尾崎光弘のコラム 本ときどき小さな旅

本を読むとそこに書いてある場所に旅したくなります。また旅をするとその場所についての本を読んでみたくなります。

敬語は現在も一般化の途次にある

2017-03-08 08:04:33 | 

 前回(3/1)は、柳田國男「敬語と児童」(一九三八)冒頭の、彼自身がいう「かなりかわった言語経験」を紹介しました。それは兵庫県辻川から茨城県布川に転居移動することによって可能になった比較のことでした。比較してみて二つの言語経験を得ました。一つは子供同士でチャンやサンをつけず、村の育ったもの同士は互いに呼び棄てだったこと。二つは、比較敬語(間接敬語)において第三者が話題に上る場合、身内以外の人物についても、その地位を考え言い方を変えないことでした。総じて、相手を見ての言い換えすなわち敬語が使われていなかったことです。柳田は、ふだん敬語が使われていない地方があるという事実を改めて言語学的に考える必要が出てきたのです。それはおそらく比較敬語(間接敬語)で、第三者の地位を考えてどう言えばいいのか、子供に教えることが難しくなった時代状況がでてきたのです。

 具体的にはこの年に制定された国家総動員法による世の中の変化です。この法律は、「日中戦争下で制定された全面的な戦時統制法(1938)。第2次世界大戦期の日本の総力戦体制の根幹となった。戦争遂行のため労務・賃銀・物資・物価・企業・動力・運輸・貿易・言論など国民生活の全分野を統制する権限を政府に与えた授権法である。これに基づいて国民徴用令、生活必需物資統制令をはじめ無数の勅令が発せられた。1941年の改正で統制はさらに強化された。1945年廃止。」(百科事典マイペディア 二〇〇七)というものでした。一九三八年から敗戦まで、子供たちを取りまく状況がどのように変化したのか、十分に思い描くことはできませんが、ただ、人と人との関係は広がりかつ複雑になったことはまちがいがなかろうと思われます。そうすると、これまでと異なり様々な人々との出会いや対話の場面が増えてきます。そうなると相手や話題になる第三者の地位を考えた物言いが必要になってきます。使うべきだとされる場面で、子供が敬語を使えないというのでは先生たちも困るはずです。敬語の使い方をどう教えればいいか、これが現場の緊急課題となっていったのだと思われます。

 

≪この経験は我々個人の生涯から見れば、かなり重大な出来事に相違ないのだが、実は敬語が今日のように、国語教育のむつかしい問題になって来るまでは、これが言語学上の一つの現象であるということを、私はまだ十分に心づいていなかったのである。外国にはこの方面の資料は乏しいから、これだけはこちらで独力で考えて行くことにしなければならぬのだが、そうなるとこればかりの経験も粗末にはできない。そうしてこれを足掛かりとして、なお幾つかの地方の言語現象を、詳しく比較してみることは必要でまた便利である。私などの目下の仮定では、敬語を日本語の持って生れた特性のごとくいう説は、たくさんの制限を附けてでないと、そのままには受け取れぬもののようである。もとより国語にその表現の可能性があり、かつかねて高く貴きものに対する用語法の殊別(シュベツ:ことさらな区別)を必要としていなかったら、今頃この問題を引き起す原因もないのだから、それまでは日本語の比類なき長処ともいうことができるが、ただこれ(高く貴きものに対する用語法)を拡張してあらゆる事物、国民相互のいっさいの社交に、必ず尊卑いずれかの形をきめることを要するというのは、最初からの約束とは何としても思われない。敬語の一般化は今もなお前進の途次(トジ:途中)にあり、しかもまだこれまで踏んで来た跡を見かえる折がなく、複雑なる生活事情に揺蕩(ようとう:揺り動かす)せられているために、一方には容易に安全なる標準を示し得ず、また他の一方には土地限りの理由によって、幾つかの異なる状況を残留し、いっそうのその統一を無理不自然にするのではないかと思う。かりにもしこの自分の想像が外れておろうとも、その経過をまるで不明に付しておいて、国語の改良を説いてもだめなことだけは明らかである。中古以前の文献に偏した、これまでの国語史研究がそれをよくなしえなかったのは、単なる不可抗力とは弁疏(べんそ:言い訳)することができない。方法は別に具(そな)わっている、ということを私は説いてみたい。≫(ちくま文庫版『柳田國男全集22』 一三〇〜一頁)

 

 子供に敬語をどう教えればいいのか。「高く貴きものに対する用語法」を一律にあてはめればいいというわけにはいきません。「国民相互のいっさいの社交に、必ず尊卑いずれかの形をきめること」はできない時代になったのです。というのは、少年の頃に柳田が経験したことに基づけば、全国には当時も敬語が使われている地方とそうでない地方が両方存在していることがさらに明らかになってきそうだからです。つまり「敬語の一般化は今もなお前進の途次」にあるというわけです。ならば、これまでの変遷を知りえなければ、現在どう教えることが良いのかを解き明かすこともできません。そこで使おうとするのが柳田独自の民俗学的方法です。これは従来の文献に偏した国語史ではなく、地方に残る敬語の使われた方を互いに比較しその変遷を導き出すという方法です。

 ところで、およそ八〇年になろうとする現在、敬語はどうなっているのでしょうか。最新刊の井上史雄『新・敬語論』(NHK出版新書 二〇一七)におけるいくつかの「章のまとめ」の太字部分を書き抜いてみます。

・ 尊敬語は用法が広がる傾向があり、生命力旺盛と言える(第1章 尊敬語を使いすぎる傾向)。

・ 謙譲語は本来の機能が空洞化し、代理として「せていただく」が普及するだろう(第2章 謙譲語の使いにくさ)

・ 敬語全体の用法の丁寧語化への動きもあり、丁寧語全盛時代に向かっている(第3章 丁寧語の細分化)

 敬語の歴史は、八〇年前と同様、「敬語の一般化は今もなお前進の途次」にあることは間違いないようです。すなわち、一律に積極的に「こう言えばいい」という教え方は困難なのです。ではどのような教え方が可能なのか。次回は柳田の展開を実際に追っていきます。