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中国・深圳で労働者支援の学生ら50人一斉拘束

2018年08月29日 08時43分30秒 | 国際・社会
 5月から深圳で続いていた深圳佳士科技公司(JASIC)の労働争議で、8月24日に支援者の学生ら50人が一斉に身柄拘束された。中国の工場において労働争議自体は珍しくないが、この労働争議の目的が賃上げや待遇改善にとどまらず、共産党に支配されない労働者による自主的労働組合を設立するという政治的要求が中心になっていること、大学生、大卒生らや共産党左派の知識層が運動の推進力となっていることなどから、国際社会も注目していた。だが8月に入り、労働争議の支援者リーダーであった活動家の沈夢雨が当局に連れ去られたことをきっかけに、運動が完全に弾圧されかけている。

 大学の有志や香港の人権組織、党の左派人士らが中心になって沈夢雨の釈放を求め、香港では労働組合の設立を求めるデモなどを行っているほか、日本を含めた海外メディアも取材に動いているが、当局側は、この労働争議を「外国の非政府組織による煽動」と決めつけ、徹底弾圧する方針のようだ。日本では“深圳スゴイ”の見出しでAIやIT企業の現場としての活気あふれる様子で取り上げられることの多い深圳。なぜ、この地で突如、労働者の政治的要求運動が広がっているのか、それがどこに行きつくのかを考えてみたい。

 現場となったJASICは2005年に設立した溶接機の開発・製造企業。深圳、重慶、成都などに工場を持ち、深圳工場の労働者は約1000人。賃金未払いや厳しい罰金制度、保険や住宅基金の削減、トイレにまで監視カメラをつけるプライバシー侵害といった奴隷のような劣悪な雇用条件であるという。2015年以降、この状況はますます悪化していく。一つは、同年ごろから本格化した習近平政権の労働者権利運動を含む「維権」(権利維持運動)の抑え込み政策だ。この年の7月に起きた大量の弁護士・人権活動家拘束はそうした習近平政権の弾圧政策の一つといえる。広東省で育っていた労働者の権利運動NPOのリーダーたちもこの年、冤罪容疑で次々と拘束されていた。

 もう一つは、「新常態」宣言という建前で認められた経済停滞だ。AIやIT分野で活気あふれる深圳の姿ばかりがクローズアップされるが、深圳だけでなく多くのほとんどの工場の利益は激減し、そのしわ寄せは労働者にきている。香港の労働者権利擁護NGO・中国労工通訊によれば2017年8月から2018年8月の一年の間に1860回のストライキおよび労働者デモが発生。2015年から2017年の二年間の統計では、6694回の労働者集団抗議活動が発生している。そうした労働者抗議運動の8割は未払い賃金の支払いや賃金アップといった賃金に関する要求であった。


労働組合設立を要求

 だが、JASICで起きた労働争議はこれまでの8割の労働争議とは大きく違った。JASIC労働者の要求は自主的な労働組合(工会)の設立だったのだ。きっかけはJASIC深圳工場のごく普通の労働者・余浚聡が4月、SNS微信の工場グループチャットで「徒歩」をさせられたと、愚痴ったこと。「徒歩」というのは労働者に休み時間を利用して(健康管理などのため)に歩かせることだが、労働者にとってこれは貴重な休息時間を不当に奪われることだ。彼は強制徒歩を5日間で8時間もやらされた。一種の嫌がらせであろう。グループチャットで愚痴ったことがばれ、彼は班長に殴られた上、5月10日に解雇された。余浚聡はこのことに不服で、労働者権利運動を始めることになった。

 一方JASICの労働環境の劣悪さについては、他の労働者も耐えきれないものがあった。余に同情したこうした労働者の有志たちは、余浚聡事件後、強制徒歩や苛烈な罰金制度など工場の違法について深圳市坪山区の総工会に訴え出たところ、区の総工会は、工場内に労働者による自主的労働組合を設立して問題を解決してはどうかと提案した。だが、工場内で自主的労働者組合を設立する段になって、工場側は自分たちの息のかかった労働者を代表に送り込み圧力をかけたので、労働者たちが自主的に選んだ代表は選出されなかった。工場側がつくった“なんちゃって自主労働組合”には、設立後89人の労働者が加入したが、実は消防訓練参加用紙だといって騙してサインさせたのだった。

 一方、労働者たちが自分たちで選んだ代表・劉鵬華は7月になって工場内で何者かに殴られて救急車に外に運ばれた後、警察に尋問を受けるという仕打ちをうけた。この脅しはむしろ、労働者たちの結束を固め、工場に対する抵抗運動は広がる結果になった。その後も、労働者有志が暴行を受けたり、不当に解雇される事態が相次いだ。

 ついに7月20日、工場に突如警察や保安部が押し入り、工場側に抵抗する労働者たちを拘束。これに怒りの声と労働者有志たちへの声援を送った一般労働者あわせて20人が地元警察に連行された。彼らは翌日釈放されたが、労働者たちはその翌日、地元派出所の前にいき、「自主的労働組合を認めろ」「暴力警察に懲罰を!」といったスローガンを叫び、「団結こそパワー」という解放軍歌を合唱した。

 この派出所前で抗議活動をした約30人の労働者は27日に再び拘束され、うち6人に対しては挑発罪容疑で刑事拘留された。このことを聞き知った中国各地の学生や人権活動家が29日、派出所前に応援に駆け付けた。この中に、広州の著名労働者権利運動活動家の沈夢雨の姿があった。

