帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの枕草子(拾遺二十八)初瀬にまうでて

2012-03-10 02:00:08 | 古典

  



                                 帯とけの枕草子(拾遺二十八)初瀬にまうでて



 言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで、この時代の人々と全く異なる言語感で読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」だけである。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。



 清少納言枕草子(拾遺二十八)はつせにまうでて

 
初瀬(長谷寺)に詣でて、局に居たところ、あやしきげらうども(あやしい修行の浅い僧たち…何れの御方のとも知れぬ下臈女房たち)が衣の後ろを、そのままうちやって居並んでいるのこそ、ねたかりしか(気にくわない思いがしたことよ)。たいそうな心を起こして参ったのに、川のをとなどおそろし(川の音としか聞こえない読経など不気味である…臈女房どもの女の声など遠ざけたい)。

長い階段を上る間など、普通ではなく息苦しさこうじて、いつになったら仏の御前をとくと拝み奉れるのだろうかと思うときに、しろぎぬきたるほうしみのむしなど(白い衣着た法師、蓑虫のような者たち…しらけたほ伏し、身の虫のようなおとこども)集まって、立ったり座ったり額突くなどして、少しの通る場所も空けない様子なのは、ほんとに、ねたくおぼえて(憎らしく思えて)、押し倒しでもしてしまいそうな心地がした。何処でもそれはこのようではある。

高貴な人が参っておられる御局などの前あたりは人払いする。よろしきは(まあまあの身分の人は…我のような前宮廷女房ごときは)、(何事も)制止しずらいでしょう。そうと知りながらも、やはりさし当たって、そのような折々、いとねたし(ひどく腹立たしい)。

 はらいえたるくし(掃除のできた櫛…祓いのできた具肢)、あかにおとしいれたるもねたし(垢の中に落し入れたのもいまいましい…吾が中におとして入れたのも腹立たしい)。


 言の戯れと言の心

 「げらう…下臈…修行の浅い僧…下臈女房…身分の低い宮廷女房」「川の音…女の声」「川…言の心は女」「おそろし…穴師川、初瀬川など、それにそそぐ山川は幾重にも連なった岩石の上を流れ落ちる。近くで聞くその水音は、ごうごうとして恐ろしい…遠ざけたい思いがする」「はらひ…祓ひ…穢れを祓い…掃ひ…汚れを落とし」「くし…櫛…ぐし…具肢…おんな…おとこ」「あか…垢…汚れ…心の穢れ…情欲など…吾が…我が」「おとし…落とし…男とし」。



 宮仕えを退いた後に、道長方の女房ご一行と偶然に接近遭遇したと思えば、それとなく「ねたし」を連発するわけがわかるでしょう。

せっかく詣でたのに、あやしき下臈どもや男どもとに出遭った感じ。清めたものがまた汚れたものに交わってしまった嫌悪感。平らげた「お」がぬけぬけと再び「お」として入れて来た感じなどは、添えてある余りの情。


 
伝授 清原のおうな

 聞書 かき人知らず (2015・10月、改定しました)

 
原文は、岩波書店 新 日本古典文学大系 枕草子による。