private noble

寝る前にちょっと読みたくなるお話し

Starting over09.2

2019-03-31 08:46:30 | 連続小説

「コラっ! ボウズ! どこから入ってきたんだ。こどもの遊び場じゃないんだぞ!」
 オチアイさんの声が修理場から響いてきた。おれとマサトは話しの途中で顔をあわせ、急いでオモテにまわる。ボウズという言葉に引っかかるものがあるから、おれは気が気じゃない。その心配のないマサトは、単なる興味心だけで首を突っ込むつもりだ。
 事務所の扉を開けてその先を見れば、オチアイさんの足元で小さくなっているのは、、、 やっぱりツヨシだった、、、 つぎからつぎへと、、、 昨日、あれほど言っておいたのに、アイツまた、しょう懲りもなく遊びに来たんだ。それもおれのいないときに、どうどうとオモテから。そりゃオチアイさんに見つかるのは当然だ。
 自分がヤバイ状況におちいる想像しかできないおれは、息をひそめて摺り足で事務所に隠れようとうしろを向たんだけど、目ざとくおれを見つけたツヨシが、オチアイさんを振り切って声をあげる、、、 あげなくっていいから、ほっといてくれ、、、 「あっ! おにいちゃん!!」くれないよね、、、 はっ? おにいちゃん?!
「おにいちゃん?」マサトと、オチアイさんが声もピッタリに、アンタたちこそ兄弟かって突っ込みたくなるぐらいのハーモニー、、、 兄弟だからって、息が合うわけじゃないだろうけど、、、
 ツヨシがおれの方を見るから、オチアイさんもマサトもその視線を追っておれを取られる。止めてくれよ、そんなにみんなに見つめられると、なれないおれは、腰が引き気味になっているっていうのに、そこにツヨシは激しくカラダをあずけてきた。
「おにいちゃん。きょうは、やすみかとおもって、どうしようかっておもったよ」
 おいおい、誰がおにいちゃんだ。おれは生まれてこのかたずっと一人っ子だぞ、、、 の、はずだぞ、、、 昨日、さんざんそうやって呼ばれて、少しいい気になってた。
「なんだあ、ホシノ。おまえの弟か?」
 オチアイさんの顔に疑問符が浮かんでいる。
「いえ、コイツ、一人っ子ですから」
 コラ、コラ、マサト、おれより先に返事するな。
「だよな、ちょっと年が離れすぎだと思ったけどよ。なんにしろ知ってるなら、おまえがなんとかしとけ」
 オチアイさんは腕をくんで、指示と言うよりも威圧して言ってくるから、おれはうなずくしかない。
「そうだぞ、なんとかしとけ」
 マサトも腕をくんで大きくうなずきながら言ってくる。だから、なんでオマエまでえらそうに言ってくるんだって。
「おにいちゃん、なんとかして」
 なんだ、オマエも調子いいな。こんな小さな子に頼られればおれもまんざらではなく、なんとかしてやろうかなんて思ってると、ツヨシは足元から顔を出して、ふたりには見えないようにして舌を出す。たいした役者ぶりだ。おれをうまい具合に利用して、してやったりといったところか。きのう一日、相手してやったらもうこれだ。
 おおかた、そこらで遊んでたら、突然雨が降ってきたんで、屋根のある修理場に駆け込んでウロチョロしてたところにオチアイさんが来て、見つかってしまったんだろう。図々しいのはウチの野良猫なみだけど、家に転がり込まないだけまだましだ。
 オチアイさんとマサトはツヨシをおれにまかせて仕事に戻っていった。おれも仕事があるんだけど、これじゃあ、クルマかまうか、ガキンチョかまうかの違いだけで、永島さんのことに文句言えない。
 オマエさ、昨日知らないあいだに消えちまって、どこ行ったんだよ。行く場所あるならこんなとこで遊ばなくてもいいんじゃないのか。いや、あの時はおれでよかったけど、それで今日、オチアイさんに見つかってちゃ世話ないだろ。
「だって、おにいちゃん、なんだかボーッとモーソーしてるから、ボク、5時にかえんなきゃいけないし、だからきょう、それ、つたえようとおもって、もういちど来たら、おにいちゃんいないし、とつぜんアメふってくるし、へんなオジサンにどなられるし、もうふんだりけったりだよ」
