goo blog サービス終了のお知らせ 

桃とかなへび

いらっしゃいませ。

平家物語

2012年06月04日 | 日常
あまりたくさんの人は見ていないらしい「平清盛」、
私は大河ドラマとしては10年以上ぶりに見ている。

人の名前や歴史的事項をいくらか覚えてはいるものの、
後の戦国時代などと比べると、この時代には格段に疎い。

しかし見始めると面白くて、毎週の楽しみになっている。
見られない時は録画して、きっちり抑えるくらいだ。


ドラマを見た後、ふと思い出す。
「敦盛の最期」が、中学一年の国語の教科書に載っていたな。

古典のとっかかりみたいな位置付けだったろうか。
その時の国語の先生が暗記しなさいと言った部分がこれ。



熊谷涙を抑へて申しけるは、「助けまゐらせむとは存じ候へども、味方の軍兵(ぐんびやう)雲霞(うんか)のごとく候ふ。よも逃れさせたまはじ。人手にかけまゐらせむより、同じくは直実が手にかけまゐらせて、後の御孝養(おんけうやう)をこそつかまつり候はめ」と申しければ、「ただとくとく首を取れ」とぞのたまひける。熊谷あまりにいとほしくて、いづくに刀を立つべしともおぼえず、目もくれ心も消え果てて、前後不覚におぼえけれども、さてしもあるべきことならねば、泣く泣く首をぞかいてんげる。「あはれ、弓矢取る身ほど口惜しかりけるものはなし。武芸の家に生まれずは、何とてかかる憂き目をば見るべき。情けなうも討ちたてまつるものかな」とかきくどき、袖(そで)を顔に押し当ててさめざめとぞ泣きゐたる。



暗記できたら聞くからと授業で言われたので、
これは覚えなければならないのだと思い暗記した。
そしてとりあえず休み時間に先生をつかまえて聞いてもらったのだが、
バカ正直に暗記した生徒はどうもほとんどいなかったらしい。

しかし古文のリズムは中学一年生にも案外心地よく、覚えるのは苦痛ではなかった。
なんとなく古文はこういうもんだという親しみさえ感じた。

漢文が出てきたのは高校だったか。
現代文で中島敦の「山月記」があって、とても好きだったが、
これも漢文の導入にはよかったのかもしれない。
さすがに暗記はなかったけれど。


暗記した「敦盛の最期」実は今でもかなり覚えている。
覚えていたいわけではなく、ただ忘れていないだけなのだ。
これを覚えていたところで何も世の中の役に立たないのは、
私が生きていても何も役に立たないのとまるで同じだ。

若干十七歳で命を落とした笛の名手敦盛は、平清盛の弟の子にあたる。
ドラマでそのうち出てくるのだろうか。

諸行無常なんて言葉、昔から知っているのに、
しみじみわかるのは、年を重ねてからなのだろう。






この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 散歩犬 | トップ | 雑菌 »

日常」カテゴリの最新記事