千寿の碁紀行

小林千寿の世界囲碁普及だより

1988年2月17日 読売新聞東京夕刊 岩本薫九段のインタビュー

2014-04-04 01:47:51 | 日記

 最近、以前に掲載した下記へのアクセルが急増していますので改めてご紹介します。

 このインタビューから皆さん、岩本薫先生が私財を寄付し世界囲碁普及を、どのようにされたかったのか、読み直して頂きたいです。

 棋士が世界で出会う囲碁ファンの要望に、どのように応えたかったか。それは継承されているのか。。。

 1988年は今から26年前です。それから、どこが変わったのでしょうか???

 

1988年2月17日 読売新聞東京夕刊[ジャパネスク新世紀]第2部(9)】

欧米の囲碁クラブを訪れると、どこでも「日本の一流棋士にホンモノの碁を教えてもらいたい」という希望を熱湯のように浴びせられる。こうした世界の囲碁ファンの渇望にこたえようと、私財を投じて本格的な海外普及に乗り出したのが岩本薫九段である。ことし86歳、昭和21年から2期、本因坊の座を占め、その後日本棋院理事長も務めた名棋士の一人だが、英語とポルトガル語が話せるという異色の国際通でもある。「なに、囲碁用語はコウでもアタリでも万国共通ですから。私の使う英語は、ベリーバッド(非常に悪い)ベリーグッド(非常によい)ノーグッド(よくない)チキン(弱気)の四つだけです」。さらりとおっしゃるが、ポルトガル語は、昭和4年ブラジルへ2年間移住したときに覚えた。英語は昭和34年から再三アメリカに長期滞在して碁を教えながら、毎朝3時間レッスンを受けて習得している。「いや、お恥ずかしい。六十からの手習いでした。ただ、その時にアメリカ人から、碁のようなすばらしい日本文化をなぜもっと海外へ普及する努力をしないのかと強く言われましてね」

“豆まき碁”が岩本流。布石で、パラパラと豆をまくように石を散らす。それが中盤でいつのまにかつながって無類の強みを見せた。人生も棋風そのままで、南米で、米国で、あるいは欧州でと、むだのように見えた体験が生き生きとつながって、岩本九段の海外普及にかける情熱になる。まず独力で東京・恵比寿に寄宿舎つきの囲碁サロンをつくった。寄宿舎は海外から碁の修業に来る留学生のためのものである。「あれこれ海外とのつながりができると、どうしても外国に囲碁センターが必要だと思うようになりました。日本のプロ棋士がそこに何か月か滞在して直接教えてあげることが大切なのです。囲碁を楽しむのは日本人だけの特権にしておいちゃいけない。また、特権的な座に安住していると衰退するし、滅びる可能性もあります。あらゆる文化がそうでしょう」

老棋士はついに私財をなげうってでも南米、アメリカ、欧州の三か所に囲碁普及のセンターを建設しようと決意する。昨年3月、手塩にかけた東京・恵比寿の囲碁サロンをそっくり日本棋院に寄付した。土地が44坪(約145平方メートル)、鉄筋4階建てのビルで、評価額は5億3000万円。日本棋院はこれを売却して「岩本囲碁振興基金」をつくり、この基金を呼び水として海外の囲碁センター建設に乗り出すことになった。第一着手はブラジルのサンパウロ。岩本九段になじみの深い土地であり、南半球で最大の囲碁人口を持つところである。渡部和夫・日本棋院ブラジル支部代表(前高裁判事)の奔走で昨年12月29日に同市バンプレー街一一六番地に約500平方メートルの土地を取得、今月末にも着工、年内には地下1階、地上3階の南米囲碁センターが完成する予定である。ここに200人が対局できる大ホールや特別対局室、会議室、宿泊施設などができる。この費用が土地、建物あわせて1億5000万円と見積もられており、日本棋院ではさらに米国と欧州に同じような施設を建設しようとしている。東京の地価狂騰が生んだ思いがけない余慶といえようか。現地の邦字紙サンパウロ新聞は6日付の紙面に「岩本九段に“最敬礼”」の大見出しで、この快挙を報じている。

高まる囲碁熱に、教師難、そして会場難が海外での最大の問題になっている。現地在住の土手新治の献身的な努力によって毎日開かれているサンフランシスコの囲碁クラブは例外的存在で、あとは日本の在外公館の一室や公共施設を借りて週に1、2度有志が集まるというケースがほとんど。だからイワモト・ドネーション(岩本基金)は文字通り干天の慈雨で、欧米囲碁ファンの崇敬と関心の的になっている。ハンブルクで、板の碁盤を9面も置いている異色のチェスカフェ「シュピールトリープ(遊戯本能の意)」をのぞいてみた。若いグラフィックデザイナーら二人の共同経営で碁も二級の腕前とか。2マルク(160円)のコーヒーをとれば何時間でも碁を楽しめる。彼らによると、碁はチェスより面白いという。第一に、置き石でハンデをつければ実力が違った相手とでも十分に楽しめる。第二に、チェスは王様の倒し合いだが、碁は息の長い領地の取り合いで、相応に努力が報われる。第三に、チェスは引き分けが多いが、碁にはそれがめったにない。そして、黒と白の石が盤上につくるパターンが多彩で実に興味深いと口をそろえた。居合わせた青年たちも大きくうなずき合いながら、「イワモト先生はヨーロッパでどこにセンターをつくるのか」とたずねてきた。ハンブルクにできたら、店の客をとられるのではないかと冗談半分にきき返したら、「そんなことはない。いまでも毎週月曜の囲碁クラブの会合のあとはこの店へ来て、徹夜でやる連中が多い。共存共栄だ」と、若い経営者が大まじめで答えた。

岩本九段の口ぐせがある。「商売はお金をとるでしょう。碁は世界の皆さんに楽しみを与えるだけです。これなら摩擦がおきるはずがありません」。その熱意が、ようやく実を結び始めた。つぎの問題は、碁の心を伝える第一線棋士の派遣である。「テキストブックだけではいけません。文化は、人が人にじかに伝えるものです」。これが岩本の信念である。(敬称略)
(東京で 庭野静雄編集委員)

★岩本 薫★
明治35年島根県生まれ。大正2年広瀬平治郎八段の内弟子になり同6年入段。六段時代の昭和4年、囲碁を捨てブラジルでコーヒー園を経営しようと移住したが、家庭の事情で2年後に棋士生活に復帰した。昭和20年、広島市郊外で橋本宇太郎九段との本因坊戦対局中に原爆投下があり、かろうじて被爆をまぬかれる。同21年本因坊のタイトルを獲得し、薫和と名乗る。同42年九段、同58年現役を引退し、現在日本棋院顧問。昨年秋には名誉都民に推されている。

http://igo.web.infoseek.co.jp/cgi-bin/dailyigo2/news.cgi?mode=past&no=147

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