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習近平政権が進める全国民監視システムの恐怖

2018年05月31日 15時58分59秒 | 国際・社会
 中国の習近平政権は今、国民全体に対する監視システムの構築を行っている。

 例えば、全国の都市部では2千万台以上の監視カメラが設置され、24時間、街中の人々の動きを監視している。そして、監視カメラの中には、特殊な人工知能(AI)が内蔵されている。

 カメラ自体は歩行者や自動車を運転中のドライバーの顔をズームアップで捉えるだけでなく、車の色や車種、歩行者の年齢、性別、衣服の色といった詳細を判別することもできる。カメラに内蔵しているAIが衛星利用測位システム(GPS)や顔認証システムを通して当局のまとめた「犯罪者データベース」とつながっているために、街の中である人物を捉えた際、当局の「犯罪者データベース」と一致すれば、GPSを使って居場所を即座に探し出し、警察官が直ちに駆けつけてくる仕組みとなっている。

 当の警察官たちにも特殊な眼鏡が配備されている。それも顔認定機能を搭載し、当局の「犯罪者データベース」とつながっているから、警察官がこの眼鏡をかけていると、人混みで映る多くの顔から、「犯罪者データベース」に登録された人の顔をわずか0・1秒で割り出すことができるのだ。

 このような精密なシステムの監視対象となるのは、もちろん一般的な意味での犯罪者だけではない。中国共産党や政府に対して反抗する人、反政府的デモや街頭での抗議活動を行う人は皆、このシステムによって監視され、身元が簡単に割り出されてしまうのである。

 しかも、中央テレビ局はわざとこのシステムのすごさをアピールする番組を全国向けに流している。そうすることによって、「自分がどこへ行っても常に監視されている」という意識を全国民に植え付け、国民の誰もが公の場での抗議活動などを躊躇(ちゅうちょ)しなければならないようにしておくのである。

 ネットは当然、中国政府が重点的に監視する領域である。ネットユーザーが自分の端末機器から発信する微博(中国版ツイッター)が常に監視されているのはもちろんのことだが、実は日本でも話題になっている中国の消費者用電子決済システムも政府の監視下にある。政府はその気になれば、個人の消費行動までを細かくチェックすることができるのだ。

 中国政府はさらに、国民個人所持の携帯電話やスマホなどの端末通信機器に政府開発の監視用ソフトのダウンロードを強制するプロジェクトを進めていく。監視用ソフトがダウンロードされると、個人所持の携帯やスマホから発信したすべての情報と、それが受け取ったすべての情報が政府の監視システムに筒抜けになる。

 中国の場合、携帯やスマホの購入・所持は実名制であるから、誰かが自分の携帯やスマホから政府批判のメッセージでも発信していれば、発信した本人の身元が直ちに割り出される。通信機器を使っての政治批判は、これで完全に封じ込められることになるのである。

 現在、中国政府はまず、重点的な監視対象となっているウイグル人たちにこの監視ソフトのダウンロードを強要し始めているが、いずれ全国民に広げていくであろう。

 このようにして今後の中国国民は、町を歩いていても、ネットで友人とおしゃべりしていても、電子マネーで支払いをしていても、自分の携帯やスマホからメッセージを配信していても、常に政府によって監視されているのである。もはや人権とか自由とかうんぬんするところではない。国民全員は24時間、常に政府に監視されているという恐怖感と憂鬱の中で生きていくしかない。

 それはすなわち、習政権が構築しようとしている「新時代中国」の理想的姿なのであろう。

加戸守行前愛媛県知事、ネット番組での発言全文

2018年05月30日 06時40分53秒 | 社会・政治
「鳩山内閣で実現検討となったのに献金が始まるとポシャった」

 加戸守行前愛媛県知事は23日、自民党のインターネット番組「カフェスタ」に出演し、学校法人「加計学園」の獣医学部新設をめぐり、旧民主党議員の抵抗ぶりなどについて語った。番組でのやり取り全文は次の通り。

 鈴木馨祐自民党青年局長「きょう5月23日になりましたが、本日のカフェスタということであります。実は今日はニューカマーというかですね、初めてこのカフェスタに出ていただく素晴らしいゲストに来ていただいております。80代にして初めてこのカフェスタに来ていただく。これまでなかなかなかったと思いますけれども、皆さまよくご存じの前愛媛県知事の加戸守行さまに来ていただいております。では、最初に自己紹介がてらですね、少しお話をいただいてよろしいでしょうか」

 加戸守行前愛媛県知事「私は平成11年に愛媛県知事に当選しまして、最初に取り組んだ仕事が『今治新都市開発事業』でして、構想がもう宙に浮いたまま神棚に上がっていたんで、当時の建設省や地域整備振興整備公団に足を運んで、なんとか都市開発をお願いしたいと、事業着手を認めてもらって。そして用地整備を進めながら、学園都市構想ですから、大学の誘致ということで地元の大学の経営マネジメント部っていうのが来てくれるかという話が進んでいて、途中でそれがポシャって、土地はできたけれども宙に浮いた状態。それが一つ」

 「それから私が知事に就任して間もなく、アメリカでBSE、狂牛病が発生して、日本でも輸入禁止とか牛肉の検査とかいろいろありました後に鳥インフルエンザが発生して。愛媛でもそれを防御しなきゃならん。後半には宮崎県で口蹄疫が発生して。水際作戦でも四国に入れないとか、いろんな対策やりながら獣医師不足に泣きましてですね。四国全県そうなんですけど、公務員獣医師が確保できない」

 「でも大学自体がほとんど、80数%が関東近辺で、岐阜から西には18%の入学定員しかないというんで困り果ててたときにちょうど今治の県会議員が、加計学園の事務局を招致と、平成17年に大学を誘致したんだけれども2年間渋ってなかなか発展しないから。やっと平成19年1月に獣医学部構想ならやりましょうって、こっちは渡りに船で新都市開発と獣医師不足といっぺんに解消できるというんで」

