帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの「古今和歌集」 巻第四 秋歌上 (193)月見れば千ゞにものこそかなしけれ

2017-04-05 19:07:50 | 古典

             

 

                       帯とけの古今和歌集

                ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

 

国文学が全く無視した「平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観」に従って、古典和歌を紐解き直せば、仮名序の冒頭に「やまと歌は、人の心を種として、よろずの言の葉とぞ成れりける」とあるように、四季の風物の描写を「清げな姿」にして、人の心根を言葉として表出したものであった。その「深き旨」は、俊成が「歌言葉の浮言綺語に似た戯れのうちに顕れる」と言う通りである。

 

古今和歌集  巻第四 秋歌上 193

 

是貞親王家歌合の歌             大江千里

月見れば千ゞにものこそかなしけれ わが身ひとつの秋にはあらねど

是貞親王家(宇多天皇と御兄弟のお方の家、寛平の御時の)歌合の歌。 大江千里

(月見れば、心が千々にみだれて、風物が、何となく哀しく感じられることよ、我が身一つにきた秋ではないけれど……月人壮士、尽きてみれば、縮に、ものが、哀しく愛しいことよ、我が身一つの飽きではないけれど・妻もろともに迎えた飽きだけれど)。

 

 

歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る

「月…月人壮士」「見…覯…媾…まぐあい」「ちぢに…千々に…多数あるさま…縮々に…縮みに縮み」「もの…万物…風物…言い難きもの…身の一つのもの…おとこ」「秋…飽き…飽き満ち足り…厭き…嫌気」「ね…ず…打消しを表す」「ど…のに…だが」。

 

月を見れば、あれこれと感傷的になり、哀しいことよ、わが身一つに来た秋ではないのに・世の中みな秋なのに。――歌の清げな姿。

月人壮士、尽きて見れば、縮々に、ものがもの哀しく、いじらしいことよ、わが身独りの飽き満ち足りではないのに・女も共なのに。――心におかしきところ。

 

秋の感傷的になる風情に付けて、女と男もろともに、浮天の波に漂った後の、愛しく哀しいありさまを、言い出した歌のようである。

 

この歌、「百人一首」にあるので、現代語の意味は小さな古語辞典にも載っているだろう。例外なく「清げな姿」を歌の全てのように解かれてある。江戸の国学的解釈以来、数百年経つので、その解釈が常識化されてしまった。凡庸な自然観照の歌となったままである。明治の正岡子規ならずとも「くだらない歌」と言いたくなるのに。「千ゞ」と「一つ」の対照が表現の技巧であると、口をそろえて指摘する。お門違いのところに、歌の愛でるべきところを移してしまった。

心深くもなく、「心におかしきところ」も聞こえないと、藤原公任の歌論も、くだらない空論として無視するしかない。奇妙な国文学的解釈の方は、誰も疑わなくなってしまった。これが古典和歌解釈の現状である。

 

古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)



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