前回(12/31)は、英語教育廃止というムードのなかで堂々と英語教育の意義を論じた福原麟太郎の「英語教育の目的と価値」(研究社刊 一九三六.十二)をひもとき、まず第Ⅰ章「英語教育ということ」を読んでみました。英語教育とは、英語教授と区別したうえで教育としての特殊性(独自性)を踏まえたものでなければならず、その独自性とは自文化認識を深めて進展させることにありました。では、なぜ「英語」でなければならないか。福原は、第Ⅱ章「文化の交流について」で、文化の進展とは一般にどのようなことをいうのかを書いています。日本ではなぜ英語なのかを論じるために、論理的な布石でしょう。今回はこれを紹介します。(漢字及び仮名遣いを現代ふうに変えてあります)
≪一般にある一国の国民文化は、常に外国の文化の影響を受けて発達しているのである。ギリシャの紀元前五世紀の文化は実に偉大である。然しそれがギリシャ国内で独りで発達したとは考えられない。アクロポリスの丘の上にある美術館が所蔵するもののなかには、クリート(クレタの英名)島の美術館が所蔵するものと著しい類似の特徴を持っている。そしてそのクリート美術なるものは又エヂプトの美術とつながっている。もっと新しい国に於ては尚更それが激しい。十五世紀のヨーロッパ文化はあらゆる国に於てイタリア文化である。十七世紀のヨーロッパ文化はあらゆる国に於てフランス文化の影響を受けている。十九世紀の日本には英仏独の文化が混りあって甚だしい影響が見られる。≫(川澄哲夫編『英語教育論争史』四一〇~十一頁)
「一国の国民文化は、常に外国の文化の影響を受けて発達している」というのは特別な知識ではないと思われます。ギリシャ文化やルネッサンスを学習するなかで出会うことがらであると思います。そうだとすれば日本の西洋文化の摂取が、その優越性を誇る大きな指標となっているのはなぜでしょうか。おそらく摂取法の独自性と、一般にどの国の文化も外国文化の影響を受けて進展しているという知識がゴッチャにされて来たからだろうと考えます。つまり、日本はアジアでいち早く西洋化に成功したために、どの国の文化も外国の影響を受けて来たという一般的認識が希薄化したのではないでしょうか。世界史標準で考えれば、明治維新後の西洋化(近代化)など特別なことではなかったと見直すことができます。著者は、このあと、英語文化の複合性を具体的に説いていきます。つまり純粋な英国文化などなかったということが分かってきます。
≪我々は英語を教えるものであるから如何に英国文化が、外国文化の影響を受けて発達して今日に至ったかを考え、一国の文化が決して独りで発達しうるものでないことを先づ確かにしてみよう。これは、英国ばかりに該当するのでなく、あらゆる国に於て真実なのであるが、便宜上英国を選むのである。
往昔(オウセキ)、英国の島に今日の英国人達の祖先が移り住んだ時、あの島にはケルトの文化があった。そこへほとんど文化というべきものを持たない、或は非常に低い文化をもった海賊民族たるアングロ・サクソンが移住して来たのである。そして。ケルト文化を持った原住民をウエイルスやアイスランドやスコットランドの山奥へ追い込んだ。しかしやがて彼等が定住して彼等の生活を始めるようになると、やはりケルト文化を、学ばざるを得なかったのである。それから当時この島へ渡ってきたキリスト教文化を採用せざるを得なかったのである。その証拠にはアングロ・サクソンの領域で最も文化の早く発達したところは、ケルト民族の住所に近い北部英国と、キリスト教の渡来した南部英国とであった。そしてこの国に発達して後にヨーロッパ叙事詩の一つになったアーサー王物語の如きは、北西部あんぐろ・サクソンとケルトとの境界線のあたりで両民族の混血によって発生し、のちにキリスト教的色彩をつけられたのである。又この国の叙事詩の随一「ベオウルフ」の如きは、海賊民族たるアングロ・サクソン即ちティートン民族の題材を唄って、これにキリスト教的道徳が加味されているのである。
こうして発達したアングロ・サクソン文化は十二世紀の終りにノーマン(ノルマン)人の来寇を受けて、戦に敗れ、国を彼等の手に任してしまったので、これからノーマン文化が、ようやく生長してきたアングロ・サクソン文化を圧倒するに至る。これが所謂ノーマン人制服である。例えばノーマンの王ウイリアム一世はシメオンという建築師を連れて来て英国中に多くのノーマン式寺院を建てさせた。言葉もノーマン式になった。ノーマンは元来アングロ・サクソンと等しいテュートン民族であるけれど、国土はフランスの一部であって、フランス文化を持って来たわけであるから、全く異種の文化によって英国は培われるに至ったのである。
然し国民の生活というものは恐ろしいもので、さしも圧迫されたアングロ・サクソン民族が、ようやく活力を恢復して来た。そしてノーマンをうまく利用して同化して、ここにアングロ・サクソン再生が行われた。今日の英国民というのはこの異種文化に成功したアングロ・サクソンとノーマンの混血であり、今日の英国文化は、この文化混血に源している。この時代がざっと十四世紀末葉である。(以下略)≫(前掲書 四一一頁)
このくらいで十分だと思われます。固有の英国文化があったように受けとめていたのは、誤解だったと相対化できるのではないでしょうか。昨今、難民を含めて国内に外国人が増えて行くのを苦々しく思い、彼等を排斥して自文化の純粋性を守ろうというような時代錯誤的な議論が増えてきたように思います。そんなものはないのです。あるとすれば、異国文化との相互関係による文化形成があるだけです(この意味では独自性も固有性も存在しますが)。また、引用で興味深いのは、いにしえのケルト文化の島にアングロ・サクソン人がやってきた歴史、十二世紀末になるとアングロ・サクソン文化が定着した島にノルマン人が来寇したなど、異文化同士の交渉史は柳田國男の山人論を彷彿とさせます。私の中では山人論もいつのまにか、柳田特有の議論だと思い込みがちになっていたことを自覚します。もっと世界史のなかに位置づける必要を感じました。もちろん日本においても純粋文化などありえない、と私は思います。純粋性にとどまらず独自性・固有性の過度な物言いはおそらくそのような根拠が希薄であることに気付いてしまった者たちの仕業なのかも知れません。