 「私、文科省OBだから、後輩が、自分の元部下が高等教育局長なんで、乗り込んで何とかしてくれと言ったら『いやまぁ、国費があって農水省がうんと言わない、やれ獣医師会がうんと言わない、法の壁です…』ということで、もう何か大学設置の申請を受け付けないという状況でした。ときに、構造改革特区というのが小泉(純一郎)内閣からありまして、特区になれば認められるということで、ちょうど(第1次)安倍(晋三)内閣のときに持ち込んだんですが、申請したのは福田(康夫)内閣になって」

 「それで、けんもほろろな扱いで、おかしいなって思って。とにかく獣医師会を崩さないかんと思って、獣医師会にお願いに行ったら、当時、群馬県の谷津義男先生が会長でね。『よく分かるけどね、こればかりはなかなか理解が難しいんだよなぁ』なんていう話で。要するに最後はけんもほろろだったのが、民主党政権になった途端に若手が動いてくれてですね。自民党ができないなら私たちがやろうと」

 「鳩山(由紀夫)内閣になって今までけんもほろろだったのが、平成22年度中の実現に向けて検討と。いや、これうれしいと思ったら、民主党に獣医師連盟ができて、政治献金が始まった途端にそれがポシャって。菅(直人)内閣では平成23年度中検討、野田(佳彦)内閣は24年度に検討。で、安倍内閣が復活でできても、安倍政権では平成25年度実現、いや平成26年度中…。そば屋の出前で『今日中にお届けします』といってそばの配達がされない」

 鈴木氏「最初に獣医学部の新設の話を持っていかれたというのは」

 加戸氏「平成19年の1月…だから正式書類で出した構造改革特区は平成19年の10月か11月ですかね」

 鈴木氏「今おっしゃっていましたけども、県内でかなり公務員獣医師とか、非常に足りない環境があったと」

 加戸氏「そうですね」

 鈴木氏「私もよく聞く話ですけれども、獣医学部って相当増やさないというか、全然増えていない状況であるみたいですね。これね」

 加戸氏「そうですね。昭和41年以来ですから今まで52年間増えていません。規制があるのが医学部と歯学部と獣医学部と商船学部なんですけど、医学部は増やしちゃいかんけれども、定員は増やしている」

 鈴木氏「定員増えてますね」

 加戸氏「医師不足で各県で定員を増やしたりしましたけどね。獣医は定員も増やしちゃいかん。で、ペットが増えてみんなお医者さんに行くんだから、獣医師がなるんだけども、大動物はいかないんですね。そして獣医師不足は全部水増し定員でやっている。私学は120人が入学定員のところを140とか150入れますから。それで国公立あわせて930人のうち、いつも1200人とか1300人が入学してる。だから自由自在に水増し定員で稼げる。少ない教官で稼げる」

 鈴木氏「しかも東日本と西日本でもかなりばらつきがあるみたいですね」

 加戸氏「箱根の関所より東が82%、岐阜から西が18%」

 鈴木氏「そんなに違うんですね」

 加戸氏「それで関東は水増し入学するから実質は87~88%が関東で、岐阜から西が12~13%ということで。こんな配置では暴動が他の分野では起きるけれども」

 鈴木氏「これ聞いたら、多分これ聞いてる皆さんも、どう見ても実際の獣医師のニーズっていうのは加戸さんが知事されてた愛媛であったりとか、西日本ではこれは多いですよねって。常識で分かりますよね」

 加戸氏「だから私たちが文句つけてたのは、所管が違うけれども、6年生の国家試験になる資格っていうのは獣医師と薬剤師、同じなんですよね。で、この薬剤師の方は10年間に5千数百から1万1千数百で倍増しちゃった。6千人も入学定員枠が増えて、薬学部は28もできているんですね。獣医学部はもうゼロで、1名たりともダメ」

 鈴木氏「ちょっと不自然な感じがすごくしますよね。こういう非常に強い、ある意味政治圧力というかそういうのがあったんでしょうね」

 加戸氏「そうですね。獣医師政治連盟っていうのは強くて、北村直人さんという委員長が大活躍されて、要所に手配されて、私たちが何かしようとすると先手先手で全部おさえられちゃって」

 鈴木氏「相当ご苦労されましたもんね」

 加戸氏「私の知事時代もずっと、まぁ言うなれば愛媛県・今治市対獣医師政治連盟との戦いであったと言っても過言じゃないですねぇ」

 鈴木氏「そこはやっぱりわれわれ政治家ですから、特定の業界団体ではなくて、本当に必要な、国民の皆さんが必要としてることをちゃんとやるっていうのがわれわれの本分だし。ただ、そうは言っても確かにいろんな業界の圧力ってどこでも強いですよね。だからそれをちゃんと突破しようっていうことで特区というところが構想として持ち出されてきた。で、まさに活用されてきたと思うんですけれども、実際その民主党政権のときに、まぁ少し動きがあって…」


「100万円の献金であんなに義理堅く働く先生は自民にいませんね」

 加戸守行前愛媛県知事「少しじゃなくて、大幅に動いたんです。これは1、2年中にできるなと思ったら、民主党獣医師議員連盟ができて、そして玉木雄一郎先生とか福山哲郎先生とか、めぼしいところに100万円ずつ政治献金が行ったら、とたんにブレーキがかかっちゃって。今でも国会で追及の先頭に立たれているから、100万円の政治献金があんなに義理堅く働かれる先生ってのは自民党にはいませんねぇ」

 鈴木馨祐自民党青年局長「実際その後、安倍政権に代わって、という流れの中だと思いますけれども」

 加戸氏「転機は国家戦略特区法ができたからですね。平成26年に、はじめに新潟市とか京都府とか国家戦略特区に指定された。その中で新潟市で食料農業大学を作って獣医学部を作ろうという構想が出たんで、国家戦略特区諮問会議の委員がこの獣医学部の規制は岩盤規制じゃないか、何とかせないかんといって、農水省と文科省を呼んではヒアリングを5回ぐらいやって」

