チャンネル桜・瓦版:世論(多数意見)の真逆(少数意見)がほとんど正しい・西村浩一ブログ

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 西部邁師46。民主主義;『公民』:チャンネル桜・瓦版、今は西洋医学を信じている医者自体が、いなくなっている

2016-10-16 09:41:16 |  西部邁師の論

  <西部邁師の論(46)。民主主義;『公民』のみが、政治参加の資格を持つ。 共和制を、担保するのは、国民の歴史感覚>

 ◇、公心と私心の2重性

 『市民』のことを、英語でシチズン、仏語でシトワイヤンといいますが、それらは、シティ(都市)に、戸籍や住民票を、登録した人々などという、意味では『ない』のです。 

 「シヴィル。」とは、「礼儀正しい。」ということですが、『礼儀』の体系は、どこから来るのでしょう?

 それは、『公共空間』のルール、マナー、エチケットから、ということになります。 

 「公共空間。」に入るためのチケット(切符)、それが、「エチケット。」の意味なのです。  

 市民の持つべき、パブリック・マインド(公心)を明示するために、『公民』(パブリック)という言葉を使うことにします。

 実際の市民が、プライヴェート・マインド(私心)をも、持つことは、言うまでもありませんが、政治という、公共空間に現れるとき、市民は、『公民』として、振る舞わなければなりません。 

 公民の言葉づかいのなかに、私心が、含まれることになるのは、当然のことです。 

 人は、誰であれ一面では、独個の『個人』(インディヴィデュアル・マン)であり、他面では、何らかの集団に帰属する、「集団人。」(コレクティヴ・マン)でありまして、そして、個人も集団人も、『私心』から、離れることはできないのです。

 そういう、制限がついた上でのことですが、人々が、『公心』を、表面にかかげてはじめて、国家にまとめ上げられるものとしての、「公共空間。」が、出来上がると見なければ、なりません。

 フランス革命の『権利憲章』における、「人および市民の。」という限定も、その「公民性。」をさしているのです。 

 「民間部門。」のことを、プライヴェ―ト・セクターと呼んで、パブリック・セクター(政府部門)と区別するのは、アメリカ流ですが、それは、『誤解』を招く言い方です。

 民間部門の基礎に、人々の『公心』が、据えられていなければ、政府が、まともな、公共部門になるはずも、ありません。 

 そして、人々に、『共通』の公心の出所は、となると、これまでの議論でも明らかでしょうが、住民にあっての『歴史』の流れ、それのもたらす、『慣習』の体系、そこに内包されている『伝統』の精神を、参照する以外にないのです、

 公心を生み出すのは、『伝統』精神を「判断基準。」に、しなければ、ならないでしょう。 

            (続く)

 


 PKシリーズ96。自律神経:ブログ;2014-11-08・虐殺されるぞ、日本人<通州事件>を再読ください!

2016-10-16 07:28:57 | ピンピン・コロリ

   <PKシリーズ(96)。 自律神経は、全ての細胞を統合する>

 自律神経は、身体の細胞全体を、『統合』しています。

 人間を含めて、生き物はすべて単細胞生物から、進化しましたが、もともと細胞というのは、一つで、全ての機能をはたしていました。

 物を捕食し、消化し、エネルギーを取り出し、排泄し、異物を処理する、これらの活動を、たったひとつの細胞で、すべて行っていたわけです。

 ところが、進化するにつれて、細胞は、役割を分担するようになりました。 

 人間の体細胞一つ一つは、本来持っている機能の、一部だけを使うように、進化したのです。

 最近、よく話題になっていることですが、遺伝子のスイッチオン、スイッチオフを、巧妙に実行して、ごく一部の能力だけを、発揮しているわけです。 

 じっさい、ほとんどの遺伝子が、オフで、ほんのごく1部の遺伝子だけが、オンにされて、皮膚の細胞になり、腸の細胞になり、神経の細胞になり、と役割を『特化』しています。

 すると、そこまで、専門化した細胞を纏めて、それぞれが、いつ休み、いつ働くかという指示が、必要となるのですが、この『指示』を出しているのが、「自律神経。」です。

 ところが、そんな専門化した、人間の体細胞のなかにも、かっての単細胞時代にような、何でも、自分でこなそうという、細胞が、残っています。

 これが、「白血球。」です。 白血球は、単細胞生物時代の性質を、残しています。 

 つまり、殆どの遺伝子のスイッチが、オンになっていて、単細胞のアメーバのように、ありとあらゆる機能を、今でも『保持』しているという、そういう細胞なのです。 

 白血球は、アメーバみたいな形をしていて、標的となるものを、貪るように、食べた、消化・分解する能力を、備えています。

 これを、『貪食』と言いますが、この能力を、生かして、異物を捉えて、消化・分解するということで、身体のなかでは、防御細胞になっているわけです。

 白血球は、異物が、外から侵入してきても、戦って処理してしまうし、また、身体の内部で、害となるような、異常な細胞が生まれたときも、それを、排除・処理する力を持っています。

