押ししたのは、福田が派閥解消を目指したいたから(密約反故)である。しかし結局は、本選挙で福田が辞退したことから、密約は守られた形となっている。

 1982年、中曽根康弘は田中派の支持を得て、圧倒的な得票で総裁となる。1976年、ロッキード事件が発覚するのだが、田中派はさらに拡大していった。
 しかし1985年に竹下、金丸信らによって派内で「創政会」が結成された。田中はこれに憤慨するが、直後に脳梗塞で倒れることとなる。田中が政界から退いたことで、派内抗争が激化、その結果、分裂となる。
 そして1987年、竹下派、経世会結成となった。

 2000年、小渕恵三は脳梗塞で倒れることとなる。連立与党を組んでいた自由党との決裂などからの辛労がたたったためだった。このとき執務不能のため内閣官房長官の青木幹雄を首相臨時代理に指名したとされるが、これがマスコミには疑惑とされた。
 また後任に森喜朗が総裁となり、これが「五人組による密室談合政治」と称されることとなる。

 このように幹事長が総裁となるには、不測の緊急事態か、激しい派閥争いの結果か、政局の安定を図るための密約、という自民党政治にとってひじょうに特異な理由での3つでしかないのである。


 1978年の大平総裁後は、田中派の派閥政治が自民党を牛耳ることとなり、金権政治が大いに批判されることとなる。

 1987年の竹下総裁では、リクルート事件が発覚。竹下自身の疑惑も追及され、秘書で金庫番といわれた青木伊平が自殺。結局、1989年に内閣総辞職に追い込まれた。

 2000年の森総裁では、野党から衆議院本会議において森内閣不信任決議案が提出されたとき、加藤紘一と山崎拓らの自派閥が本会議を欠席するという事態となった。加藤の乱である。加藤に従った者は一部にとどまり、森首相退任には至らなかったが、国民の支持率は低いままで就任から1年で首相を退任となった。


 こうも幹事長が総裁になるとは異常な事態であり、その後は自民党にとって健全な党運営とならないばかりか、その傷口の深さから党分裂の原因そのものとなってしまうのである。
 小渕首相の脳梗塞という緊急事態でさえも、幹事長の後任とは、大いにその要職を利用していることから、様々な疑惑が取り沙汰され、国民の支持も得られないのである。

 これらの点から考えても、麻生氏だけが特別である、などということは有り得ないことなのである。
 まさに自民党の今後は、多難、と言わざるをえない。

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