山形市の西方を見ると,三角の山とその隣にちょと高めの山が見えますが,それが鷹取山です。冬場の山頂までの所要時間1:30.
この山は,知る人ぞ知るマニヤックの山で,登山者は年間50人に達しない寂しい山となっています。理由は眺めが悪い。魅力が無い。という所でしょうか・・・。
ただ,唯一展望が利くところからの眺めです。
左が「富神山」右側が「日向山」でその間が我が居住地の柏倉です。
この山の特徴でも有る風穴を利用した「養蚕の部屋」が山頂の近くに有ります。
付近は,所々雪が消え,または下が消えているため急にぬかるんでしまう様な,とても変った場所が有ります。
この山の登山口は2箇所。北側の「寺山口」と「二田の沢口」です。
上記写真は「二田の沢最後の建物」の朽ちた「二田の沢山荘」です。
この集落は最盛期9軒の家があったと記憶しています。
ただ,町まで4㌔の道のりがあり,冬は閉ざされるため,今から30年前頃廃村になっています。
ただ,年に一度下山した村人が集まり阿弥陀様の前で「かど焼き」をして懇親を深めています。この阿弥陀様は歴史も古いため,地元の人は特に大切にしているようです。
夏場の鷹取山こちらおどうぞ
この山は,知る人ぞ知るマニヤックの山で,登山者は年間50人に達しない寂しい山となっています。理由は眺めが悪い。魅力が無い。という所でしょうか・・・。
ただ,唯一展望が利くところからの眺めです。
左が「富神山」右側が「日向山」でその間が我が居住地の柏倉です。
この山の特徴でも有る風穴を利用した「養蚕の部屋」が山頂の近くに有ります。
付近は,所々雪が消え,または下が消えているため急にぬかるんでしまう様な,とても変った場所が有ります。
この山の登山口は2箇所。北側の「寺山口」と「二田の沢口」です。
上記写真は「二田の沢最後の建物」の朽ちた「二田の沢山荘」です。
この集落は最盛期9軒の家があったと記憶しています。
ただ,町まで4㌔の道のりがあり,冬は閉ざされるため,今から30年前頃廃村になっています。
ただ,年に一度下山した村人が集まり阿弥陀様の前で「かど焼き」をして懇親を深めています。この阿弥陀様は歴史も古いため,地元の人は特に大切にしているようです。
夏場の鷹取山こちらおどうぞ
山辺町の西側に「西黒森」という山があります。
この山は,登山者は殆どいません。山形県県民の森からちょっと外れているためかと思いますが,歴史観たっぷりの山です。
上の写真は,嶽原側から登り30分位行った所に有る「旧狐越街道」の峠に有る石碑です。このままでは何が描いてあるか分かりませんが,表面の凹凸に雪を詰めると,あら不思議・・・文字が鮮明に出てきました。
残念ながら,文字ははっきり出てきましたが,読めません。時間をかけて解読してみたいと思います。
この写真は,裏側に刻まれた,この石碑を建てた時の年代を表しているようです。
これも,興味があるので調べようと思いましが,判る方が居りましたら,お知らせ下さい。
この山は,登山者は殆どいません。山形県県民の森からちょっと外れているためかと思いますが,歴史観たっぷりの山です。
上の写真は,嶽原側から登り30分位行った所に有る「旧狐越街道」の峠に有る石碑です。このままでは何が描いてあるか分かりませんが,表面の凹凸に雪を詰めると,あら不思議・・・文字が鮮明に出てきました。
残念ながら,文字ははっきり出てきましたが,読めません。時間をかけて解読してみたいと思います。
この写真は,裏側に刻まれた,この石碑を建てた時の年代を表しているようです。
これも,興味があるので調べようと思いましが,判る方が居りましたら,お知らせ下さい。