尾崎光弘のコラム 本ときどき小さな旅

本を読むとそこに書いてある場所に旅したくなります。また旅をするとその場所についての本を読んでみたくなります。

軍機械化時代に求められたもの 科学と精神と

2017-02-17 15:01:16 | 

 前回2/10)までで「戦車大講演会」(一九三九)における角中佐の張鼓峯事件(一九三八)情報の真偽を確かめました。まだ知りたいことはいくつもありますが、いったん張鼓峯事件からいったん離れ、「戦車大講演会」のほうに戻りたいと思います。先の角中佐の講演「列強の機械戦準備」は、列強の軍機械化の情報を紹介しながら日本もまた早く軍機械化を進めていかなければならないという趣旨でした。今回紹介するのは同中佐の前に行なわれた「軍機械化の急務」という講演です。講師は陸軍省兵器局機械課長の職にあった園田晟之助大佐です。肩書きからみると軍機械化推進の実行責任者のようにも考えられます。彼は軍機械化の時代に、総力戦体制を担う国民に求めたい要望を語っています。引用中の「今次事変」とは日中戦争(一九三七)のことです。

 

軍機械化と国家総力戦

 さて、近代の戦争が国家総力戦となり、国家、国民の全知全能を挙げて、これを戦争遂行に最も都合のよい体制に組織し、活動させることが必要なことは言うまでもないことであって、我が国の現況は正にこの過程を辿りつつある。国民は国家の命ずる所に従い、或は軍に入って戦場に活動し、或は銃後にあって生産に従事し、各々其の本分に最善を尽すことが戦争に最後の勝利を得る所以である。

 軍隊を組成するものも国民であり、戦争の遂行に任ずるものも亦国民である。ここに於て将来に於ける軍機械化の趨向(スウコウ)に鑑(カンガ)み、二三希望を申し述べたい。

 その第一は、今次事変に於て戦車、自動車等の各種機械化兵器は、戦場の華として偉大なる活躍を示したが、仔細に考察すれば、其の性能に於ても、数量に於ても、吾々の期待に遠きものが尠(スク)なくないのみならず、中には外国に依存しなければならぬ場合もないではない。若しも支那よりも更に優秀な装備と、強大な国力をもつ国家と干戈(カンカ:武器)を交えなければならぬ情況となれば、決して今次事変の勝利ぐらいに甘んじることはできない。

 たとえば戦車の装甲鈑(ソウコウバン)にしても、さらに軽量で而も強靱無比なるものを発明し、これを多量に製産する設備を整えるとか、エンジンの砂塵(サジン)による磨損(マソン)を減少するため、更に強固なる鋳物(イモノ)を作り出すとか、外国品も及ばぬ特殊鋼の製法に成功する等は絶対に必要なことである。しかしこれは、軍が単独に能くする所でない。皆国民が各々その専門的能力を発揮し、学者も製造家も、第一線に生命を賭(ト)する将士と同様に真剣な気持を以て研究することが必要である。このような研究の完成により、世界無比の戦車を作り、悪路嶮難(アクロケンナン)を踏破してなお屈せぬ自動車を完成し、無敵の機械化部隊を編成することが出来るのである。

 第二には、愛車心の養成ということである。最近、戦場に於ける軍馬の功労に酬(ムク)ゆる意味で、盛んに愛馬心が鼓舞せられて居る。これは平素から愛馬心なり、動物愛護の心が国民に十分涵養されて居れば、戦場に於いても、期せずして自ら軍馬を愛護することとなり、馬匹資源の育成にも役立つと云う精神からだと思われるが、車輌についても亦同様である。平素貨物自動車を使用し、或はタクシーを運転して居る人も、一度召集せられて軍に従えば、戦車の操縦者となり軍用車の運転に任じなければならぬ。

 平素から自己の車を大切に取扱い、朝夕の点検、手入れ、時機を失せぬ修理、無理な運転を絶対にせぬ事等が習慣づけられて居ったならば、一朝軍に従っても亦、心手期せずして弾丸雨飛(ウヒ)の中にこの習性を発露することが出来るのである。戦場に於いては、作戦上の要求から、相当無理なことが多く、破損故障率も随分多い事は已むを得ぬが、必要の時に最大の能率を発揮し、また成るべく長く車輌を活用するためには事なき時にいたわって置くことが必要である。

