私はこれまで、(まあ、当たり前ですが)日本近代思想史における「国民的使命観」という研究テーマの存在を知りませんでした。そこで見つけたのが、松本三之介「国民的使命観の歴史的変遷」(近代日本思想史講座 第八巻『世界のなかの日本』筑摩書房 一九六一)です。今回はこれを読んでいきます。「国民的使命観」とはいったいどういう意味なのでしょうか。まず松本三之介氏の解説を聞きます。第一節の冒頭に、こうあります。
ここで言う国民的使命観とは、政治的・文化的統一体としての国民(ネイション)が、世界にたいして何を寄与することができるか、または寄与しなければならないかという使命意識のことである。また、あるいはそれよりも若干広い意味で、統一体としての国民が外なる世界──アジアおよび欧米──に向っていかなる態度または姿勢をとるべきかという問題にたいする指導的意見のことであると言ってもよかろう。このような意味における国民的使命観は、日本において、どのように形成され、どのような内容と特質をもったか。それを主として歴史的に考察しようというのが本稿の意図である。そしてこの使命観が統一的な国民を担い手とする以上、国民にたいする日本的使命の伝道者とも言うべきオピニオン・リーダーが主たる考察の対象となるのは、おそらく当然だろう。
「国民的使命観」とは、一言でいえば、国民的自覚にともなう対外的な態度や姿勢のありようです。これが考察可能なのは近代以降のことです。なぜならば、「国民」が登場するのは、明治国家が「国民国家」としてできあがっていく過程の中であるとすると、「国民的使命観」も明治国家の成立過程と併行して自覚されてきたと考えられるからです。さて、この「国民的使命観」はどのように自覚されていったのか、ざっくりと要約してしまうと、まず幕末です。この時期は欧米列強の圧力に対して、まず独立的な統一国家を確立するのが急務であって世界に向けてどのような態度や姿勢が望ましいかを考える段階にありません。とにかく国民国家を形成しながらも不平等条約改正が大きな課題となっていきます。そのため対外的には剛よりも柔、硬よりも軟で行くしかなかったのです。これが転機を迎えるのは日清戦争の勝利よってです。アジアの大国・清に勝ったことで、国民的な自覚が高まり、世界の中の日本という自覚を得ます。ようやく列強に対して不平等条約改正交渉が現実味を帯びてくるわけです。しかし「三国干渉」によってまだまだ列強の圧力に抗する力がないことを自覚させられますが、日露戦争の勝利によってようやく不平等条約改正が実現するのです。その結果、単に世界の中の日本にとどまらず、日本の国際的地位が高まります。幕末に結んだ不平等条約からおよそ五十年の年月をかけてようやく独立国家の建設という目標を実現したわけです。以上を私なりにその変遷を段階化してみると、(一) 非・国民的使命観の時代(維新期) ── (二)前・国民的使命観の時代(日清戦後) ── (三) 国民的使命観の時代(日露戦後)と受けとめることができます。著者の論述の重点は第二、第三の段階にあります。
このあと二・三節で、著者はこの変遷において日清戦後以降のオピニオン・リーダーと目された岡倉天心と徳富蘇峰を通して、それぞれの国民的使命観の成立過程をたどっていきます。しかし、ここでは第四節までの文脈を辿るために、第三段階の「国民的使命観の時代」に彼らがどのような使命観を持つことになったのかだけを浮彫りにしたいのですが、今回はこの二人を選んだ理由、両者の共通点、相違点を述べた箇所を引用して、次回に繋げます。
・・・日清戦後の国家的自覚は、多く戦勝にもとづく国家への自負と現状にたいする満足感とを背景とし、したがってそこにおける西洋文明への対決の仕方には、かつての国粋保存旨儀(三宅雪嶺)や国民主義(陸羯南)には見られぬ積極的な自己主張の姿勢を感じとることができる。それでは、これまでひたすら摂取につとめ、追究しつづけてきた西洋文明にたいして、今やようやくひとり立ちの段階に入ろうとする近代日本は、どこに自己の立脚点を見出そうとするのだろうか。なぜなら形づくらるべき国民的使命観の性格もまた、世界にたいする国民的自己主張の足場をどの点に求めるかに規定されるところ少なくないからである。/さてこのような日本の自己認識の仕方は二つの基本的方向をとった。ここではそれを二人の代表的思想家によって代弁させることにしよう。すなわち、一人は岡倉天心(一八六二~一九一三)であり他は徳富蘇峰(一八六二~一九五七)である。周知のように両者はともに日清戦争を契機とする国民的自覚の高揚を背景に、国民的使命観の形成と鼓吹に主導的な役割をはたした。そして日本および東洋がこれまでヨーロッパにたいし余儀なくされていた従属的地位につき覚醒をうながしその克服を強調した点でも、両者はともに同じ時代の課題を担っていた。しかし日本がアジアないし世界において占めるべき地位、果たすべき役割について、当時の両者が示した思考態度には全く対蹠的なものすらあった。それは一言にして言えば、天心の日本にかんする自己認識ないし使命観が基本的には審美的なロマンチシズムによって支えられていたのにたいして、蘇峰のそれが権力的リアリズムによって裏打ちされていた点にもとづくと思われる。(前掲書 八八頁)