 沈夢雨は中山大学を卒業し、数学・コンピュータ専攻で同大学院まで言ったエリートだが、在学中に労働者の権利関連法を独学し、その境遇を理解したいという動機から2015年から日系自動車部品工場(広州日弘)に労働者として就職、今年4月、工場の賃上げ運動のリーダーを務めたために解雇されたのちは、その経験を生かして労働者権利擁護活動家になっていた。

 学生、労働者ら15人を率いて沈夢雨は30日、地元坪山区の書記に公開信書を渡し、拘束されている労働者の釈放を要求。烏有之郷や毛沢東旗幟ネットといった左派サイトの代表者ら共産党員を含めて1100人がこの労働争議に労働者の立場から声援を送り、運動はいつしか「労働者階級の正義の闘争」という形で国内インターネット上に広がった。

 これに連動する形で北京大学や清華大学の有志たちによる声援文が次々とネット上で発表された。当局により数時間後には削除されたが、それでも閲覧数は万単位にのぼった。7月29日の段階で中国の重点大学を含む十以上の大学の有志による声援文章が発表されては削除された。さらに香港大学や香港中文大学の著名教授ら100名以上が逮捕された労働者の釈放要求書に署名し、8月1日にはアムネスティ・インターナショナルも「労働者の組織結社の自由の権利を尊重せよ」との声明を発表。香港では中聯弁(在香港の中国共産党本部)前で抗議デモが展開された。

 だが8月11日に、沈夢雨は当局から圧力を受けた叔父夫婦に呼び出される形で、連行された。22日の本人による声明では、深圳のとある別荘で公安の監視下で軟禁状態にあるという。その後、彼女の消息は不明。また、運動にかかわった労働者らは30平方メートルほどの収監室に押し込められて、食事をするときも、訊問を受けるときもひざまずいた格好で、人としての尊厳を守られていない、とラジオ・フリーアジアが関係者の話として報じた。運動の核となる沈夢雨の姿が消えたことで、労働者側の勢いは弱まり、8月24日には防暴警察隊が労働者や支援者の拠点となっていた民家に押し入り、その場にいた50人を連行した。


♯MeToo運動の学生有志も連行

 その中には北京大学外語学院卒業生の岳昕や中国人民大学、北京外語大学、湖南大学の学生が含まれていたという。

 岳昕は今年春♯MeToo運動の流れに乗って、22年前に北京大学で起きた教授の女子学生に対するセクハラ事件(女子学生は自殺)の真相について情報公開を要請した学生有志の一人で、この情報公開請求によって大学側から圧力を受けるも、人民日報や中国青年報が岳昕側を応援する論評を発表(すぐに削除)するなど、党内部の議論も呼んだ岳昕事件の中心人物でも知られる。この24日の支援学生ら一斉拘束と同時に、新華社は外国NGOの煽動によるもので、運動の中心人物であった余浚聡や劉鵬華らが所属していた労働者センターは、「某国の資金」や「指導」を受けていたと主張。翌日には環球時報が「中国は絶対に西側の方式をあがめるやり方では、問題解決できない」と訴え、今回の労働争議が、西側勢力による中国社会秩序のリズムを動揺させる画策であったという陰謀説をほのめかせた。

 
 ところで、興味深いのは、この労働争議は事実上、共産党の支配する労働組合に抵抗した労働者の自主的労働組合設立という、共産党体制の根本を揺るがす政治的要求を掲げているにもかかわらず、「労働者階級の正義の闘争」という社会主義革命的、毛沢東的スローガンを掲げ、党内左派人士の支持を得ているという点だ。

 一方、習近平政権は、労働者権利擁護運動を外国組織の陰謀と批判し、中国的秩序をひっくり返す動き、つまり民主化要求運動の萌芽として警戒を強め、こうした運動のリーダーをつぶしにかかっている。となると、習近平の目指す方向性は本当に社会主義強国なのか。資本家への富の偏りを是正し、労働者や農民、庶民に希望をもたらす(という建前の)共産党の正統性を受け継ぐ政権と言えるのかどうか。労働者権利擁護の運動を、治安維持の暴力で抑え込むやり方は共産党の正統性を自ら否定することになるのではないか。

 習近平政権と労働者、どちらが社会主義の“正義”を体現しているかと言えば、間違いなく労働者側だ。こうした労働者勢力を自分の支持層に取り込めない習近平は、毛沢東のような存在感を目指しているのかもしれないが、けっして毛沢東にはなれないということでもある。毛沢東にあれほどの暴君ぶりが可能であったのは、中国の農民・労働者の圧倒的支持があったからである。そういう意味では習近平は知識層も資本家も、そして労働者ら低層社会の人々も、右派も左派も敵に回している。今の中国の在り方、政権の目指す方向は、右から見ても左からみてもおかしいのだ。

 同時に、高等教育化が進み、労働者と知識層の境があやふやになってきた現在の中国では、単純に知識階級や資本階級と労働階級の対立をあおるというやり方で社会不満のガス抜きができなくなっている。だとすると、たとえ階級闘争のスローガンで始まった戦いも、やがては民主化運動につながっていくのではないか、という予感がして仕方がない。だからこそ、香港の知識人たちが肩入れするのではないだろうか。社会主義的なスローガンで運動を推進しようとしている人たちも、本音ではこれが民主化につながることを期待しているような気もする。


深圳で労働者運動が起きた意味

 こういう労働者運動が、中国のハイテク化企業が集中し、不動産バブルが膨らみ続け、証券市場もある資本主義の香りが濃厚で、かつ香港という自由と民主と自治の価値観が強く浸透している街に隣接する深圳で起きたことに、やはり私は時代的意味を見出さずにはおれない。

