帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの「古今和歌集」 巻第四 秋歌上 (245)みどりなるひとつ草とぞ春は見し

2017-06-09 19:18:15 | 古典

            


                        帯と
けの古今和歌集

                         ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

 

国文学が無視した「平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観」に従って、古典和歌を紐解き直している。古今和歌集の歌には多重の意味があり、その真髄は、公任のいう「心におかしきところ」である。人のエロス(生の本能・性愛)の表現で、俊成がいう通り、歌言葉の浮言綺語に似た戯れのうちに顕れる。

歌のエロスは、中世に秘事・秘伝となって「古今伝授」となり、やがて、それらは埋もれ木の如くなってしまった。はからずも、当ブログの解釈とその方法は「古今伝授」の解明ともなるだろう。

 

古今和歌集  巻第四 秋歌上 245) 

 

題しらず                          よみ人しらず

みどりなるひとつ草とぞ春は見し 秋はいろいろの花にぞありける

題知らず                  (詠み人知らず・女の詠んだ歌として聞く)

(新緑の一種類の草と、春は見えていた、秋は色々さまざまの草花だったことよ……うぶな一人の女として、青春は見た、飽き満ち足りは、色香豊かな、女花に、なっていることよ)

 

 

歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る

「みどり…新緑…幼い…若々しい」「ひとつ草…同じ種類の草…一人の女…草の言の心は女」「ぞ…強く指示する意を表す」「春…季節の春…青春…春情」「見し…見えた…思えた」「見…覯…媾…みとのまぐあひ…まぐあい」「秋…季節の秋…飽き…飽き満ち足り」「いろいろ…色々…色彩さまざま…色気たっぷり…色情豊か」「花…草花…女花…草の言の心は女」「ありける…であったことよ…在ったことよ…なっていることよ」。

 

春、新緑の同じ種類の草と見えた、秋は、色彩豊かなさまざまな草花が咲いていることよ。――歌の清げな姿。

うぶな一途な女として、春、青春には見た、秋、飽き満ち足りは、色情豊かな女になっていたわ。――心におかしきところ。

 

女のエロス(生の本能・性愛)の経緯を、女自身が言葉にして、言い出したようである。このようは女歌は、作者がわかっていても、匿名にするのだろう。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)