 内地に於ても、全く手入の届かない汚れた車を運転し、或は徐行すべき状況にも拘らず、無暗に速度を出す等、取扱いに遺憾の点も多々見受けられる。車輌は人や馬と異なり、故障や無理があるにしても、何等の表情を示すものではないが、やはり食事も必要であり、休憩も絶対に必要である。風呂にも入れてやらねば成らぬ。車も使用し運転し車に接する人は、この思いやり即ち愛車心を平素から発揮してこそ、機械化部隊の優秀な戦士となる資格があるのである。国民に対する愛馬心と同様、愛車心を養成して戴きたいことは軍の熱烈なるようぼうである。

 第三に、機械化部隊の主体をなしているものはガソリン機関、ディーゼル機関等の内燃機関であって、文化の発達と共にこれ等機関は、また交通機関、動力機関として益々其の用途を広めんとして居る。よって今やこれ等の機関の原理なり構造なりを知ることは国民の常識として必要とすることとなった。往々、自家用自動車をもつ人が自動車のことは運転手に任せ、中には一概に国産車を排撃して外国車に走り。また運転手は機関の故障は工場の技術者に一任し、自ら進んで故障の余地乃至は排除を研究しないような傾向のあるのは甚だ遺憾に堪えない。

 我が国に於てはこれ等に関する教育機関なり施設なりが不充分であることが其の最大原因であるとは思うけれども、軍の機械化に伴って、苟(イヤシク)も軍の組成分子たらんものは作戦用兵に任ずるものも、指揮運用に当るものも。補給輸送に任ずるものも、皆この基礎的常識を備えていたならば、無理な要求もせず、無茶な使用もせず、内燃機関に必要な燃料なり部品なりの補給についても、弾薬や糧食と同じように取扱わるる事となり、遺憾なく機械化部隊の威力を発揮し得るのではないかと思う。成る可く多くの国民に内燃機関の常識を普及する教育機関なりを施設なりを設備することを促進すると共に、国民も亦機会を求めて知識の吸収に当り国家に貢献するの素養を会得することが必要である。

 第四に、機械化部隊の根幹をなす装甲車輌乃至は自動車は、ご承知の如く各種重工業の綜合によるもので、頗(スコブ)る複雑巧妙、数千万の人力、機械力による工程を経て初めて完成せらるるものである。然しながらこの堅く冷き鉄片の結合の如き車輌の内にも、必ずや霊の宿るものあるを信ずる。戦車が敵弾雨飛(テキダンウヒ)の中を敵陣中に突入して縦横に活躍する、大小の弾丸が命中する、また最多の障碍物、散兵壕等を踏破し妨害に遭遇するのであるが、能くこれ等の至難なる障害を踏み破ってエンジンの活動を継続して人と車が一体となり、必死の活動を為して全軍戦勝の端を拓くのである。

 古来日本刀には霊気宿って妖気を払うという事が広く日本人に信ぜられて居るが、これは刀を鍛錬する刀匠(トウショウ)が、心身を浄めて妄念を断ち一心不乱、神の如き心境を以て鍛錬するからである。古来の名刀と、これを作った刀工の苦心と修養とを知る時は、神霊の宿るも宜(ムベ)なるかなと肯(ウナヅ)かせるものがある。≫(『戦ふ戦車』(朝日新聞社 一九三九) 五九~六四頁)

 

 軍機械化が急務とされる時代に国民に求める要望は四つありました。①軍機械化の先端をゆく技術革新を可能とする人材、②戦車や自動車への愛車心、③科学的認識の普及、④機械にも魂が宿るという考え方。まとめてみると、「科学と精神」になるでしょうか。やがて日米戦争が始まると、国力の差からまもなく物資不足がやってきます。そのさい強調されたのは科学抜きの精神力であったこと、また日米開戦前には科学技術も国力を補う重要な手段として重視されていたことが分かります。


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2 コメント

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パラダイムシフト (ピストンピン)
2017-06-12 20:59:34
島根大学の客員教授である久保田邦親博士らが境界潤滑の原理をついに解明。名称はCCSCモデル「通称、ナノダイヤモンド理論」は開発合金Xの高面圧摺動特性を説明できるだけでなく、その他の境界潤滑現象にかかわる広い説明が可能で、更なる機械の高性能化に展望が開かれたとする識者もある。幅広い分野に応用でき今後潤滑油の開発指針となってゆくことも期待されている。
これからの機械工学 (トライボフィルム)
2017-07-19 13:11:25
 機械工学の本質とはなにか?それは統合力であると思う。細かなことを知らなくても何がボトルネックかということを自覚し、時にはチャレンジすることだ。そのキモとなるパラメータの限界はおおむね材料の耐久性にあったりする。
 この材料は一つの大きな可能性を示している。機械をなぜ小さくできないのかという原理を明確化した。原因が分かればここに勢力を投入しさらなる高みを求められる。地球環境に対する真水の直球勝負がこれから始まる。

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