 「そして、あっちの方がなるかもしれないという段階が、今度問題になった愛媛県から出た新文書のメモにある平成27年2月25日という時点なんです。そのときには加計学園も国家戦略特区の方がひょっとしたら脈があるんじゃないかと思って柳瀬(唯夫首相)秘書官のところに相談に行ったらアドバイスをもらって。で、公募して、競争に参加したっていうことで」

 鈴木氏「加計学園の方で獣医学部を作ろうということで動き回ったと思いますが、加計学園が優れていた、応募の中でですね、優れていたところっていうのは、逆に近くで見ていてどういうところがあったと思いますか」

 加戸氏「私も国家戦略特区では、今治商工会議所の特別顧問という立場でプレゼンテーションをしましたから、言うなれば今や国際的潮流は従来の獣医師だけじゃなくて感染症対策、それから先端的なライフサイエンスをやる」

 鈴木氏「開発もありますね」

 加戸氏「そう。あと動物由来の病気に対する感染の製薬とか、いろんな分野で教授陣を世界一のものをそろえようということで。ですから既存の私立獣医科大学というのは45人の教官で、こっちは50人、こっちは51人と。今度の今治の場合は75人というスタッフを、全て分野をそろえて。他の大学は掛け持ちの先生が多いですけどね。だからおそらく世界トップレベルだと私は自負してますけど。大学設置審議会で揉みに揉まれて」

 「自分のとこは80センチのハードルで飛んでたけど、今度加計がやってきたから120センチにハードルをあげろっていうことで。徹底的にいびり抜かれた、言葉はよくないですが、愛の鞭によって日本一のものが今できたと。だから私に言わせますと、安倍総理の忖度のかけらもない、むしろ逆忖度されてこんなにいじめられたんじゃないかと思うくらい条件厳しくされて。しかるがゆえに立派な学部ができると。かえって喜んでいる次第です」

 鈴木氏「本当に情熱を持った素晴らしいプロジェクトがあって、何があってもぶれないという企業、そして自治体があってそれで初めて突破できるものじゃないですか。なかなかそれがないといろんな形でつぶされていきますよね。どこの企業も全くない状況で、そうした規制改革の突破口ってなかなか開けないと思うんですよね」

 加戸氏「だからあの、私は国家戦略特区の八田(達夫)座長はじめ民間委員に感謝したいのは、皆さん方は要するにこの岩盤規制を撤廃するのは、例えば宅急便のクロネコヤマトを認めたおかげでカンガルー便だ、佐川急便だ、日通だとみんな広がった。セブンイレブンにコンビニを認めたがゆえに、ファミリーマートだ、ローソンだとみんな広がった。この獣医学部は新潟を突破口にしてやろうというところからスタートして。新潟は途中でポシャりましたけど、今治が2年遅れでやっと認められた。京都府も条件にあったんですけど、あれも獣医師会の強い圧力で1校に絞られて。本当は京都も一緒にできてたかもしれませんよね」

 鈴木氏「実際現場で知事として関わられていたという中で、いろいろそういった状況をごらんになっている中で、今非常にいいお話を伺ったと思うんですけれども、実はただ加戸さんの後を受けた今の知事の方の下での愛媛県で今回文書が出てきてですね、いろんな議論が今されていますけれども、あれ、実際にその文書の中身っていうところを少しごらんになっていると思うんですけれども、あれは直接の面談記録ではないですよね」

 加戸氏「聞き書きですから。加計学園の事務局がこういうことを言ってたっていうのを、今治市経由で書いたのと、直接聞いて書いたのありますけど、いずれにせよ加計学園の事務局が言った話をメモしたということで。愛媛県の職員の弁護をすれば、非常に忠実でまじめで何かがあったら一生懸命の方ばかりだと思いますけれども、ただ加計学園が話した事務局が『うちの親分は総理とツーツーだから、こんなことでやってるよ』と自慢げに言った話があんな形になったのかなと。推理ですけどね。ただ2月25日は官邸で15分も会う時間なんかとれっこない話であって」

 鈴木氏「実際に記録もないですからね」

 加戸氏「若干『うちの親分はこんなに頑張ってるんだから今治も愛媛県も頑張ってね』みたいな材料の一つかなと思いますがね」

 鈴木氏「今回例えば加戸さんの後を引き継がれた知事さんがこうした文書を出されたわけですけれども、愛媛県のですね、政治状況と言ったら変ですけども、かなりこれまで相当混乱しているというか。政治状況が」

 加戸氏「愛媛の場合、自民党の県会議員、それから松山の市会議員がいろいろ思惑が入り乱れた政治状況にあって、選挙の問題とかいろいろバックグラウンドにはあるのだとは思いますけどもね。中村(時広)知事自体はもともと柳瀬秘書官の会見のメモに関して、柳瀬秘書官が『会った記憶がない』と言ったので、『うちの職員はちゃんと出張旅費払って、そのために東京行って、この発言してるんだから、何なんだ、うちの職員を』という感じで彼なりの正義感でうちの職員は仕事はきっちりやっていると。それは正しいことではあったんだけども、微妙な政治状況の中でね」

 鈴木氏「実際本当の生の面談録ではないということなんですよね、今回は。そこはどうしてもその場での話というのを、何回か間をおいていけば、実際どれが真実かというのは、なかなか正直客観的にわかりづらい状況だとは思うんですよね。非常に今大変大きな話題になっている文書ですから」

 加戸氏「世間的に話題になったけど、私の目から見れば、全くもう無関係というと変ですけどね、その国家戦略特区っていうところ公募があって、そっちに公募すれば、ってだけの話ですから。そのアドバイスを受けて公募しただけですから。およそ総理の関与する余地はつゆさらないし、私も安倍総理と接触するなんて、百パーセント無関係っていうのは確信を持って言えますよ。濡れ衣着せられて。言いがかりを付けられてですね。正直私は安倍総理が友達だったら、もうちょっと配慮してくれたら10年間も苦労しないで10年前に獣医学部できてたのになとくらい思いますけどね」