 ふと思い出すのは、数年前に、「蟻族」(都市の高学歴低層労働者)の研究で知られる中国人学者・廉思と懇談したおりに交わした会話だ。私は「中国の体制や社会が劇的に変わるとしたら、共産党内で指導者たちによって変革がもたらされるのか、社会の低層からの運動や欲求が社会を変えていくのか、どちらの可能性が高いと思うか?」と質問した。このときは習近平政権の性格について国際社会も意見が分かれており、習仲勲という開明派政治家の息子である習近平はひょっとすると、ゴルバチョフや蒋経国のような体制変化をもたらす新しい指導者になるのではないか、という期待を言う人も多かったのだ。

 だが彼は、間髪入れずに「社会の低層の権利要求運動に本当の突破力がある。党のトップから変革をもたらすことは難しい」と答えた。そうした低層の権利要求運動には、蟻族に代表されるような高学歴でありながら低層労働者側に立つ若者の力が鍵となっていくと予言していた。一応体制内学者である彼は「まあ、今すぐというわけではない。10年後かそれより先か」と慌てて付け加えていたが、10年を待たずして、こういう動きが今起きているのだから、この予言は当たっているといえる。

 8月24日の学生たちの一斉拘束で、この労働争議は完全に抑え込まれるかもしれない。だが、労働者の権利要求の高まりは、習近平路線が今の国家権威主義経済路線をとり、米中の貿易戦争が悪化し、中国経済に急ブレーキがかかるなか、深刻化こそすれ解決はしない。第二、第三の政治的要求を伴った労働争議や権利要求運動が各地で起き、おそらくはどこかの時点で政権の治安維持能力を超える、労働者と知識階級、党内人士そして国際社会が連動する形の大型の運動に発展していくのではないだろうか。それが5年後かもしれないし、もっと早いかも、あるいは遅いかもしれないのだが、来年が1989年の民主化運動とその弾圧事件であった天安門事件より30年目だということを思うと、いろいろと考えさせられる。

石破茂氏が「政治的な死」避けるラインは? 自民党総裁選「党員票」の楽しみ方 

2018年08月28日 15時41分20秒 | 社会・政治
 自民党総裁選(9月7日告示-20日投開票)は、国会議員票と同数の405ある党員・党友票の行方に注目が集まっている。連続3選を狙う安倍晋三首相(63)は政権を盤石にするため圧勝を狙い、石破茂元幹事長(61)は「ポスト安倍」の芽を残すためにも首相を上回りたい。裏を返せば、党員票の多寡が両者の政治生命を左右しかねないともいえる。両陣営が見据える勝敗ラインとは-。

徹底的につぶす

 自民党は21日、総裁選挙管理委員会の会合を開き、総裁選の日程や投票の仕組みを決めた。総裁選は国会議員票405と党員票405の計810票を争い、過半数を獲得すれば当選する。直近で複数候補が争った平成24年総裁選との大きな違いは党員票の扱いだ。

 24年の総裁選後に総裁公選規定が改正され、300に固定されていた党員票は国会議員票と同数となり重みが増した。集計方法も変わった。従来は党員票を都道府県連ごとに集計し、各地の党員数に応じ事前に割り振った票数をドント方式で配分していたが、現行は都道府県連ごとに集計した数字を党本部に伝え、全国で足し合わせた得票数をドントで配分する。地域の偏りが出にくく、「死に票」がなくなる利点がある。

 投票権も公選規定の「2年間党費を払った20歳以上」を、特例として「29年の党費を納めた党員」とし、結果として18歳以上に広げた。二階俊博幹事長(79)の号令のもとで増えている党員に配慮した。

 政府高官は首相が目指す党員票数について「国会議員票と同じ割合で取りたい。24年総裁選で首相は当初、メディアに『泡沫(ほうまつ)』といわれ党員票対策はできなかった。今回は違う」と周辺に話す。

 首相は7派閥のうち5派閥と、菅義偉官房長官(69)に近い無派閥議員らの支持を得て7割超の320票近くを固めている。国会議員票と党員票の得票率の差が大きいほど、来年の参院選を見据え野党が「自民党議員は民意とかけ離れている」との批判を浴びせるのは確実で、党員票でも国会議員票に迫りたいのだ。

 別の首相周辺は「新人や元職の争いと、現職と新人の争いは全く違う。後者は現職に対する反乱であり権力闘争だ。石破氏を徹底的につぶすためにも圧勝する必要がある」と語る。現状は首相の連続4選はできない。政権の終わりが見えることで求心力が下がる「死に体」を避けるためにも完勝が求められており、着々と策を繰り出している。

 首相自身が党員票の掘り起こしに熱心だ。首相公邸などで地方議員と積極的に会食や面会をし、自ら地方に出向くこともいとわない。業界団体との関係強化にも取り組み、日本農業新聞のインタビューに応じたり、日本医師会や日本歯科医師連盟、日本薬剤師会のトップと面会し、機関誌に掲載されたりしている。

 首相を支持する5派閥は都道府県ごとに責任者を決めて党員票の確保を目指し、政策ビラなどを組織的に配る準備を進めている。


人事にも直結

 党員票の結果は総裁選後の党幹部と組閣人事にも直結するとの見方がある。前出のように党員票はまず都道府県連単位で集計する。そのため、どの議員がどの程度貢献したか推測することも可能だ。党幹部は「その気になれば選挙区ごとの集票も見ることができるだろう。首相も人事に反映させるのでは」と話す。

 党員増が首相に有利に働くとの見方もある。党員は野党時代の24年の73万人台を底に右肩上がりだ。二階氏が幹事長就任後に「党員120万人」を掲げ、国会議員1人につき、継続・新規合計で千人の党員獲得ノルマを罰則付きで課した。その結果、党員は29年には106万人を超えた。

