帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの「古今和歌集」 巻第四 秋歌上 (244)我のみやあはれとおもはむきりぎりす

2017-06-08 19:04:37 | 古典

            


                        帯と
けの古今和歌集

                       ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

 

国文学が無視した「平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観」に従って、古典和歌を紐解き直している。古今和歌集の歌には多重の意味があり、その真髄は、公任のいう「心におかしきところ」である。人のエロス(生の本能・性愛)の表現で、俊成がいう通り、歌言葉の浮言綺語に似た戯れのうちに顕れる。

歌のエロスは、中世に秘事・秘伝となって「古今伝授」となり、やがて、それらは埋もれ木の如くなってしまった。はからずも、当ブログの解釈とその方法は「古今伝授」の解明ともなるだろう。

 

古今和歌集  巻第四 秋歌上 244) 

 

(寛平御時后宮歌合の歌)           素性法師

我のみやあはれとおもはむきりぎりす 鳴く夕かげの山となでしこ

(寛平の御時、后宮の歌合の歌)        (そせい法師・遍昭の子)

(我だけが、哀れと思うのだろうか、コオロギが鳴いている、夕日に映える、やまと撫子草……我の身か、我の見かな、憐れと思うのだろう、キリキリ締め付けるように女が泣く、ものの果て方の、山ばの途中の愛しい女よ)

 

 

歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る

「われのみ…我だけ…我の身…我の見」「見…覯…媾…まぐあい」「や…疑問の意を表す」「あはれ…不憫だ…哀れ…かわいい」「きりぎりす…コオロギの古名…鳴き声はキリキリとものを締めつけ軋むように聞けば聞こえる…鳴き声や名は戯れる、胸キリキリす・此れが限りとする・キリキリとしめつける…鳴く虫の言の心は女」「夕かげ…夕影…夕日」「やまとなでしこ…大和撫子…草花の言の心は女…花の名は戯れる。山ばの途中の女・大いなる和らぎの女」。

 

秋の虫が鳴き、夕日に映えるやまと撫子草、秋の夕暮れの景色。――歌の清げな姿。

我の身、我がおとこの見方、憐れ・愛しい、と思うのだろうか、おんながきりきり締めつけ泣く、ものの果て方の、山ば途中のかわいい女。――心におかしきところ。

 

女のエロス(生の本能・性愛)の極致を、男が表現した歌のようである。

 
 
古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)