「野党は本質の議論なしで足を引っ張るばかり」

 鈴木馨祐自民党青年局長「本来ニーズとしては、誰もがこれは必要だよねっていうものがなかなかやっぱり進まなかったっていうのはありますよね。そこは本当にわれわれきちんと見ていかなくてはいけないところかなと思いますね」

 加戸守行前愛媛県知事「マスコミ、メディアも考えなきゃいけないのは、本質は何なのか。50年間、この獣医学部の規制が正しかったのか。日本に獣医学部の新設は必要なかったのか。国際潮流はどうなのか。世界に遅れないでやるにはどうするか。これからの日本の製薬を考えたときに獣医学部の人材は必要ないのか。そこまで議論した上で文句を言ってもらいたいなと思います。本質の議論は棚上げにして、誰が言ったの、メモに書いてある、何がどうしたのって枝葉末節でガチャガチャガチャガチャ、総理に絡めてっていうのは、ためにする、足を引っ張ることしか思えませんね」

 鈴木氏「政治が、政治に近い一部の業界団体のために働くというのは絶対だめで、政治としては本当に一生懸命日頃暮らしておられる方々のために何ができるか、そのためのやっぱり改革なんだと思うんですよ。やっぱりそうした改革はいろんな分野でやってかなきゃいけなくて、今回も本当はいい突破口のはずなんですね。そこはごく当たり前のことをちゃんと実現するんだっていうことがすごく大事だと思います。いま加戸さんもおっしゃってましたけれども、そこの突破口を開く中では、やっぱりものの本質ってのは、いかに大変な規制をどう砕くかという中で、そこにちゃんといいものがあって、そこのいいものが本当に一生懸命やってるっていうのは行政も含めてですね、一丸となってやっていく。それは素晴らしい取り組みなんだと思いますし、逆にそれができないと、特区って実際機能はしなくなってしまいますよね」

 加戸氏「私は基本的に自民党の先生方に申し上げたいのは、構造改革特区は役所同士で内閣府がやろうと思っても、文科省と農水省がノーと言えばできなかった。それが10年間にわたる悪戦苦闘の歴史。国家戦略特区という法律を自民党が通してくれたおかげで、民間委員が判断してこの壁を、役所の壁を崩しくれたと。だから役所同士なら内閣府は農水省、文科省を口説けなかった。でも民間委員が口説けた」

 「そのリーダシップを取ったのは政治であって、だから国家戦略特区というのがまさに政治主導型で役所の壁を取っ払ったすばらしい制度だったと私は高く評価しています。一点の曇りもなくできあがったことに、けちをつけるとういうことは私には特に、野党の皆さんは理解できない。問いかけたいですよ、あなた方は獣医学部いらないと考えているんですかと。日本が10年、20年、アメリカやイギリスに遅れてもいいと思うんですかとか。本質の議論なしで、ただ、どこで会ったの、誰が言ったの、メモに残ってたなんていうくだらない話、足を引っ張る話ばかりで、私には到底理解できませんね」

 鈴木氏「そういう特区の構想があったときに、例えば露骨に特定の業者だけを優遇していたりとか、そういうことが本当に客観的にあるんだったら大問題なんでしょうけども、本来一番いい、しかも一番熱意がある、そうした戦略がきちっと明確になっているものを選ぶというのが特区の本当の趣旨だと思いますし、それやってるのが、まさにその民間の方々を中心とした、そうした組織を作ってですね、前提をやっているわけですよね。私なんかもそこに総理がですね、現場に関与するっていうのはなかなかこれはあり得ないよなと本当に思いますよね」

 加戸氏「むしろ私に言わせれば、総理が、友達だろうとなんだろうと世界のために日本のためにこれはすべきである、と言ってほしかったぐらいの気持ちですけどね」

 鈴木氏「友達だからということで排除されることがちょっと。本当にそういう関係性というところではなくて、その中身をちゃんと着目した判断が行われていたわけですし、行われてれていた以上はそこはということになると思うが、実際そこのいろんな経緯も含めて、やっぱり中からごらんになってもそういう感じがしますか」

 加戸氏「そうですね、やっぱり既得権益っていうのが今のものが一番いいんであって、それを崩すのは政治の力しかない。政治も今言ったように国家戦略特区という形で民間委員の意見によって役所の壁をという形じゃないと前に進まない。旧態依然の状態になる。そういう意味で、教訓として国家戦略特区は他の分野でもやっぱり政官業癒着と言われるようなものが他にもあるだろうと私は想像しますけどね」

 鈴木氏「自民党政権、特に小泉政権以降、これまでの政官業の癒着をどう打破するかというとこで相当努力もしてきたし、その中で個々のいろんな利益とか利害とか含めて、なかなかまだ進んでないところもある。怖いのは今回の一件、いろんな諸々のさまざまな動きの中で、本当に改革を進めようとしている今の安倍政権の姿勢がすごく斜めから見られてしまって、本当に必要な改革がとまってしまうことがあってはいけないと思うし。そういった意味で、中からそういったことをごらんになって、いろんな話をいただけるっていうのは大変日本にとっても必要なことだと思います」

 加戸氏「話は違うんですけど、私が知事のときに一番やりたかったのは、公共建築物の木造化でしてね。だけど建築基準法の規制が厳しくて、木造はなかなか認めてくれなくて。でも愛媛県内では私の在任期間12年のうち、公共建築の97%木造にしました。可能な限り。でも、その要するに学校は3階建てはダメ、福祉施設は2階建てダメ、いろんな制限等がありまして。だから愛媛がやっていた途中に国の方も公共建築物木造化法案というのを政治の力でやってくれて進み始めた。だから何でもやっぱり一つの突破口を開くのは政治の力。国家戦略特区法も政治の力でできた。こんな形で国民が困ってる、地方が困ってるものというのは政治がイニシアチブを持って先頭を切って直していってもらいたい。それが今度のいい教訓かなと私は思います」

