10月3日は、財務相や自民党政調会長などを歴任した中川昭一氏の命日だった。早いもので急逝して9年になる。
中川氏と最後に会ったのは亡くなる1カ月ほど前だった。自民党が民主党に政権を奪われ、中川氏も議席を失った直後。「これから日本はどうなってしまうのか」。中川氏は心底憂えていた。
思えば激動の9年だった。民主党政権で日米同盟に亀裂が入り、経済も崖っぷちに追い込まれたが、中川氏の盟友である安倍晋三氏が自民党総裁となり政権を奪回した。日本は着実に再生しつつある。
もし中川氏が生きていたら6年前の総裁選に安倍氏は出馬しただろうか。年長の中川氏を推して政権奪回を果たしたのではないか。そもそも安倍氏復権の足がかりとなった創生「日本」は、中川氏が創設した議員連盟である。日本の現状を墓前で報告するしかないのは、残念でならない。
中川氏と最後に会ったのは亡くなる1カ月ほど前だった。自民党が民主党に政権を奪われ、中川氏も議席を失った直後。「これから日本はどうなってしまうのか」。中川氏は心底憂えていた。
思えば激動の9年だった。民主党政権で日米同盟に亀裂が入り、経済も崖っぷちに追い込まれたが、中川氏の盟友である安倍晋三氏が自民党総裁となり政権を奪回した。日本は着実に再生しつつある。
もし中川氏が生きていたら6年前の総裁選に安倍氏は出馬しただろうか。年長の中川氏を推して政権奪回を果たしたのではないか。そもそも安倍氏復権の足がかりとなった創生「日本」は、中川氏が創設した議員連盟である。日本の現状を墓前で報告するしかないのは、残念でならない。