 党員獲得上位の国会議員には武田良太元防衛副大臣(50)、二階氏、小泉龍司国際局長(65)ら二階派議員や、首相支持の岸田派議員の名前が並ぶ。二階氏周辺は「党員の増加分は首相に投票してくれるだろう」と期待を寄せている。

 一方で党幹部は「党員票は首相と石破氏で6対4で御の字だと思っている。5対5だと寂しい」と語る。石破氏が長期政権批判に対する一定の受け皿になりうるとの認識だ。

 石破氏は早くから地方行脚を続け、総裁選で街頭演説や公開討論会を開き首相と直接対決する機会を求めている。浮動票を中心に集票する狙いだ。石破派幹部は「今回も国会議員票で劣勢なので判官贔屓(ほうがんびいき)もあるだろう。党員票で1票でも首相を上回りたい」と話す。

 5人で争った24年総裁選は党員票300のうち石破氏165票(得票は22万3376)、首相87票(同14万668)だった。今回の方式で計算すると、一騎打ちでは石破氏253票、首相152票となる。石破氏は石破派や竹下派参院議員を軸に50人前後の支持を得ており、議員票と党員票を単純に足し合わせると首相が約470票、石破氏約300票、未定約40票だ。

 党幹部は「石破氏の運命の分かれ道は党員票と議員票の合計で3割の240~250票だ。上回れば『ポスト安倍』として生き残れるし、下回れば政治生命は終わりだ」と話す。

 「天の声にも変な声もたまにはある」。昭和53年総裁選は党員投票による予備選で現職首相の福田赳夫氏が、田中角栄氏の支援を受けた大平正芳氏に敗れ、こう言い残して辞任した。今回の総裁選では、どんな「天の声」が下るのか。
 

国史の「整形」を重ね飾り付けた憲法に耽る韓国 度を超す自己主張を嫌った米国

2018年08月27日 10時58分11秒 | 国際・社会
 邦家の命運を外国に委ねる日本国憲法前文を読み返す度に、恥ずかしさがこみ上げる。そんな時、韓国憲法を読むと恥ずかしさが和らぐ。日本国憲法は“不磨の大典”を気取り進化を放棄するが、韓国憲法は研磨しすぎてバーチャル世界に踏み込んだ。日本のお粗末憲法でさえ、歴史はデリートしてはいない。

 折しも15日は、韓国の《新国家成立70周年》だったが、韓国政府は祝賀しなかった。文在寅大統領が1919年の韓国臨時政府発足を「建国」とみなし、「1948年建国」説を否定したからだ。48年は「政府樹立」の年なんだとか。美しさを求め整形に走る韓国人女性は多いが、国史の「整形」を繰り返し「厚化粧」に耽る国家は珍しい。


朝鮮=日本と認めた米国

 大日本帝國は1945年8月15日、大東亜戦争に敗れた。無政府状態を憂うわが国の朝鮮総督府は《朝鮮建国準備委員会》設置を、比較的冷静・公平に対処できる朝鮮人指導者に要請した。ソ連軍侵攻→朝鮮人政治・思想犯の釈放→朝鮮共産化→日本人への掠奪・暴行…が想定され、治安維持への協力を取り付ける意図もあった。

 ところが、自治組織にすぎぬ準備委は45年9月6日、「朝鮮人民共和国」を樹立し“独立宣言”する。一方、朝鮮総督は主要な建物の日章旗を降ろし、太極旗=現韓国国旗を掲げさせる。が、“独立宣言”直後、進駐してきた米軍は太極旗降下→日章旗を再掲揚させた。米軍の軍政が始まるや、日章旗が星条旗へと付け替えられた。なぜか-。

 米国は日章旗掲揚で朝鮮=日本だと公認。自らの軍政に正当性を持たせた。朝鮮が日本と別国家なら、米国が朝鮮を「解放」したことになり、解放後は統治を朝鮮に任せる過程を生む。これを嫌った米国は終戦直後、米軍上陸前の統治を総督府に密命。治安も日本の軍人・官憲に担わせた。

 米軍上陸後も日本は相当期間、軍政や治安維持に助力した。統治能力や軍紀を大いに評価していた背景もあった。反面、米国は当初、朝鮮人を軍政より徹底的に遠ざけ、朝鮮人の軍政登用を牛歩で進める。なぜか-。

 統治能力欠落+度を超す自己主張+激高しやすさ+共産主義者が入り乱れ=建国に邁進するまとまりに欠ける…など、米国の予習能力は高かった。実際、45年秋、30の朝鮮人軍閥が警察署や新聞社、企業・工場・商店を勝手に接収。米軍は武装解除を強制したが、効果は限られた。政党や政治結社も200近くにのぼり、指導者は内部抗争に明け暮れ暗殺・テロが横行した。準備委が“独立宣言”してできた「朝鮮人民共和国」ですら、中華民国(当時)に建てた韓国臨時政府と対立。2つの“政府”各々の内部でも抗争が激化した。


韓国の戦勝国=連合国入り願望は見果てぬ夢

 ところで、文大統領は《朝鮮戦争(1950~53年休戦)終結宣言》→《南北平和条約締結》→《在韓米軍撤退》→《南北連邦制施行》→《南北統一》を悲願とする。一連の流れの中で憲法改正、いや憲法粉飾で「見事な技法」を発揮するはず。現行憲法も「見事な技法」で飾り付けが施された。