 鈴木氏「一番国民に近いところにいる自治体であったり、あるいは民間のそれぞれの企業というのが、そうした国民の思いを受けて、突破口を開くように頑張る。それを国もしっかりとサポートできるっていうのが一番大事なことですよね。今、木造の話もありましたし、獣医学部の話も含めて、これまでいろんな突破をされてきた加戸前知事でありますが、最後に今後の安倍政権はこういったところの改革を特に進めてほしいとか、そういったいろんな思いも含めて最後にお話しいただければと思います」

 加戸氏「たくさんの壁はあると思いますけれども、たたかれるからといって怯んだら、前は進まない。そういう意味では、いかにたたかれようと国家戦略特区は正しかったということ、これに準じて今世の中で国民が困っているもの、地方が困っているもの、これをくみ取って、それを政治的な力で官をリードして、変革を成し遂げていただきたい。そういう意味で、『モリ・カケ』がブレーキになっちゃ困るんで、これを乗り越えて頑張っていただきたいと私は思います」

 鈴木氏「実際、説明はしっかりしていかないといけないと思う。その経緯について正々堂々とやってきて一番いいものが選ばれた、そういうことなんですからね、これは。そこをしっかりわれわれも説明していかなければならないと思いますし、同時に今おっしゃったようにこれで改革がとまるようなことがあっては絶対いけないという力強いエールをいただいたと思う。これからもですね、今83歳でいらっしゃるということで、ますますお元気で、いろんなところで活躍いただきたいというふうに思っています。最後に今日ごらんになっている方に一言メッセージをいただいて終わりにしたいと思います」

 加戸氏「私も愛媛で今、憲法改正の旗を振っている立場として、ぜひ自民党一丸となって憲法改正に邁進していただきたいと思いますから、自分も憲法改正が日の目を見るまでは、まだ墓場にいけないなと思っております」

「国際法やマナーを踏みにじって恥じぬ」 福澤諭吉もサジ投げた中国

2018年05月28日 11時13分46秒 | 国際・社会
 福澤諭吉(1835~1901年)が中国の習近平国家主席に、自らが著した《脱亜論》《文明論之概略》《朝鮮人民のために其国の滅亡を賀す》などを手渡していた。「理解できぬであろうが、読んでみなさい」と、静かな中にも反論を許さない決然としたオーラを漂わせる福澤。習主席を見つめるその目は哀れみに満ちていたが、習主席は最後まで福澤と目を合わせようとはしなかった…

 もちろん、夢の中での出来事だったが、夢には伏線があった。日中、中国人民解放軍機関紙《解放軍報》に掲載された主張を読み、あまりに倒錯した“情勢認識”にのけぞったからに他ならない。「中国初の国産」と自称する航空母艦の試験航海(13日)に関連し、解放軍報はこう主張した。

 《海洋権益をめぐる争いが激化する中、国家の領土・領海の主権と海洋権益を防衛しなければならない》

 《海洋権益をめぐる争いが激化》しているのは、中国が東シナ海の尖閣諸島(沖縄県石垣市)占領を狙い威嚇を繰り返し、南シナ海の独占を謀り国際法違反の人工海上軍事基地を次々と造成している軍事行動が原因だ。

 当初、中国・朝鮮の近代化を支援していた福澤は、国家体質や民族的性癖にサジを投げた。著作を総合・意訳すると、こう看破している。

 (1)過去に拘泥し、国際紛争でも《『悪いのはそっち』と開き直って恥じない》。この二国に国際常識を期待してはならない

 (2)《国際の法やマナーを踏みにじって恥じぬ》二国と、隣国故に同一視されるのは一大不幸

 (3)二国には《国際の常識・法》に従い接すべし。《(国交は別として)気持ちにおいては断交する》


「日中友好」確認?の2日後に中国爆撃機飛来

 ところが、わが国に《国際の常識・法》があっても、中国にはない。李克強首相は9日、安倍晋三首相との首脳会談で「友好関係促進」などを“確認”したが、李首相が離日した11日、さっそく、福澤があきれたごとく《国際の法やマナーを踏みにじって恥じぬ》本性を現した。

 防衛省統合幕僚監部がこの日、H6爆撃機4機+戦闘機2機を含む人民解放軍機8機が、沖縄本島&宮古島間の宮古海峡上を飛行したと発表したのだ。領空侵犯ではなかったが、自衛隊と人民解放軍の衝突を避ける措置《海空連絡メカニズム》も日中首脳会談当日(9日)、両国政府間で署名されていた。運用開始は6月8日とはいえ、署名式に立ち会った李首相は日本到着時に雨がやんだと指摘し、「両国関係の風雨が過ぎ、『より良い未来』が待っている兆しかもしれない」とリップサービスしたばかりだった。

 『より良い未来』ではなく、『中国だけに良い未来』の間違いではないか。中国が連絡メカニズムを悪用し、尖閣諸島といったわが国領海に侵入するシーンの動画が、筆者の頭の中では既に「放映」中だ。

 実際、李首相が『より良い未来』を口にする直前、中国は東シナ海の日中中間線付近に移動式掘削船を投入し、ガス田開発施設新設に向けた試掘を強行していた。

 東シナ海で日中間の海洋境界は画定しておらず、日本政府は中間線を境界にすべきだとしているが、中国側は同意を拒んでいる。日中両国政府は2008年、境界画定まで、東シナ海の一部に共同開発区域を設ける…などの条件で合意した。が、中国は一方的に開発を進め、中間線の中国側に16基ものガス田開発施設を建設した。


「知恵と道徳」なき「中華文明」は文明にあらず

 福澤が《国際の法やマナーを踏みにじって恥じぬ二国と、隣国故に同一視されるのは一大不幸》と痛感していた事実は既述した。筆者もその点を心配していたが、「現代の欧米列強」は「中国共産党帝国」の正体を、遅ればせながらようやく見破り始めた。

