帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの「古今和歌集」 巻第九 羇旅歌 (414)消えはつる時しなければ越路なる

2018-02-12 19:40:19 | 古典

            

                      帯とけの「古今和歌集」

                     ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

 

平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観に従って「古今和歌集」を解き直している。

貫之の云う「歌の様」を、歌には多重の意味があり、清げな姿と、心におかしきエロス(生の本能・性愛)等を、かさねて表現する様式と知り、言の心(字義以外にこの時代に通用していた言の意味)を心得るべきである。藤原俊成の云う「浮言綺語の戯れに似た」歌言葉の戯れの意味も知るべきである。

 

古今和歌集  巻第九 羇旅歌

 

越国へまかりける時、白山を見てよめる   躬恒

消えはつる時しなければ越路なる しら山の名は雪にぞありける


 (越の国へ使者として行った時、白山を見て、詠んだと思われる・歌……山ば越して行った時、白けた山ばを見て、詠んだらしい・歌)みつね

(消え果てる時がないならば、越路の、白山の名は、降り続く雪ゆえだったのだ……消え果てる時がないならば、山ば越し成るのに、通い路の白山の、汝は、白雪・おとこ白ゆきだったのだなあ、いつも消えてしう)。

 

 

「越路…越の国への道…山ば越逝く路」「路…通い路…おんな」「なる…にある…成る…山ばに成る」「白山…山の名…名は戯れる。頂の白い山、白けた山ば、おとこ白ゆきの山ば」「名…評判…名声…汝…親しいものをこう呼ぶ…わがもの…わがおとこ」「雪…ゆき…消えやすいもの…おとこ白ゆき」「ありける…ありけり…気づき・詠嘆の意を表す」。

 

消え果てる時がないならば、越路の、白山の名は、降り続く雪ゆえだったのだ…――歌の清げな姿。

使者はただ行き行き任務を果たすだけ。白山はただのゆき山だったのだ。

 

消え果てる時がないならば、山ば越し男も女も成るのに、越路の白山の、汝は、白雪・おとこ白ゆきだったのだなあ・いつも消えてしう――心におかしきところ。

ゆきゆきて尽き果てる、白けた山ばが残る、汝はおとこ白ゆきだったのだなあ、はかないおとこの性、男の生きざまだだったのだなあ。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)

 


帯とけの「古今和歌集」 巻第九 羇旅歌 (413)山かくす春の霞ぞうらめしき

2018-02-09 21:17:36 | 古典

          

                  帯とけの「古今和歌集」

                ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

 

平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観に従って「古今和歌集」を解き直している。

貫之の云う「歌の様」を、歌には多重の意味があり、清げな姿と、心におかしきエロス(生の本能・性愛)等を、かさねて表現する様式と知り、言の心(字義以外にこの時代に通用していた言の意味)を心得るべきである。藤原俊成の云う「浮言綺語の戯れに似た」歌言葉の戯れの意味も知るべきである。

 

古今和歌集  巻第九 羇旅歌

 

東の方より京へまうでくとて、道にてよめる

  乙

山かくす春の霞ぞうらめしき いづれ宮このさかひなる覧

(東国の方より京へ参上する道中にて、詠んだと思われる・歌)(乙…おと…乙姫…若い遊びめの呼び名か)

(山を隠す、春の霞よ、恨めしくにくらしいこと、どこが京との境なのか見えないでしよう……山ば隠す、貴身の・春情の張るの、か済みぞ、恨めしく残念なことよ、どこから、絶頂の境か見極められないでしょう、乱)。

 

 

「山…山ば…京…宮こ…絶頂」「春…春情…張る…膨張…おとこ」「霞…自然現象…彼済み…貴身終了」「宮こ…京…行かんとする都…行かんとする絶頂」「覧…らん…らむ…推量する意を表す…乱…乱れる…見る…まぐあう」。

 

父と共に赴任した東の国で、父を亡くし母と共に都に帰る道中の旅情――歌の清げな姿。

彼女たちは、ただ都へ帰るしか行き場はない。

 

山ば隠す、貴身の・春情の張るの、か済みぞ、恨めしく残念なことよ、どこから、絶頂の境か見極められないでしょう、乱――心におかしきところ。

楽器など奏で、心におかしい歌を詠み、旅人を楽しませ食を得て、当てのない宮こへ行き行くしかない羇旅。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)


帯とけの「古今和歌集」 巻第九 羇旅歌 (412)北へ行かりぞなくなる連れてこし

2018-02-08 20:37:52 | 古典

            

                      帯とけの「古今和歌集」

                     ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

 

平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観に従って「古今和歌集」を解き直している。

貫之の云う「歌の様」を、歌には多重の意味があり、清げな姿と、心におかしきエロス(生の本能・性愛)等を、かさねて表現する様式と知り、言の心(字義以外にこの時代に通用していた言の意味)を心得るべきである。藤原俊成の云う「浮言綺語の戯れに似た」歌言葉の戯れの意味も知るべきである。