 例えば韓国憲法には、国際法上合法だった韓国が日本となった《日韓併合/1910~45年》は存在せず、代わりに併合期の《3・1運動/19年3月1日》を起点とする建国物語が記される。憲法前文にはこうある。

 《大韓国民は3・1運動で建立された大韓民国(韓国)臨時政府の法統…を継承》

 朝鮮人が日韓併合期の3・1運動に際し独立宣言した点は史実。ただ、憲法が宣言を捉え、建国をうたうのは無理スジだ。このシナリオだと、韓国は大韓帝國の正統後継国家で、日韓併合は歴史上存在しなくなる。《大韓帝國→大日本帝國→米国軍政→韓国》との正史ではなく《大韓帝國→日本の植民地→韓国臨時政府→韓国》との虚構だ。

 3・1運動は参加者は多いが、逮捕→服役者は少なく量刑も軽かった。2カ月で収束し、長期・大規模戦争を思い描くのは誤り。筆者は3・1を反日暴動、韓国は「独立運動」と認識するが、何よりも初代大統領・李承晩(1875~1965年)が戦後の48年に行った独立宣言の正統性まで問われ、運動に建国の起点を見い出すのは難しい。もっとも、韓国憲法も追い風に、冒頭で論じたが、文大統領は不可能を“可能”にした。

 確かに3・1運動後の19年4月11日、韓国臨時政府は中華民国・上海で結成され、各地を転々とした。しかし、適性を疑われ連合・枢軸国双方が国際承認を拒んだ。現に「韓国臨時政府主席」の金九(1876~1949年)は戦後、個人資格で“帰国”。自伝で憂いた。

 《心配だったのは(大東亜)戦争で何の役割も果たしていないため、将来の国際関係において、発言権が弱くなること》

 そう。近代に入り、日本と朝鮮は本格的に矛を交えておらぬ。まともな対日ゲリラ抗戦もゼロ。韓国は「日帝を負かして独立した」のではない。米国にとって戦後の最重要課題は38度線以北に陣取るソ連の半島支配=統一国家建設阻止で、統治能力に欠ける南朝鮮独立は副次程度の認識だった。

 それが一転、米国はソ連傀儡の統一朝鮮建国を警戒、南朝鮮の長期信託統治を断念し、独立へと舵を切った。結局、韓国の独立は対日戦勝国・米国に大きく前倒ししてもらった棚ぼた式だったのだが、「連合国願望」は筋金入りだった。

 李承晩は長崎県・対馬の「返還」要求と抱き合わせで、領土も画定する「サンフランシスコ講和条約署名国の資格が有る」と1949年、米国に訴えた。戦勝国=連合国入りさせろ-とゴネたのだ。韓国は在日朝鮮民族の連合国民扱い=賠償を求めるなど国際の法・常識を無視する数多の無理難題を吹っ掛けたが、日本は無論、米国もほぼ呑めぬ内容だった。米国は難題を押さえ込むべく、韓国の署名要求を預かり、条約草案で一旦は締結国リストに加えた。

 けれども、日韓は戦っていないと英国が異を唱え、米国もならう。米国は《連合国共同宣言》への署名(42年)がないとも指摘したが、韓国は執拗に食い下がった。宣言参加国は47。全物的・人的資源を対枢軸国用戦力に充てる方針に同意していた。

 間の悪いことに、フィリピン独立準備政府や多くの亡命政府も参加していた上、連合国=United Nationsなる用語が宣言で正式採用された。交渉過程で韓国は、日本の講和条約締結を終始妨害し、島根県・竹島の韓国編入すら主張した。とどのつまり、韓国が得たのは在朝鮮半島の日本資産移管のみ。講和会議へのオブザーバー参加も拒絶された。


日本にカネを無心した抗日武装集団

 そもそも、日本だった朝鮮の人々は、欧州列強の植民地兵の如く人間の盾にされもせず、日本軍将兵として戦った。朝鮮人高級軍人の武勇に触発された朝鮮人が志願兵募集に殺到し、1942年と43年の募集各4000名/6000名に、25万5000人と30万人超が受験。競争倍率は63~50倍に達した。2万1000柱の朝鮮人英霊が靖国神社に祭られる。

 史実にひるむような韓国ではない。「あるべき理想史」に向け、韓国海軍の潜水艦名に祭り上げた《金佐鎮》の以下の物語に、韓国の情念を見る。

 滿洲東部~ロシア沿海州南西部は李氏朝鮮時代以降、朝鮮人が多数移住した。朝鮮&中国人匪賊・馬賊はここを根城に朝鮮半島北部の町村を襲撃、無辜の朝鮮人らの金品を略奪した。銀行券が奪われ日本領事館が焼き打ちに遭い女子供を含む13人が殺されるに至り、大日本帝國陸軍と中華民国軍が積極的掃討に乗り出す。匪賊・馬賊と共に帝國陸軍と戦ったのが、日韓併合に不満を持つ抗日武装集団・北路軍政署の頭目・金佐鎮(1889~1930年)だった。

 歴史上、金が登場する時間は1週間。韓国が“対日戦争”と言い張る《青山里戦闘》以外にない。金を英雄に仕立て、青山里戦闘を「大勝利」へと文字通り「導く」ため、韓国は歴史の粉飾を重ねた。日本側は複数の資料に彼我の損害を克明に記録。《戦死11(将校の戦死ナシ)・負傷24/敵側の戦死130・死傷90以上・逃亡200》とした。

 対する韓国側は帝國陸軍の被害を次第に誇張し始め、「戦死の加納信暉・聯隊長以下3300人殺傷」と言い出したが、ウソはあっけなくバレた。加納大佐は戦闘後の1922年まで聯隊長を務めていた。