 つまり、身体中を防御するシステムが、白血球なのです。

 こう考えてみると、人間の身体で起こること、つまり、『病気』・健康と言うものを、総合的・全体的に把握するには、①、エネルギーのシステム、②、自律神経のシステム、③、白血球のシステムという、3つのシステムのありようと、その相互的な働きを知ることが、どうしても必要です。 

 1つ1つだけを、理解していても、『体調』というものを、把握することはできません。

 この3つのシステムのバランス、相互作用を理解することが、大切なのです。

 


 Ⅿ氏の解20。アニメ。『集団』的なヒーロー:凋落・サムスン鎮火できず、Note7が資産終了

2016-10-16 07:03:14 |   M氏の解

   <Ⅿ氏の解(20)。アニメ。『集団』的なヒーローたちが、次々に、育っていった>

 日本のマンガ・アニメを貫いて、「ヒーローは、たった、ひとり。」という、アメリカン・コミックスの絶対的な制約を、軽々と突破するヒーロー像が、続々と輩出しました。

 『伊賀の影丸』から、『ドラゴンボール』、『ポケモン』への系譜は、説明したとおりだが、『美少女戦士セーラームーン』をはじめとする、日本独特の戦闘美少女の系譜もまた、ヒーロー像について、制約の『少な』い、日本のマンガ文化のたまものでありました。

 別にアメリカだけじゃなく、ヨーロッパでも、集団主義的で、男女差別のない、英雄像は、描けていません。

 一見、それらしく見えるものも、良く見ると、まったく違います。

 たとえばアメリカではなく、イギリスでつくられた、アニメではなく、人形劇の実写テレビ映画だった、『サンダーバード』でありました。 

 確かに、集団を形成した、英雄たちの話でありました。

 だが、サンダーバード1号は、たとえ、地球の破滅というような危機が、1秒の何分の1かという、際どい瞬間まで、迫っていたとしても、絶対に、自分で、敵を攻撃したりしないのです。 

 サンダーバード2号以下の実戦部隊に、『指示』を与えるだけ、なのであります。

 そう、欧米のマンガ・アニメ、あるいは、もっと広くいえば、児童向けメディア全体が、こと『ヒーロー』もの、戦争ものに関するかぎり、例外なく、「ワタシ考える人、アナタ実行する人。」というかたちで、知識人が、『大衆』を統制する社会という、『現実』が、未来永劫にわたって、維持されることを目指して『仕組』まれた、宣伝扇動活動なのであります。

 アメリカで、広告エージェント業の草創期に活躍した、ドイツ系移民の大物広告マンエドワード・バーネーズいました。 

 フロイトとか、ハイエクとかの偉大な思想家たちが、ひしめき合っていた19世紀末から、20世紀初頭のオーストリアの首都ウィーンで、教育を受けた人でありました。

 彼は、間違いなく、ゲルマン民族特有の『優越民族』思想の影響を、色濃く受けていたと思います。

 彼の一生を縦糸に、勃興しつつあった、20世紀前半のアメリカ広告業界の内幕を、克明に描き出した『PR! 世論操作の社会史』(スチュアート・ユーエン著。 2003年)という本があります。 

 この本の中で、敏腕広告マンだった、バーネーズは、大ざっぱに言えば、こう主張しているのです。

 【 『知識人』は、大人で、男性的で、理知的だ。 『大衆』は、子供で、女性的で、感情的だ。 だから、子供っぽく、女性的な大衆が、感情に任せて、まちがった選択をしないよう、『知識人』は、大衆を『操作』してやらねばければ、ならない。

 それが、『知識人』の務めであり、大衆の方にしたって、自分の凡庸な頭で、考えて、自主的に行動するより、『知識人』の統制の下で、生きていくほうが、しあわせなのだ。 (ナポレオンのお母さん)】

 だからこそ、『知識人』による統制が、今も、盤石の強みで、社会の隅々に浸透している欧米では、女子どもは、ヒーローにとって、刺身のつまであり、足手まといであり、退屈しのぎの「ラブ・インタレスト。」である、ヒロインにはなれても、ヒーローには、なれないのであります。

 だからこそ、子どもたちには、親が与える、減菌・消毒済みで、人畜無害の『良書』ばかりしか、与えられないのであります。