 ドナルド・トランプ米政権が23日、6~8月にハワイ沖で予定している世界最大規模の海軍演習《リムパック=環太平洋合同演習》への人民解放軍海軍の参加を拒絶したのである。

 米国防省は、中国が南シナ海の独占を謀り、国際法違反の人工海上軍事基地を次々と造成している蛮行を念頭に「地域を不安定化させている」と理由も明言した。

 リムパック参加拒絶を受けたワシントン訪問中の王毅外相の発言は、聴いている側が恥ずかしくなるほどだった。いわく-

 「極めて『非建設的』な行為だ」

 「(南シナ海で行っている造成は)防衛目的の『小規模な活動』に過ぎぬ」

 現状を良くしていこうとする姿勢に欠ける中国に『非建設的』と批判された米国防総省は、ハラを抱えたに違いない。南シナ海を軍事力で独占せんとする軍事行動を『小規模な活動』と表現する中国。『大規模な活動』を想像するだけでもゾッとする。

 米海軍主催のリムパックは2年に1回行われ、海上自衛隊を派遣する日本や英国・フランス・豪州など20カ国以上が参加表明している。中国は「信頼」醸成措置の一環として、中国を「信頼」するバラク・オバマ米政権下の2014年以降招待された。

 だが、「信頼」は毎回のごとく裏切られた。何しろ、初参加にして情報収集艦をハワイ沖に配置し、参加国は「軍事常識」を疑った。確かに、演習に参加する各国海軍は、諸外国海軍の艦艇が備える能力や海底地形などさまざまな情報について、演習を利用して集める。ただ、情報収集は米海軍に申請して受け入れられた参加艦艇の能力の範囲内で、「公然の秘密」として抑制的に行われる。無申請の情報収集艦配置は、米海軍や海自にケンカを売るに等しい。

 16年には、海自幹部の研修目的の乗艦を認めず、「信頼」醸成措置否定を自ら証明した。

 今回の演習参加拒絶の理由について、米国防省は「中国の振る舞いは演習の理念や目的にそぐわない」とピシャリとやったが、中国に過去の「累積違反」の代償を払わせるときだ。中国は《『悪いのはそっち』と開き直って恥じない》(福澤)と分かっていても、交際は止めてはならない。《国交は別として)気持ちにおいては断交する》(福澤)姿勢が正しい。ワケがある。

 わが国では、長い付き合いを通して、徐々に相手の良さが分かるようになる流れを《噛めば噛むほど味が出る》などと表現する。中国の場合は、長い付き合いを通して、徐々に相手の悪行が分かるようになる。いわば《噛めば噛むほど正体が浮き出る》のだ。

 トランプ米大統領も習主席への不信感を募らせている。北朝鮮・朝鮮労働党の金正恩委員長との2回目の中朝首脳会談(7~8日)後、金委員長はそれまでの気持ち悪いほどの“友好的態度”を激変させ、元の強がり外交に先祖返りした。トランプ大統領は習主席が金委員長に入れ知恵したと、見抜いたようだ。いわく-

 「少し失望している。なぜって、正恩氏の態度に変化があったからだ」

 「愉快ではない」

 しかも、中朝国境地帯では、ヒト・モノ(恐らくはカネも)の往来が活発化。習主席は中朝首脳会談で「段階的対北支援」にも言及したとみられる。中国は、日本+米国+国連+EU(欧州連合)などの制裁=北朝鮮包囲網を破壊しようとしているのである。

 そうした中、中国経済に吸い寄せられやすい欧米(日本もだが)で昨年以降、対中警戒論が強まっている潮流の変化を歓迎したい。

 欧米知識層では長年「中国経済が発展し中産階級層が厚くなれば、おのずと民主化が進む」と信じられてきた。「市場経済発展は民主的社会でしか成し遂げられぬし、生活が満ち足りれば国民は自由と民主化を求め→改革が進む」という理屈だ。けれども、中国経済は猛スピードで発展したものの、政治はますます独裁制を強め、言論統制も凶暴の度を増した。

 世界的影響力を有す英国の《エコノミスト》誌は《楽観的見通しは完全に誤りだった》と猛省。《信頼は失墜し、普遍的価値共有は絶望となった》と西側諸国の胸中を紹介して《過去25年にわたり西側が中国の将来に期待した賭けは失敗に終わった》とまで言い切った。

 具体的には《国営企業・公益組織と政府との(一体)関係》+《ハイテク関連など企業の投資活動》+《留学生受け入れ》を警戒し→厳格に精査・分析。人民解放軍に対抗する《新たな兵器システムの開発》を急務だと位置付けた。

 根拠のない対中楽観主義を抱いた欧米知識層は福澤とは異なり、賄賂が「通貨」の国家体質+裏切りが「文化」の民族的性癖を十分理解できていなかったと、筆者は思う。欧米知識層は「中華文明」にあこがれ、幻惑された部分もあるが、福澤の考えを筆者なりに解釈すれば「中華文明」は文明の範疇に入らない。福澤の以下の中国・朝鮮観に、福澤の両国への哀れみを感じる。

 《文明とは智徳(知恵と道徳)の進歩なり》

 今の中国には、世界中で知的財産権を侵害し、先端技術を盗み取るだけの《知恵》はある。しかし、習近平指導部に《道徳》を求めることは、そうした悪《知恵》の行使の完全停止と同様、奇跡に近い。

韓国軍による虐殺が50年後も隠蔽されている ベトナム・ハミ村

2018年05月27日 05時54分38秒 | 国際・社会
 ベトナム戦争中(1955~75年)の1968年、米軍部隊が当時の南ベトナムのソンミ(現ティンケ)村で住民500人以上を殺害したことは、よく知られている。一方で、同じ時期に韓国軍部隊による住民虐殺事件があったことは、あまり報じられていない。事件から50年たった今年3月、現地では、ベトナム政府要人や元米兵ら約千人が米軍による被害者の追悼式典を開いた。しかし、韓国軍が起こした事件については、歴史の“隠蔽”が続いていた。