 しかも「金佐鎮将軍」は30年、「日帝の指図を受けた朴尚實の凶弾で殉死した」ことにされる。だが、朴は《共産勢力に属した朝鮮人の元部下》で、日本とは無関係。逆に、追い詰められた金ら600人は武器・資金の欠乏で農民に転向せんと、資金援助を日本総領事に申し入れた。

 日本外務省は難色を示したが、お咎めナシ。暗殺するほどの大物ではなかった現実を裏付けるが、韓国は1991年以来、金の生家の聖域化事業を推進し、家屋や門を復元し展示館を建設。祠堂を含め2880坪を造成した。毎年「青山里戦闘全勝記念祭」を開いてもいる。

 韓国臨時政府も1940年、中華民国内で《韓国光復軍》を立ち上げる。韓国メディアは光復軍についてこう講釈する。

 《英軍と連合して1944年のインパール戦闘をはじめ、45年7月までミャンマー(ビルマ)各地で対日作戦を行った》

 実は、光復軍の動員計画は遅れ、創設1年目の兵力は300人。米CIA(中央情報局)の前身組織の協力下、朝鮮半島内で潜入破壊活動を考えたが、日本降伏が先になった。

 作家・池波正太郎によれば、剣客は真剣での立ち合いに敗れると、相手と10年後の勝負を契る。再び負ければさらに10年後と、勝って自信を取り戻すまで挑み続ける。でも、日韓関係は微妙に違う。日本と戦い独立を勝ち取ったのではなく、日本を負かした米国の進駐で棚ぼた式に日本統治の終わりを迎えた。従って、歴史を正視すると永久に自信は取り戻せない。取り戻そうと、歴史の粉飾・捏造を反復するが、なおも自信を得られない。かくして、屈折した負のスパイラルは永遠に続く。

「中国共産党の死」を見届けられぬ?習近平氏 爆殺・毒殺未遂9回に疲労は危険レベル

2018年08月20日 11時26分43秒 | 国際・社会
 酷暑に豪雨と、尋常ならざる夏と闘う日本国民は疲れ切っているが、中国の習近平国家主席も疲労の度を深めている。小欄では過去何度か、習主席の「眠たげな顔」の原因の一つが「暗殺への恐怖→不眠→疲労困憊(こんぱい)」故だと報じてきた。ただ、AFP通信のベン・ドゥーリー記者が投稿したツイッター上の証言や幾つかの外国メディア報道で、疲労困憊の原因は他にもあると改めて確認した。今次小欄はまず、その辺りに触れる。ドゥーリー記者は、7月に世界銀行のジム・ヨン・キム総裁と北京の釣魚台国賓館で会談した際の習主席の表情を、こう伝えた。

 《会談中はずっとウトウトしていた》

 《(習主席が)あれほど疲れている場面は見た覚えがない》

 加えて、同じ日に同じ場所で行われた、ユネスコ(国連教育科学文化機関)のオードレ・アズレー事務局長との会談で習主席は、アズレー氏を「世界貿易機関(WTO)事務局長」と何度も言い間違えた、という。《習主席は目に見えて疲労困憊していた=ドゥーリー記者》。

 疲労原因について、英紙フィナンシャル・タイムズは8月、以下を報じた。

 《中国の習近平国家主席は、近年の巧みな権力掌握に意図せぬ結果が伴った現実を思い知らされている。絶対的権力には絶対的責任が伴う。習氏は在任6年間で、とりわけ厳しい時期を迎えた。『数々の問題を習氏の責任に転嫁することが容易になっている』のだ》

 フィナンシャル・タイムズは具体例として《急激にエスカレートし、経済成長の劇的鈍化につながりかねぬ米中貿易戦争》を指摘した。中国国内では、インターネット上の論文が削除され、身柄拘束をも覚悟してまで《金融恐慌発生の可能性が高い》と警鐘を鳴らす学者も存在する。金融恐慌発生の危険を、非習近平派はもとより、反習近平派も確信したが故に、3月の憲法改正で習主席が「終身国家主席」へと突き進む事態を黙認したのではないか。フィナンシャル・タイムズの論ずる『数々の問題を習氏の責任に転嫁することが容易になっている』とは、かくなる深謀遠慮を指すのではないか。しかも、憲法上は可能となった「終身国家主席」とはいえ、4年後の共産党大会時に習主席は69歳になる。共産党の内規《68歳引退》を破る反党行為を反習近平派が認めるとは考え難い。激烈な闘争の発火点となろう。

 フィナンシャル・タイムズはまた、《習氏は国家主席1期目に、地域最大の軍事大国として米国に取って代わる決意を明確に示したが、(事実上の最高指導者だった)鄧小平(1904~97年)が唱えた、じっくりと力を蓄え、時機を待つ『韜光養晦』戦略を、簡単に捨てるべきではなかった》との《ささやき声の批判の合唱》を紹介した。逆説的には、自国を経済・軍事上の「強国」と自覚するに至った中国国民は、国際社会の圧力に屈して南シナ海の海上人工軍事基地群を放棄すれば、習近平指導部に矛先を向ける、という理屈だ。

 さらに、25万本もの小児用ワクチンが不正製造→接種され、習近平指導部を揺るがす大事件と化した《ワクチン・スキャンダル》も疲労原因に挙げた。ワクチン・スキャンダルをめぐっては、メディアを監視する中国共産党中央宣伝部がインターネット上にアップされる言論を徹底的に削除したが既に、薬品メーカーと国家食品薬品監督管理総局の癒着疑惑が拡散してしまっている。


