帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの「古今和歌集」 巻第二 春歌下(124)吉野河岸の山吹ふく風に

2017-01-14 19:54:44 | 古典

             

 

                        帯とけの「古今和歌集」

               ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

 

和歌の真髄は中世に埋もれ木となり近世近代そして現代もそのままである。和歌の国文学的解釈は「歌の清げな姿」を見せてくれるだけである。和歌は、今の人々の知ることとは全く異なる「歌のさま(歌の表現様式)」があって、この時代は、藤原公任のいう「心深く」「姿清げに」「心におかしきところ」の三つの意味を、歌言葉の「言の心」と「浮言綺語のような戯れの意味」を利して、一首に同時に表現する様式であった。原点に帰って、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成ら平安時代の歌論と言語観に従えば、秘伝となって埋もれ朽ち果てた和歌の妖艶な奥義(心におかしきところ)がよみがえる。

 

「古今和歌集」 巻第二 春歌下124

 

吉野河のほとりに、山吹の咲けりけるを、

よみける            貫之

吉野河岸の山吹ふく風に 底の影さへうつろひにけり

(吉野川の畔に、山吹の花が咲いていたと聞いたので詠んだ・歌……好しのをんなのほとりに、山吹のお花が咲いたといったので詠んだ・歌) つらゆき

吉野川、岸の山吹、吹く風にそこに映る影さえ、ゆらめき流れ消えてしまったことよ……好しのかは? 岸の・来しの、山ば吹く心風に、をみなのそこの陰さ枝、衰えてしまったことよ)

 

 

歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る

「咲けり…咲いたそうだ…伝聞を表す」「けるを…ということなので…というので」「を…ので(接続助詞)」。

「吉野…よしの…土地の名…名は戯れる…吉の…良しの…好しの」「河…川…言の心は女…かは…疑いを表す…川…おんな」「岸…洲・浜などと共に言の心は女…きし…来た」「山吹…木の花…言の心は男…山ば吹き…山ばで咲くおとこ花」「風…心に吹く風…山ばで心に吹く風を嵐という」「そこ…其処…底…水底…をみなのそこ」「かげ…影…映像…陰…いん…いんぶ」「さへ…さえ…までも…小枝…わが身の枝」「うつろひ…移ろい…悪い方へ変化する…色褪せる…萎える…果てる…衰える…消える」「に…ぬ…完了したことを表す」「けり…気付き・詠嘆」。

 

吉野川の岸の山吹、吹く風に・揺られて、其処に映る影も、揺らめき流れゆくさま。――歌の清げな姿。

好しのかは? をみなに来しの山ば、吹く心の嵐に、をみなの底の、陰さえ・おとこさ枝、色あせ衰えてしまったなあ。――心におかしきところ。

 

秘伝となって埋もれ朽ちたが、歌にはエロス(生の本能・性愛)が表出されてあった。「心におかしきところ」が和歌の真髄である。

エロスを聞き取ったならば、この時代の「歌のさま」を解明した藤原公任の歌論が理解できるだろう。もとより和歌はエロチシズムのある文芸だったのである。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)