帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの「古今和歌集」 巻第二 春歌下(92)花の木も今は掘りうへじ

2016-12-07 19:05:50 | 古典

             

 

                        帯とけの「古今和歌集」

               ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

 

「古今和歌集」の歌を、原点に帰って、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成に歌論と言語観を学んで聞き直せば、歌の「清げな姿」だけではなく、隠れていた「心におかしきところ」が顕れる。それは、普通の言葉では述べ難いエロス(性愛・生の本能)である。今の人々にも、歌から直接心に伝わるように、貫之のいう「言の心」と俊成の言う「歌言葉の戯れ」の意味を紐解く。                                                                                                                                                                                                                                   

 

「古今和歌集」巻第二 春歌下92

 

寛平御時后宮歌合の歌          素性法師

花の木も今は掘りうへじ春たてば うつろふ色に人ならひけり

寛平御時后宮歌合の歌(宇多帝の御時、その御母宮主催の歌合) そせい法師(父は良岑宗貞。清和天皇にお仕えしたが出家し、この頃、律師という)

花の木も、今は掘り植えない 移ろい衰える色彩に、人がまなぶことよ……花咲くおとこも、今は・井間には、ほり植え付けない、張る立てば、即衰えゆく、色情に・ものの形に、女も、よれよれになることよ)

 

 

歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る

「花の木…木の花…言の心は男…男花…おとこ花」「今…いま…井間…おんな」「ほりうへじ…庭掘って餓えない…うがちいぇ付けない」「じ…打消しを表す」「うつろふ…移ろう…悪い方に変化する…衰える…果てる」「色…色彩…色情…形ある物」「ならひ…倣ひ…真似」「習ふ…従わせる…熟らふ…よれよれになる」「けり…気付き・詠嘆」

 

花の木を、今は、庭を掘り・植え付けない、春になれば、散り衰える色彩や形に、人が見倣うからなあ。――歌の清げな姿。

花咲くおとこを、井間には、植え付けない、張る立てば、散り果て尽きる色情に、女までも、萎えることよ。――心におかしきところ。

 

法師として心に思うことを、見る物(木の花の移ろうさま)に付けて表出した。梅のお花散れば「うたて匂いの袖に残り・いやな煩悩の匂いが身の端に残り」、桜のお花散れば「男のはかない習い性が女の心もむりに萎えさせる」。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)