昭和一桁時代小学校は尋常小学校の名称で校門の傍には巻木を背負い本を読みながら歩く姿の二宮金次郎の像が建っていた。校門を入ると真正面に奉安殿が建ち中には教育勅語が納められていて祭日や入学式、卒業式などに校長が白手袋で奉安殿から恭しく手にして講堂で読み上げて式が始まっていたのを思い出す。祭日には皆紅白の饅頭を頂くのを楽しみにしていた。
戦争がはじまると国民学校と名称が変わり、贅沢は敵だと言われ主食は配給制、中学校時代は足にゲートルを巻きラッパを吹きながら高射砲陣地の造営に駆り出され中々勉強より軍人訓練が多くなった。
今の時代はいじめなどで他人事のように責任逃れが目立つ。鞭を打っても生徒と一丸になって教える熱狂教師、ときには生徒を自宅に招き和気逢い合いの時間が今だに覚えている。衣食住不足でも心が豊かであった。
街の空き地に二宮尊徳像が捨てられたのか寂しく立っていた・・・