■■■■■
帯とけの「古今和歌集」
――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――
国文学が全く無視した「平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観」に従って、古典和歌を紐解き直せば、仮名序の冒頭に「やまと歌は、人の心を種として、よろずの言の葉とぞ成れりける」とあるように、四季の風物の描写を「清げな姿」にして、人の心根を言葉として表出したものであった。その「深き旨」は、俊成が「歌言葉の浮言綺語に似た戯れのうちに顕れる」と言う通りである。
古今和歌集 巻第四 秋歌上 (192)
題しらず よみ人しらず
さ夜中と夜はふけぬらし雁が音の きこゆる空に月わたるみゆ
題知らず (詠み人知らず・男の詠んだ歌として聞く)
(さ夜中となって、夜は更けてしまったらしい、雁の声が、聞こえている空に、月が渡ってゆくのが見える……すばらしい夜中となって、共寝の・夜は更けてしまったらしい、かりする女の声が聞こえる浮天に、つき人をとこ、わたりゆく、見る)。
歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る
「さ夜中と…すばらしい夜となって」「さ…小…美称…接頭語」「と…変化の結果を表す」「雁…鳥の名…鳥の言の心は女…名は戯れる。狩り・刈り・めとり・まぐあい」「ね…音…鳴き声…泣き声」「空…天…浮き天」「月…月人壮士…月の言の心は男…おとこ」「わたる…渡る…移動する…月は夜更けには西に傾くように移動する…(おとこが)行く・逝く」「見ゆ…見えている…見る」「見…覯…媾…まぐあい」。
西の空に渡り行く月、飛ぶ雁の鳴き声、秋の夜長のあけゆく風情。――歌の清げな姿。
夜更けに、女のかりする声が聞こえる浮天に、月人をとこの、わたり、逝くさま。――心におかしきところ。
歌は、はかない男の性(さが)にとっての、せつじつな願望を言葉にしたようである。夜更けにまたも見ることは、男の心に思う、はねうち交わす時の理想の姿だろう。
この歌は、万葉集 巻第九にある歌とほぼ同じで、弓削皇子(ゆげのみこ)に献上された、詠み人しらずの歌である。
さ宵中と夜は深去らし 雁が音 聞こゆる空 月渡見
(さ宵中と、夜は深まり去るらしい、雁が音、聞こえる空、月人壮士わたる、見える……さ宵中から真夜中へと、夜は更けゆくらしい、かりする女の声、聞こえる、浮天、つき人をとこ、わたる、見る)
「と…変化の結果を表す」「深去…深まり去る…更けゆく…明けが近づく」「雁…鳥…鳥の言の心は女…刈・苅…めとり…まぐあい」「空…天…浮天」「月…月人壮士…月の言の心は男」「渡…女の許へ行くこと…移ろい」「見…目で見ること…覯…まぐあい」。
宵から明け方まで渡り見る月人壮士の「渡見・性愛」の理想のかたちを詠んだ歌のようである。
藤原公任の捉えた歌の様(表現様式)は万葉集の歌にも適応している。心深いかどうかは歌によるが、「清げな姿」があり「心におかしきところ」がある。
(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)