言語分析未来予測

上石高生
言葉の分析からの予測です。分析の正しさは未来に答えが出ます。分析予測は検証可能でなければなりません。

chnpkさんの疑問

2008年11月18日 00時35分17秒 | 批評
科学とニセ科学の違いってそんなに重要か? - よそ行きの妄想
ニセ科学のなにがいけないのかさっぱりわからん。本人が信じてればいいんじゃないのか。


 chnpkさんには、言葉の選択か、言い換えかの間違いがある。

「宗教も科学も、人間にあたかも世の中に客観的な真理があるかのように思わせる手段に過ぎない」
 宗教は“真理”、しかし科学は“論理”という言葉を使えば容易に理解しやすい。
 故意に「宗教も科学も」と一緒くたにしたい、という思いがそう書かせているのかもしれない。

「私の認識では巷に溢れかえる擬似科学批判は単なる科学信仰に過ぎない。疑似科学批判に余念がない人は、世の中の人が全員科学を信仰しているとでも思ってやしないだろうか」
 「科学信仰」という言葉は、科学批判をしたい人たちの造語ではないか。元々このような言葉はなかった。
 たとえ科学的な知識がない人でも、科学は実感できることが、宗教との違いである。

「その<普遍性>も「わからん」。と言っておく」
 でも、だいじょうぶ。
 電源もアンテナもつながっているテレビが故障して映らない情況を、chnpkさんの強い信仰でも映らないことで「故障しているのだ」と認識できるようなら、そのとき科学を実感し、信仰と区別するはずだ。

 科学者の書いたものを、さらに短くまとめたWikipediaを読んで影響されたようだが、だいじなのは自分の理解である。自分の考えは正しいのか、をまず疑うべきだ。「わからない」と言っておきながら、「信じてればいいんじゃないのか」という答えを出しているところが、そもそも疑われる点である。誰でもそう思うだろう。

A.ニセ科学を分かっていながら、信じている。
B.科学とニセ科学の違いは何か分からないが、ニセ科学を信じている。
C.科学とニセ科学の違いは何か分からないが、ともかく主体的に信じていることが最も重用だ。

 A.Bなら勝手にして下さいと言うほかない。ただニセ科学が好きなだけか、宗教好きか、信仰好き、または科学嫌いの人である。
 Cは、最近よくある意見だ。普遍性や客観性を否定し、全ては主観的な集合でしかない、という驚くべき意見である。学校教育の敗北としか言いようのない事態である。

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