 

古今和歌集  巻第九 羇旅歌

 

題しらず             よみ人しらず

北へ行かりぞなくなる連れてこし 数は足らでぞかへるべらなる

この歌は、ある人、男女もろともに人の国へまかりけり。男、まかり至りてすなはち身まかりにければ、女、ひとり京へ帰りける道に、帰る雁の鳴きけるを聞きて、よめるとなむいふ。

 

(題しらず)             (よみ人しらず・匿名で詠まれた女の歌として聞く)

(北へ行く雁が鳴いている、連れて来た 員数が足らないで、帰っていく様子だわ……来たあたりへ、返りゆく・そうするしかない、連れて山ば越した数は足りなくて、独り京へ返ってゆくような心地する)。

 

この歌は、或る人、男女諸共に、他国へ赴任した。男が、赴任してすぐに亡くなったので、女は独り、京へ帰る道で、きた国へ帰る雁が、鳴いたのを聞いて、詠んだと思われる・歌と言う……この歌は、或る人、男女もろ共に、女のせかいに行ったという、男が、いってすぐに、その身の端亡くなったので、女は独り、山ばの京へ、返る道で、来たせかいへ帰る雁(鳥…女…おんな)が、泣いたのを聞いて、詠んだらしい・歌と言う。

 

 

「北へ…来たへ…もとのせかいへ」「かり…雁…鳥…言の心は女…狩…刈…娶り…まぐあい」「なくなる…鳴いている…無くなる…空しくなる…おとこは亡くなったらしい」「つれてこし…連れて来し…連れだって越した」「数…員数…人数…(山ば越した)回数」「かへる…帰る…返る」「べらなる…のようすだ」。

 

 

連れ合いを亡くしたか、鳴きながら、きたへ帰る雁の様子――歌の清げな姿。

我が身の上を、雁の鳴き帰るようすに託した。

 

来たあたりへ、返りゆく・そうするしかない、連れて山ば越した数は足りなくて、独り京へ返ってゆくような心地する――心におかしきところ。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)


帯とけの「古今和歌集」 巻第九 羇旅歌 (411)名にし負はばいざこととはむ宮こどり

2018-02-07 20:29:35 | 古典

            

                       帯とけの「古今和歌集」

                      ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

 

平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観に従って「古今和歌集」を解き直している。

貫之の云う「歌の様」を、歌には多重の意味があり、清げな姿と、心におかしきエロス(生の本能・性愛)等を、かさねて表現する様式と知り、言の心(字義以外にこの時代に通用していた言の意味)を心得るべきである。藤原俊成の云う「浮言綺語の戯れに似た」歌言葉の戯れの意味も知るべきである。

 

古今和歌集  巻第九 羇旅歌

 

武蔵国と下総国との中にある隅田河のほとりに至りて、宮こ

のいと恋しう覚えければ、しばし河のほとりに下り居て、思

ひ遣れば、限りなく遠くも来にける哉と思詫びて、眺め居る

に、渡守、はや舟に乗れ、日暮れぬと言ひければ、舟に乗り

て渡らむとするに、皆人もの侘しくて、京に思ふ人なくしも

あらず、さる折に、白き鳥の、嘴と脚と赤き、河のほとりに

遊びけり。京には見えぬ鳥なりければ、皆人見知らず、渡守

に、これは何鳥ぞと問ひければ、これなむ宮こ鳥と言ひける

を聞きて、よめる              (在原業平朝臣)

名にし負はばいざ言とはむ宮こどり わが思ふ人は有りやなしやと

 

歌の詠まれた表向きの事情は、上の詞書から推量するとして、伊勢物語九に物語風に、わかりやすく記されてあるので、それを現代語にして、言の戯れの意味も加えて読んでみよう。

  

 「なお行き行きて(羇旅…後戻りできない旅)、武蔵の国と下つ総の国との中に、いと大きな河あり、それを隅田河と言う。その河のほとりに群れ居て、思い遣れば、限りなく遠くに、来たことよと、侘しがっていると、渡し守が、早く舟に乗れ日が暮れてしまうぞと言うので、乗って渡ろうとするときに、皆人、物わびしくて(なんだか侘しくて…何かやるせなく悲しくて)、京に思ふ人なきにしもあらず(京に愛しく思う人がそれぞれ居たのである…絶頂に思う人を残してきたのである)。その様な折に、しろきとりの(白い鳥が…色白の女が)、はしとあしとあかき、しぎのおほきさなる、水の上で遊びつつ、いをゝくふ(魚を食う…井おとこを食う)。京には見えない鳥なので、皆人見しらず。渡守に問えば、これなん宮ことり(これはだなあ都鳥…これはだなあ宮このおんな)と言うの聞いて」、よめりければ(歌を詠んだらしいので)、「舟こぞりて泣きにけり(舟の人みな揃って泣いたのだった…夫根こ、反り返って涙を落したことよ)」