記した碑文は石板で覆われた

 ベトナム中部クアンナム省ハミ村は、水田が広がるのどかな集落だ。路地を進むと、テニスコート2面分ほどの慰霊施設に着いた。石碑には、68年2月25日、ここで亡くなった村民135人の名前が刻まれている。南ベトナム政府に協力して参戦していた、韓国海兵隊の青龍部隊に殺害された住民たちだ。

 この虐殺は、現地を99年に訪れた韓国人研究者により広く知られるようになり、慰霊施設は、韓国の民間団体と同村が翌2000年に建てた。だが、施設のどこにも、虐殺の記述はおろか名称もない。

 案内してくれた生存者のド・コイさん(73)は石碑の裏面を指し、「実はここに虐殺について記してあるが、02年に石板で覆い隠した」と打ち明けた。

 コイさんによれば、00年の完成式典に参加した退役韓国軍人が、碑文の修正・削除を求めた。村は反発したが、韓国側は外交ルートで圧力をかけてきたという。共産党一党支配が続くベトナムで、「地方や農民に抵抗する力はない。仕方なく石板で歴史を“隠蔽”することにした」と振り返る。

 韓国外務省に事実関係をただすと、「ベトナム政府には石碑に関して何の要請もしていない」と否定した。

 コイさんによると、韓国軍がハミ村へ駐留を始めたのは1967年10月。ベトコンの通称で呼ばれた南ベトナム解放戦線を恐れた韓国軍は、約1千世帯いた村民に移動を命じたが、50世帯は残留を許された。韓国兵は当初、友好的で子供に菓子を配る兵士さえいた。

 だが、翌年2月25日早朝、韓国兵は急に態度を変え、村の住民を防空壕など5カ所に押し込んで、銃撃や手投げ弾で殺した。悲鳴が15分ほど続いた。コイさんは当時23歳。南ベトナム政府の徴兵を逃れるため、昼間は家から30メートル離れた防空壕に隠れていたため助かった。夜を待ち自宅を見に行くと、家は焼かれ、家の地下壕にいた13人中、死亡していた母や伯母らを埋葬した。重傷の弟は病院に運んだが、その後死亡した。

 当時村にいたのは165人で、ほとんどは老人に女性や子供。事件を生き残ったのはコイさんら15人だけ。仲が良かった韓国兵から別の防空壕に行くよう言われ助かった少年もいた。ベトコン掃討作戦の一環だったとの主張もあるが、コイさんは「村にベトコンなどいたわけがない。計画的な住民虐殺だった」と語る。

 “無名”の慰霊施設では今年3月11日、式典が開催され、民間団体など韓国からも約40人が参加したが、退役韓国軍人らの姿はなかったという。施設内の集団墓地には線香が手向けられたが、そこに遺体は埋葬されていない。虐殺の翌日、韓国兵が戻り、戦車などで遺体や虐殺の跡を隠してしまい、遺体の場所は今も分からない。碑文はそのことにも言及していたという。

 一方、ハミ村から十数キロ離れた同省フォンニィ・フォンニャット村では1968年2月12日、住民74人が韓国軍により殺害された。近くを通る幹線道路でこの日早朝、韓国軍の戦車が地雷を踏んで爆発したため、近くにあった同村に攻撃を仕掛けたとされる。

 生存者のトラン・バン・タさん(59)は、こう証言する。

 「家に弟と妹の3人でいたところ、午前10時ごろに韓国兵に踏み込まれ、家の防空壕に入るように言われた。中に手投げ弾を投げ込まれたが、奇跡的に爆発しなかった。空腹になり午後3時ごろ外にでると、米兵が南ベトナム兵と、殺された村人の写真を撮っていた」

 米軍も把握していたこの虐殺が、広く知られるようになったのは、韓国の民間団体が調査に来てからだという。同団体と村で2004年ごろ建てた慰霊碑には、犠牲者名と「韓国兵士に74人が虐殺された」と簡潔な説明があり、地方政府が史跡指定している。

 タさんは、「退役韓国兵は、この村にまだ誰も来ていないから、文句の言いようもないのだろう。韓国から学生が慰霊に来ることもあるが、虐殺について学校などで教えられておらず何も知らない」と述べた。

 地元記者によると、ベトナム政府は、外交問題に発展しないかぎり、地域レベルで虐殺の慰霊碑などを作ることなどは、不満の「ガス抜き」の意味もあり、自由にさせているという。

 韓国軍撤退後の1973年にサイゴン(現ホーチミン)を訪れた司馬遼太郎は、韓国人を指す「ダイハン(大韓)」の言葉が住民に「憎悪と嫌悪をよびおこす」とし、米兵よりも「始末がわるい」との評判を記した(『人間の集団について』中公文庫)。

 だが、韓国兵の襲撃を受けた1年前、やはり自宅近くで、他の十数人の村人とともに、母と妹2人を米兵に殺害され遺体を井戸に捨てられたというタさんは、「米兵も韓国兵も、残虐性において何の違いもない」と、当時の悲惨な状況を振り返った。

 韓国軍による虐殺を目の当たりにした住民の心の傷が癒やされることはない。


韓国大統領の「遺憾」にメディアの関心低く

 韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領は今年3月23日、訪問先のベトナムで、「両国間の不幸な歴史に対し遺憾の意を表する」と述べた。韓国の聯合ニュースは、ベトナム戦争時の韓国軍による民間人虐殺に対し、初めて公に遺憾の意を表明したとした。