軍のクーデターへの恐怖も重なって

 経済の繁栄をレゾンデートル(存在理由)に掲げてきた中国共産党の一党支配は、ようやく将来の「死に場所」を見つけたようだ。

 もっとも、習主席は「共産党の死」を見届けられないかもしれない。米国に拠点を置く中国問題専門の華字ニュースサイト《博聞新聞網》の報道や、筆者が取材した日中公安筋の情報を総合すると、次のごとき驚愕の暗殺未遂事件が起きた。

 習主席は昨年12月24日、人民大会堂での会議が終わり、専用車両に乗ろうとした際、爆発物の炸裂に遭遇した。習主席は「腹痛」を起こし、北京市内に在る中国人民解放軍直属の《中国人民解放軍総合病院/通称・301病院》に緊急搬送された。爆発は「中国共産党本部や政府が所在する中南海エリアに駐車中だった習主席専用車両近くの車」とする情報もある。

 一方、301病院搬送も外傷ではなく、極度の緊張・心労が原因で、正確には「腹痛」ではなく「胃痛」を発症したとされ、深刻な症状ではないといった見方が有力だ。大事をとって301病院で精密検査を受け、精神疲労をとるために特別病棟に1泊し、翌日の朝食後、退院した。

 習主席の一団が病院に駆け込んだ直後、病院は一時的に閉鎖、他の患者は締め出され、武装警察や特別警察が厳重な警戒網を敷いた。人民大会堂は一般市民の立ち入りが禁止された上、軍で使用されている爆発物が仕掛けられていた諸点を考慮すれば、爆発物は人民解放軍幹部が持ち込み、セットされた可能性が高い。当日の監視カメラ映像などがチェックされ、人民解放軍の警備要員も個別に尋問された。

 習主席を狙った暗殺未遂事件は過去5年間の報道でカウントすると、少なくとも8回発生したと推定され、昨年12月が9回目(報道回数)になる。

 奇っ怪だったのは、ヒラリー・クリントン米国務長官(当時)が訪中した2012年9月。国家主席就任が決まっていた当時の習国家副主席は「水泳中に運悪く背中を痛めた」とかで301病院に入院し、絶対に会わなくてはならぬ超重要人物たるクリントン氏との会談をドタキャンした。中国共産党の最高意思決定機関=党政治局常務委員会の「周永康委員(当時/汚職で無期懲役・服役中)らの暗殺未遂説が有力。その後も周は“事故”に遭った習副主席が301病院に入院するや、今度は毒入り注射で毒殺せんともくろんだが、事前に発覚した」(日中公安筋)。 

 この他、軍最高指導部=党&国家中央軍事委員会の委員(元人民解放軍総参謀長)ら党内序列上位の要人数人が軍事クーデターを画策したが露見し、失脚や自殺(暗殺説も)に追い込まれた。 

 習主席は政敵や反対派幹部の追い落としを狙い“反腐敗運動”を断行。汚職容疑などで多くの幹部を粛清している。それ故、習主席を狙う党・軍の大幹部は多く、習主席の精神状態に大きな影響を与えまくるだろう。


クマのプーさんを恐れる地球上で唯一の国家=中国

 筆者が複数の安全保障関係筋に聴いた話は興味深かった。

 晴れの舞台で国家指導者は、抑えようとしても抑えきれぬ笑みがこぼれる。けれども、2015年9月に北京で挙行された《抗日戦争勝利70年観兵式》で、車両のサンルーフより身を乗り出した際も、天安門城楼に立った際にも、習主席の表情はいかにも眠たげで何とも冴えなかった。安全保障関係者の間では、84%にのぼる初公開の新兵器の真贋・性能も重要な分析対象だったが、もう一つ、「何かに怯えていた」かに見える習主席の顔に注目が集まった。

 複数の安全保障関係筋によると、観兵式前、将兵が携行する小火器や動員する武装車輌/武装航空機に実弾が装填されていないか、徹底的な「身体検査」を実施したもよう。展示飛行する航空機の自爆テロを恐れた揚げ句の、地対空ミサイル配備情報にも接した。いずれも、習主席暗殺を警戒しての防護措置。眠たげな習主席の表情は、不安で前日一睡もできなかった結果だとの観測は、こうした背景から浮かんだ。

 ところで、習主席が昨年12月24日、人民大会堂での会議が終わり、専用車両に乗ろうとしたとき、爆発物が炸裂した暗殺未遂事件は先述したが、タイミングが悪過ぎた。欧米の思想・宗教を弾圧する習近平指導部は、学校などでのクリスマス祝賀行事を厳禁する。当然、クリスマス・イブに起こった事件はインターネット上を駆けめぐった。こんなふうに-。

 《習主席がサンタクロースの復讐を受けた》

 筆者なりに、なぜ習主席が慈愛に満ちる《サンタクロースの復讐を受けた》のか、想像を膨らませた。真っ先に、ニセモノのディズニー・キャラクターを拡散し、内外の子供たちをだまし続ける中国に怒りを爆発させたのだ…と考えた。次いでたどり着いたのが「クマのプーさんへの弾圧」だ。丸っこくて+ふっくらして+愛らしいディズニーの人気キャラクター=クマのプーさんの外見が習主席にそっくりだとソーシャル・メディアで評判になり、中国の検閲当局は近年、クマのプーさんの名前や画像の投稿をブロックした。

 中国国内でクマのプーさんは、民主派などが習主席を指す隠語としても使用されている。米国で大ヒット中の実写版映画《プーと大人になった僕》も、中国政府は国内公開を認めぬ方向だ。クマのプーさんは国家指導者様をおちょくる「反逆獣」というワケだ。

 同じ独裁国家の北朝鮮でさえ、露骨なパクリながら「クマのプーさんもどき」をパッケージ・キャラクターにした菓子が発売される。地球上で、世界の子供たちの心を豊かにするクマのプーさんを恐れ「弾圧」する国家・地域は中国だけだ。

首相を目指す石破茂氏に意外な「応援団」 国民民主党など野党勢がエール、“敵の敵”は味方?

