プロジェクト○川

学生に本を読んでもらおうという,ただそれだけのはずでした

ホルヘ

2017年03月23日 | 本の話

岩波文庫からボルヘス『アレフ』(鼓直訳)が出ていて、ちょっと驚いた。

岩波文庫はしばらく前から精力的にボルヘスを出していて、これで6冊か7冊になるはず。集英社文庫の『砂の本』とか、河出の『幻獣辞典』とかを合わせると、文庫で読めるボルヘスが10冊くらいになったわけで、これはなかなかすごいことだと思う。

で、驚いたというのは、この『アレフ』、平凡社ライブラリー『エル・アレフ』(木村栄一訳)、白水Uブックスの『不死の人』(土岐恒二訳)と、邦題は違うけど、比較的安価に手に入るものが既に2冊出ている。しかも訳者は木村栄一に土岐恒二。そこに今度は鼓直(木村栄一の師匠らしい)っていう、もうラテンアメリカ文学翻訳のビッグネームばかり。

それでも岩波文庫に入れるというのは、ボルヘスがそれだけの重要性を持った「古典」になった、ということなのだな。

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ボルヘスはアルゼンチンの作家。小説の着想を得ても、それを長ったらしい長編小説に仕立て上げるのは無駄、短編で書けば十分だ、という意見の人で、その短編は博識に裏付けられた濃縮度の高いものばかり。

岩波文庫の『アレフ』を読み始めたので、最初の「不死の人」から引用してみます。

ホメーロスは『オデュッセイア』を作ったが、無限の状況と変転を伴った無限の時間というものを想定すれば、『オデュッセイア』が一度も作られなかったということは、およそありえない。何者も何者かではなく、一個の不死の人間はすべての人間である。(pp.27-28)

死すべき人間たちのあいだでは、一切が再び起こりえないもの、偶然のものという性質を有する。それに引き替えて〈不死の人々〉のあいだでは、すべての行為(そしてすべての思考)が、始まりの眼に見えない過去において先行した他の行為の余映であるか、あるいは目くるめくほど未来において反復される他の行為の忠実そのものの予兆である。倦むことを知らぬ鏡たちのなかに紛れ込んだような、そんな状態にないものは存在しない。何事も一度しか起こらないことはなく、何事もこの一瞬の、かけがえのないものではない。哀れっぽさ、深刻さ、堅苦しさなどは〈不死の人々〉には無縁である。(pp.29-30)

あと、こんなのも。

無理やり働かされないよう、猿たちは故意に口を利かない。(p.23)

エチオピア人がそう言ってるのだとか。

ところで、去年『公爵夫人』で三島賞をとって話題になった蓮實重彦大先生(って感じ。元東大総長だからではなく、とにかくエライのだ)はどこかで、ボルヘスみたいな短編なら一晩でいくつも書ける、なんであんなに評価が高いのかわからない、と言っています。

そんな馬鹿なと笑うにも、なるほど蓮實先生ならと納得するにしても、まずはどちらも読まないとね。

コメント
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