 

 (名に付いているならば、さあ、事を尋ねたい、都鳥よ、わが思う女人は、都で健在かどうかと……汝には感極まっているならば、井さ、こと尋ねたい、いまだ宮こで健在なのか、逝けないのかと)

 

「すみた河…隅田川…川の名、名は戯れる。澄みたかは、澄んだひと」「河…川…水…女…かは…疑問を表す」「田…女」「とり…鳥…女、神話の時代から、飛ぶ鳥、庭つ鳥、鳴く鳥など鳥の全ては、なぜか女」「いを…魚」「い…井…女」「を…男…おとこ」「くふ…食う…喰う」「宮こどり…都鳥…宮ことり…絶頂のひと」。    

「な…名…汝…親しみ込めてわが汝」「おふ…負う…追う…ものが極まる…感極まる」「舟…夫根」「こぞりて…皆な揃って何々する、ここでは舟に乗っている人みな貰い泣きしたか…こそりて…子の君反りて」「なきにけり…泣きにけり…白いなみだ落としたことよ」。

 

都に残してきた本妻を思う心情――歌の清げな姿。

当時の太政大臣藤原良房と、その養子となった甥の藤原基経と共謀し、その妹藤原高子は将来皇后となり我が子を天皇にするという野望が、業平に見えた時から、この一族に対する、抵抗と恨みつらみを語るのが、伊勢物語である。

 

愛する妻を、宮こに残し、おのれは、そこから逃れて来てしまったおとこの涙のもの語り――心におかしきところ。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)


帯とけの「古今和歌集」 巻第九 羇旅歌 (410)唐衣着つつなれにしつましあれば

2018-02-06 20:00:41 | 古典

            

                      帯とけの「古今和歌集」

                      ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

 

平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観に従って「古今和歌集」を解き直している。

貫之の云う「歌の様」を、歌には多重の意味があり、清げな姿と、心におかしきエロス(生の本能・性愛)等を、かさねて表現する様式と知り、言の心(字義以外にこの時代に通用していた言の意味)を心得るべきである。藤原俊成の云う「浮言綺語の戯れに似た」歌言葉の戯れの意味も知るべきである。

 

古今和歌集  巻第九 羇旅歌

 

東の方へ、友とする人一人二人誘ひて行きけり。三河

国八橋と言ふ所に至れりけるに、その河のほとりに、

かきつばた、いと面白く咲けりけるを見て、木の陰に

下り居て、かきつばたと言ふ五文字を、句の頭に据へ

て、恋の心をよまむとて、よめる   在原業平朝臣

唐衣着つつなれにしつましあれば はるばるきぬる旅をしぞおもふ

 

歌の詠まれた表向きの事情は、上の詞書から推量するとして、伊勢物語九に物語風に、わかりやすく記されてあるので、それを現代語にして、言の戯れの意味も加えて読んでみよう。


 「むかしをとこありけり(昔、男がいた…武樫おとこを持つという男がいた)そのおとこ、(ある事件の後に)我が身を用のない物と思って、京には居られないだろう(命さえ危ういと)、東の方に住むべき国を求めて行ったのだった。もとより友とする人一人二人して行ったのだった。道知る人もなく惑い行った。三河の国八つ橋という所に至った。そこを八つ橋と言ったのは、水の流れゆく川が蜘蛛の手のようだったのでだ、八つ橋(多くの身の端…多情な身の端)と言ったという。その沢の辺りの木陰に、(馬より)下り居て乾飯を食った。その沢に、かきつばた(杜若)とっても面白く咲いていた。それを見て、ある人の曰く、か・き・つ・ば・たと言う五文字を句の上に据えて、旅の心を詠めと言ったので、詠んだらしい・歌」

「よんだらしいので、皆の人、乾飯の上に涙落として、ほとびにけり((乾飯ともども…心も身の端も)ふやけてしまった」。

 

(唐衣、着つつ、よれよれになった妻が居るので、はるばる来てしまった旅を、惜しいと思う……色情ゆたかな心と身、着つつ、慣れ親しんだ妻と身の端が、都にあるので、愛おしく、残してはるばる来てしまった、このたびを惜しく思う)

 

「唐衣…色彩豊かな女の上着…色情豊かな女の心身…わが空の心身」「衣…心と身の換喩」「なれ…慣れ親しむ…なじむ…衣がよれよれになる」「旅…度」。

 

 わが空心、本妻を残し、はるばる来てしまったこの度の旅を、惜しく未練に思う――歌の清げな姿。

京には居られない事情があった。

 

色情ゆたかな心と身、慣れ親しんだ本妻と身の端が、都にあるので、愛おしく、はるばる来てしまった、こびを惜しく思う――心におかしきところ。

ただ、命からがら、京を逃れてきたのである。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)