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【阿比留瑠比の極言御免】 「拉致はわがこと」貫いた津川雅彦さん

2018年08月10日 11時04分37秒 | 社会・政治
 昨年11月下旬、4日に急逝した俳優の津川雅彦さんの勉強会「探美会」に参加した。津川さんはそのつい2週間ほど前まで、肺炎で入院していたということで、鼻から医療用チューブを通し、酸素を補給していた。ただ、ユーモアあふれるスピーチは健在で、順調に回復しているのだろうと感じたのだった。

 その後、たまたま安倍晋三首相に探美会に参加したと伝える機会があった。安倍首相はすぐに「津川さんはどんな様子だったの」と尋ね、本当に津川さんの体調を心配しているのが分かった。

 津川さんは平成24年9月の自民党総裁選に当たり、安倍首相の再登板を求める緊急声明をまとめた民間人有志の発起人の一人にも名を連ねていた。


首相の「雨天の友」

 「悲しいですね。寂しい思いです。(第1次政権で)首相を辞職した後、本当に津川さんには温かく励ましてもらい、背中を押し続けていただきました」

 安倍首相は8日、首相官邸で記者団にこう述べた。まさに逆境のときに支えてくれた「雨天の友」であり、同志だったのである。

 津川さんといえば、10年公開の映画『プライド 運命の瞬間』で、それまで単純に悪玉として描かれることの多かった東条英機元首相を演じたのが印象深い。日本を一方的に悪だと決めつけようとした極東国際軍事裁判(東京裁判)で、堂々と日本の主張を展開する東条は重厚感があり、かつ小気味がよかった。

 だが、世間の評価は割れた。この映画について津川さんは24年9月の「産経志塾」で振り返っている。

 「映画界では、『左翼にあらずんば人にあらず』といったことが傍若無人に語られてきた。僕は『プライド-』の撮影中、ある映画監督に制作を妨害された。ある小説家は、自宅前でのロケを、『うるさい』といって追い払った」


「左翼嫌い」を公言

 気に入らない言論をすぐ封殺しようとしたり、揚げ足を取り集団リンチを加えようとしたりする昨今の左派メディアのやり方と通底している。こういう経緯もあってか、津川さんは「左翼嫌い」を公言していた。

 朝日新聞が26年8月、特集記事「慰安婦問題を考える」で、過去に18回も取り上げてきた朝鮮人女性を強制連行したとの吉田清治の証言を取り消したものの、当初謝罪はしなかった際には、夕刊フジへの寄稿で次のように皮肉っている。

 「謝罪しないのは、左翼らしくてよろしい! (中略)左翼嫌いの僕にとっては、その『卑怯(ひきょう)』『卑劣』なイメージをキープして、訂正記事を出したことを無駄にしてほしい」

 昭和49年には、当時生後5カ月だった長女が誘拐(41時間後に救出)されるという悪夢のような経験もし、拉致問題にも関心が高かった。平成25年、政府の拉致問題啓発ポスター「拉致。必ず取り戻す!」に協力したときの記者会見では、こう語っていた。

 「拉致問題をわがことのように思える人間だと思って参加した。日本人みんなが拉致問題を一日も早く解決するという思いを、被害者の親御さんと同じように持ってほしい」

 ポスターに書かれた津川さんの署名入りの「親の愛は、世界を動かす。拉致問題は、私達すべての問題です」との言葉が胸に響く。拉致問題の関連集会などにも積極的に参加していた。

 津川さんの死に顔は安らかだったと聞くが、どれほど拉致問題の解決をその目で見たかったことだろうか。北朝鮮情勢が揺れ動く今だからこそ、残念でならない。

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