 ただ、韓国外務省は、かつて何人かの韓国大統領が遺憾を表明しており、文氏の発言も「それに沿ったもの」であり、従来姿勢を踏襲したものだと説明する。

 韓国国内では、文氏の「遺憾」表明に、左派紙のハンギョレが社説で「当然すべき発言で評価する」「ベトナム政府は公式に韓国に謝罪を要求していないが、被害を与えた韓国としては機会のあるごとに過去の誤りに対し頭を下げることが必要だ」と主張した。しかし、その他の主要メディアは、文氏の遺憾表明については事実関係を報じた程度で、あまり関心を示していない。

 国交樹立(1992年)以降の韓国政府の対応を見ると、98年に当時の金大中(キム・デジュン)大統領がベトナムを訪問した際、「不幸な時期があった」と「遺憾」を表明。2001年に金氏が訪韓したチャン・ドク・ルオン国家主席(当時)に対し首脳会談で、「不幸な戦争に加わり、本意ではなかったがベトナム国民に苦痛を与えたことについて申し訳なく思う」と初めて公式に謝罪した。

 金氏の発言に対し当時、野党や退役軍人らから「謝罪は行き過ぎだ。参戦将兵の名誉を傷つける。大統領の歴史認識を疑う」などとの批判が出た。特に、野党ハンナラ党副総裁だった朴槿恵(パク・クネ)前大統領は、ベトナム参戦を進めた朴正煕(パク・チョンヒ)元大統領の長女で、「自由民主主義体制に対する確固たる信念がない」と語り、金氏の国家観に疑問を呈した。

 韓国は1964~73年、米国以外の国家としては最大の延べ約32万人をベトナムに派兵。韓国軍による虐殺被害者は9千人以上とする推計もあるが、韓国外務省は「(犠牲者数を示す)発表は一切していない」として、事実関係は不明なままになっている。

 一方、言論統制の厳しいベトナムのメディアは、今回の文氏の発言を伝えなかった。ベトナム政府は韓国政府に虐殺事件の補償も謝罪も求めていない。背景には、経済的な結びつきを強める韓国への反感を押さえ込もうとの配慮と、「国内対立に再び発展しかねない、南北内戦に絡む全ての歴史を封印し、国家の団結と前進を図る思惑」(地元記者)があるようだ。

1・2%+1・7%=1・0%!? ご祝儀相場とは無縁の国民民主党、奇跡の「支持率マジック」

2018年05月26日 05時21分09秒 | 社会・政治
 まるで手品を見せられているようだ。旧民進党と旧希望の党が合流して今月発足した新党「国民民主党」の支持率が、旧2党の合計値を下回るという珍現象が起きている。それも、1つや2つの世論調査ではない。少なくとも8つの報道機関の調査で同じ傾向が示されたのだ。

 「手品のように、あるいは魔法のように支持率が上がるうまい方法はない…」

 国民民主党の大塚耕平共同代表(58)は5月24日の記者会見で党勢拡大の展望について聞かれ、神妙な表情でこう語った。不可思議な「支持率マジック」を披露した政党のトップにしては、意外と謙虚(?)な発言である。

 産経新聞社とFNN(フジニュースネットワーク)が5月19、20両日に実施した合同世論調査では、国民民主党の支持率は1・0%に低迷した。4月の調査での旧2党の支持率(民進党1・2%、希望の党1・7%)の合計値より1・9ポイントも低いわけだから、これはただならぬ事態だ。

 他に、5月7日の国民民主党結党後に行われた7つの世論調査(朝日新聞、読売新聞、共同通信、NHK、NNN、JNN、ANN)でも、同党の支持率はそろって旧2党の合計値を下回った。JNNに至っては2ポイント以上も下落している。

 一般的に、新党の結成直後はいったん期待感が高まるケースが多いが、そうした「ご祝儀相場」とは一切無縁の窮状である。

 異例の低迷ぶりの理由について、玉木雄一郎共同代表(49)は5月21日の記者会見で「選挙は最大の広報だ。選挙をしていない以上、なかなか認知度においても限界がある」と分析したが、手品の「種明かし」には全くなっていない。

 旧2党の支持者すらも新党結成に冷ややかな視線を注ぐ-。この構図は、合流の過程で多くの所属議員が新党に背を向けていった経緯と重なる。

 そもそも、旧2党執行部が結集にかじを切ったのは、衆参両院で野党第一党を押さえなければ国会論戦で存在感を発揮できないと痛感したからだった。

 より多くの議員の参加を目指す方向性は、新党の基本政策によく表れている。例えば、安全保障法制に関しては次のような表現が採用された。

 「違憲と指摘される部分を白紙撤回することを含め、必要な見直しを行う」

 何が違憲かを明確に示さないことで、保守系から左派まで、さまざまな立場の議員を取り込むことを狙ったわけだ。しかし、皮肉なことに、玉虫色の表現は双方の離反を招いた。保守系議員は「白紙撤回」の記述に反発し、安保法制に批判的な議員は表現のあいまいさに不満を抱いた。

 旧希望の党創設メンバーの一人で保守系の細野豪志元環境相(46)は、新党に参加せず無所属で活動する道を選んだ。細野氏は産経新聞のインタビューで「国民民主党が掲げる政策をみれば、希望の党の結党理念の実現は難しい」「先の衆院選で訴えた『現実的な外交・安全保障政策の展開』『9条を含めた憲法改正論議の推進』を政策として具体化することができなかった」と語っている。

 一方、新党結成に反発して旧民進党を離党し、立憲民主党に入党した小川敏夫元法相(70)は、安保法制を見直すべきだという立場から「新党は安保政策にあいまいなところがある。はっきりとした立憲民主党に共鳴している」と記者団に語った。

 新党入りを敬遠する議員は他にも相次ぎ、旧民進、旧希望両党に所属していた衆参計107人のうち、新党参加者は衆院39人、参院23人の計62人にとどまった。

 細野氏や小川氏らと同様、さまざまな理由から旧2党に期待を寄せていた有権者もまた、「大きな固まり」を目指すだけの大義なき新党結成にそっぽを向いたのではないか。

 「穏健保守からリベラルまでを包摂する」

 国民民主党の綱領に掲げられたフレーズがむなしく響く。