2018年08月16日 06時34分59秒 | 社会・政治
 自民党の石破茂元幹事長(61)が10日、9月の党総裁選への立候補を正式に表明した。安倍晋三首相(総裁、63)との対決姿勢を鮮明にした石破氏だが、党所属国会議員の支持は広がりを欠いている。そんな劣勢の石破氏には、意外な「応援団」がいる。国民民主党の議員を中心とした民主党出身者がエールを送っているのだ。首相への批判的な言動が賛同を集めているとみられ、熱烈な「石破ファン」も多い。

 「自民党が『不自由民主党』になっている。石破先生が活発な議論を展開してもらえれば、日本の政界が活性化するきっかけにもなるのではないか」

 国民民主党の玉木雄一郎共同代表(49)は7月24日の記者会見でこう述べ、石破氏への待望論を唱えた。同党の大塚耕平共同代表(58)も7月26日の記者会見で「安倍政権が民主主義を劣化させている。石破氏には頑張っていただきたい」と支持を“表明”した。他党のトップ争いに口を出すのはいかがなものかと思うが、それほど安倍政権への鬱憤がたまっているということだろう。

 衆院会派「無所属の会」の大串博志幹事長(52)は、石破氏の名こそ挙げなかったが、7月24日のブログにこう投稿した。

 「安倍政権が継続することは日本のためにベストだとは思わない。どのような形でも取って代わろうという動きが出てきてほしい」

 国民民主党の中堅議員も「オレは石破さん推しだ。理由は簡単だ。安倍首相のことが嫌いだからだ」と漏らす。


野党支持層ではトップ

 石破氏に期待を寄せるのは、野党の国会議員だけではない。世論調査をみると、野党支持層における石破氏の人気は、連続3選を目指す安倍首相に比べて圧倒的に高い。

 産経新聞社とFNN(フジニュースネットワーク)が7月21、22両日に行った合同世論調査で、次期自民党総裁にふさわしい人物を聞くと、立憲民主党支持層の38・5%、国民民主党支持層の37・5%、共産党支持層の31%が石破氏を挙げた。

 安倍首相を望む声は立憲民主党支持層でわずか0・9%。国民民主、共産両党の支持層にいたっては、それぞれ0%だった。

 石破氏は総裁選の看板に「正直、公正」を掲げ、森友学園や加計学園をめぐる問題への政府の対応を批判している。安倍首相が提案した憲法9条に自衛隊を明記する改正案や、消費税率10%への引き上げによる増収分の使途変更方針などにも苦言を呈してきた。こうした姿勢が野党支持層の留飲を下げる結果につながっているようだ。

 石破氏の側近は「安倍首相と異なり、石破氏は国会論戦で野党をバカにしたような態度をとらないからではないか」と野党議員の石破氏人気の理由を分析した。

 石破氏は、安倍首相の民主党出身者への対応に批判的だ。5月7日のBSフジ番組で「(安倍首相は)『民主党時代はどうだったのか』との話をすぐ出すが、前より良かったからいいということにはならない」と述べた。野党勢力にとっては立場をおもんばかられた形だ。


蓮舫氏「心から応援」

 石破氏は自民党が野党だった時代、国会論戦で先陣を切って民主党政権に対峙(たいじ)し、政権交代を牽引(けんいん)した立役者でもある。旧民主党勢にとって仇敵(きゅうてき)のはずだが、安倍政権批判の代弁者としての役割を超えて、民主党出身者の石破氏への敬愛の念は深い。

 「私、石破氏を心から応援しています。がんばっていただきたい…」

 平成26年10月7日の参院予算委員会で、地方創生担当相だった石破氏に対しこう述べたのは当時民主党に所属していた蓮舫・現立憲民主党副代表(50)だ。商店街活性化策をめぐる議論で発せられた唐突なラブコールに議場はどよめき、蓮舫氏は照れた。

 蓮舫氏に限らず、立憲民主党の議員からは「議員宿舎の食堂で早朝から書籍を読むなど鍛錬を欠かさない姿は立派だ」との声が漏れる。同党の議員が自民党議員を持ち上げる発言は極めて珍しい。

 国民民主党の原口一博元総務相(59)や渡辺周元防衛副大臣(56)らも民進党時代、石破氏の知見を頼り安全保障分野をめぐる夜の会合を定期的に開いていた。今も石破氏率いる石破派(水月会、20人)のメンバーは月に1回程度、旧民主党出身者と「中立・中道の立場から政治を議論する」(関係者)との会合を開いているという。


肝心の自民支持層支持は低迷>

 7月の産経・FNN合同世論調査で、石破氏は肝心の自民党支持層の支持が16・9%にとどまり、49・1%の安倍首相の3分の1にすぎなかった。

 どんなに野党からの人気が高くとも、自民党総裁選はいわずもがな、自民党員と所属国会議員が有権者だ。

 「わが党は政権党であり、(総裁選は)首相を選ぶ選挙だ。他党の支持の方であっても、無党派の方であっても理解をいただく努力をしたい」

 石破氏は10日の出馬表明記者会見でこう強調した。野党支持層を含めた自身の人気を自民党員の投票動向に影響させたい意向がにじんだが、石破氏の苦しい立ち位置を象徴する言葉でもあった。