先週火曜日に公開した、塩竈神社「神輿荒騒動」の報道(2)の続きです。この騒動の反響記事として紹介した「日下部博士の信仰物理学」をじっくり再読してみました。・・・どこもおかしくない科学的な議論です。やはり頭の片隅に偏見があったようです。「信仰物理学」という名称に、どこかオカルトっぽい印象を持っていたからだと思います。そう反省させてくれたのは、先週二十五日山奥での体験です。その日のことを綴ってみます。
この日を挟んだ数日、私は群馬県の、新潟県境近くの山奥に位置する知人の山小屋に一人滞在しました。ここは冬になると名にし負う豪雪地帯です。家屋は築三十年を越すすこし西南方向に傾いている趣きのある山小屋ですが、温泉に浸かり秋枯れの景色を堪能したくて出かけたのです。風呂から上がって腰掛けていると、幽かに微動を感じます。自宅にいるときも同じことがあり、歳のせいによる変調かなとも思います。昼間は、ここから見える県道をときどき往来する車の音が聞こえるだけで、崖下の渓流の音も聞こえてきません。ときどき林間から小鳥の声が聞こえるだけです。とても静かです。
ところが夜になると山奥の音風景は一変します。夕方暗くなり雨戸を締めます。テレビもラジオもつけないでいると、いろんな音が聞こえてきます。家の内部からは冷蔵庫の幽かな唸り音、風呂場の方からは温泉が湧いてくる音が聞こえてきます。では、家の外部からの音はどうかというと、経験者にはお分かりいただけると思いますが、けっこうさまざまな音が聞こえてくるのです。夜行性の大小の動物がここら辺りにけっこういることは知っています。明るい内に目撃したのは、ツキノワグマが県道を斜めに横断するところ、アナグマの親子連れには何度か、孤高のキツネ、重量感のあるニホンカモシカ、それからお馴染みのニホンザルは気が抜けません。あと、えーと、テンが勢いよく斜面を下っていくアスリート顔負けの姿も見たことがあります。
ですから、夜になってクマザサの茂みをなにかが通るガサガサ音、イヌともなんとも判断の出来ないなき声、風に吹かれた枯れ枝が落ちてトタン屋根にぶつかる音、樹木にピシッと亀裂が走るような音が聞こえても、そんなに気にはなりません。だいたい音から想像できるのでとくべつに怖いということはないからです。でも、山に詳しいひとの話によると、ときに人間のギャーという悲鳴のようなものも聞こえるそうです。残念ながら私はまだ聞いたことがありません。風が強い日は植物どうしがこすれあったり、ぶつかりあったり、と想像できる場合も少なくありません。だけど、やはり風の音はなんとなく昼間でもいやなものです。
さて、この日、夜更けになると、それほど大きくないものがガサッ、ドサッとおちる音が家の周囲から断続的も聞こえてきます。聞き覚えがあるような、ないような曖昧な音です。トタン屋根に固い木の実のようなものが落ちるなら、すぐに判りますが、何だがこれまたバサッと落ちる音です。建物が時にビシッと出す音は自宅でも経験済みですが、なんだか今夜は回数が多い。食器を洗っていると、突然ドン、と大きなものが小屋のどこかにぶつかる音が聞こえ、思わず「だれ!」と叫んでしまいました。だからといって、真っ暗な外に出て確かめようかどうか。躊躇しながら「面倒だ」といいわけする自分は、少し怖いのです。
だんだん気味悪くなってきて、明朝起きたらすぐに確かめようと、早めに布団に潜り込みました。でも、なかなか寝つかれません。ここに来てから感じる大地の微動、これまであまり聞いたことのない音の数々、家の周辺に原因になるものが何もないとすれば、これは何か大きな変動の兆候ではあるまいか。まさか山肌の表層崩壊?ならば長雨が続いていたとか、そういう前段があるはずだがそれもない、などとウトウトしかけたとき、小屋が建つ石垣の一角が崩れるような音がして半身を起こし、どうしていいかわからず、しばし呆然としていました。すこしたって石が崩れる音は続く気配がないことをいいことに、そのまま寝入ってしまいました。
──朝、目を覚まして窓の方に視線をやると、明るくなっています。しまった、寝過ごしたか、と思って雨戸を勢いよく開けると、──そこは、みぞれ交じりの雪が積る、辺り一面の雪景色です。茫然として、ただ昨晩あれこれ考え不安な時間がまるで夢のように感じられます。その落差に感動しているというか。周囲を見回せば、たしかにみぞれ雪が葉っぱや枝に積ると、みずからの重みでバサッと落ちてきます。子規をパクって、「クマザサのばさりばさりとみぞれけり」とでも詠みたい気分。屋根に積ったやつもズルズルと滑って軒下にドーンと落ちる音を出しています。これで、私は腑に落ちました。
やっぱり山の朝は最高の気分。闇夜の不安をすっかり吹き飛ばしてくれる。・・・「信仰物理学」とはこういう「無知」からくる不安を吹き飛ばしてくれるものではないか。これは真面目に考えていい問題だ、そんなふうに思ったのです。