<実は、急旋回していた日本経済>
1990年代から2000年にかけての20年間は、よく『失われた20年』と云いますが、この20年間は、むしろ、『日本を鍛えた20年』だったということを振り返ってみましょう。
多くの日本企業は、試練に耐え、また日本の国民と労働者は、粛々とその逆境を受け入れ、空前のコスト削減を達成しました。
この劇的なまでの、コスト構造の転換を可能にしたのは、①生産性の上昇、②流通の効率化、③規制緩和などです。
その結果、日本は、世界のなかでも、著しく物価が下落した国へと生まれ変わりました。
1990年代初頭までは、世界最高の高物価=低効率国であったにもかかわらずです。
1993年、為替レートが、107円という著しい円高になったのに、円の購買力平価は、190円にとどまっており、内外価格差が、2倍近くまで、広がっていたということがありました。
日本の高価格の原因として、①極端な円高により、ドルベースでの人件費が、著しく高くなったこと、②日本の企業に、本来的な高コスト構造が存在していること。
具体的には、流通コスト、販売間接費などの間接費負担が、著しく大きかったこと、③規制や、効率無視の企業慣行の結果、特に、公共料金などが高く、それも高コスト構造をもたらした。
したがって、円高を所与のものとすれば、正しい処方箋は、第1に、労働生産性を引き上げて、高い人件費を吸収すること。
第2に、企業のリストラと効率化並びに流通改革を行うこと。 第3に、規制緩和と競争促進によって、公共料金を含めた、市場価格を引き下げることの3つでありました。
その後、約18年がたち、購買力平価は一貫して上昇し、2010年には、1ドル=111円と対ドルで、ほぼ2倍になりました。
日本の高物価、高コスト構造が、飛躍的に改善されたことが分かります。
品目別にみると、アメリカとの比較で、1.5倍から2倍以上あった、公共料金の価格差は、まったく消滅しました。
航空料金や地下鉄料金、電話通信料金など、むしろ、日本で割安のものも多くなりました。
日本企業の絶え間ない努力が、積み重ねられてきたのですが、その結果、今の日本企業は、バブル期にかけて身につけた、ぜい肉をそぎ落とし、世界的に見ても非常に競争力の強い、経営体質を作り上げてきたのです。
物価安を可能にした、日本人の努力は、第1に、ユニット・レーバー・コストが低下したことがあります。
生産性の上昇と賃金低下によって、先進諸国のなかでも『唯1』、顕著に、ユニット・レーバー・コストが低下したのです。
第2に、高コスト構造の是正が、進んだことです。
企業の間接費、販売管理費の削減が、大きく進展し、流通革命も顕著でした。
SPA(製造小売り)というあたらしいビジネスモデル、製品開発、製造から小売りまでを一貫生産して手掛けることで、徹底した流通の効率化と、商品の低価格化を実現しました…。
それに、インターネット販売、コンビニエンスストアト『流通改革機種3業種』の躍進によって、日本の流通業は、効率化を遂げたのです。
第3に、規制緩和が進んだことです。
公共料金の著しい価格差縮小は、規制緩和と競争促進政策導入の賜物でした。
規制緩和による、生産性の伸びは、1995年を1とすると、2005年には、0.39まで下がっており、貢献したことがうかがえます。