 バカ、オマエ。妄想とか漢字も書けないクセに、難しい言葉つかっておれのイメージを貶めるんじゃない。だいたいあれは妄想じゃなくて思案してたんだよ。おれぐらいの歳になれば、いろいろと考えないといけないこと多くてな。まわりから相談も受けるし、、、 受けたくないけど、、、 それが嵩じて、頼られるし、、、 頼られたくないけど、、、 
 それにな、オチアイさんをオジサン呼ばわりするんじゃないよ。あのひと今でこそ落ち着いてるけど、ちょっと前まで結構なワルで、怒ると手ェつけられないらしいぞ、、、 見たことないけど、、、 マサトがそう言ってたから、、、
「おにいちゃん、さすがだね。バイトのなかでも、みんなからたよりにされてんだ」
 うっ、まあ、まあな、、、 って、なにこどもにおだてられてその気になってんだ、おれ。つーか、オマエ、オチアイさんの使用上の注意、聞いてなかったろ。
「おにいちゃん、たのむよ。5時になったら帰るからさあ。それまで、かくまってよ」
 なんだよ、さっそく。結局それか。頼られる立場を肯定した手前、ツヨシを邪険にも扱えないじゃないか。おれをおだてといて、いいように扱おうとは10年早いぜ、、、 って10年後でもおれより若いか、、、 だいたい5時って、夏休みのアニメの再放送に間に合うように家に帰りたいだけなんだろ。
「ちがうよ、そんなんじゃないよ。お母さんが迎えにくるんだから」
 おかあさん? 働いてるのか? だったら、おじいちゃんかおばあちゃんに預かってもらったりとか、学童保育とかあるだろ。ひとりでこんなとこでウロウロして母親待つなんておかしいだろ。
「おにいちゃん、ヒトの家庭にクビつっこむのはよくないよ。いろんなジジョーってものがあるんだからさあ」
 また、そうやって漢字もかけない言葉なんか言っちゃって、って、、、 てっ、あれっ、、、 おれは通りを見わたしてみた。そんな大袈裟に目を動かさなくたって、眼前には、そびえ立つ大きなパチンコのチェーン店があり、その奥にはLOVE HOTELの派手な看板も目に入るのに。
 なのにおれは目を泳がせまったく関係ない方角を向いた。ツヨシに気づかれないように精いっぱいのあざとい演技だった。おれとしても、一応はツヨシに気を遣ったつもりでそうしたんだけど、それでさえもツヨシには大人気ない対応、、、 大人じゃないけど、、、 だったようで、しょげた顔をしている。
 どっちかが当たりなんだろうけど、どっちだからってツヨシの痛みがやわらぐわけじゃない。他人の家の事情に、首を突っ込むつもりはなかったんだけど、ツヨシを追い込むような言いかたをおれがするもんだから、結果的にそうなってしまうのはありがちなことだ。
 人として感ずる部分に大きな違いはないし、ついこの前までは同じような感性を持っていたはずなのに、おれにはもう子供の感じ方をわかってやれていないようで、それは逆におれをしょげさせたが、それをツヨシに見せるわけにもいかない、、、 大人はつらい、、、 大人じゃないって言ったくせに。
「おかあさんと約束したんだ。ぼく、ここで待ってるって。だから、待ってなきゃいけないんだ。だって、おかあさん、心配するだろ」
 おれはツヨシのあたまを撫でて、肩をすくめてみた。おかさんもそれぐらいツヨシのこと心配してくれてるといいんだけどなあと、おれはまた立ちいっちゃいけない勝手な推測を横切らせていた。
 ツヨシの親がどんな子育てしてるかなんておれには関係ないし、意見する必要もない。ましてやあらためさせる権利もない。なにより、一番自分の母親を悪く言われたくない年頃だ。だからといって知ってしまった以上、そこを意識せずにいられない。
 事務所にはガレージから戻ってきた永島さんが、タオルでアタマを拭いていた。キョーコさんはいない。あれからふたりがどうなったのか気にかかったけど、いまはツヨシが最優先だ。
 おれは足元のツヨシを見て、あたまにのせた手でなでてやり、おれに付いてくるようにゼスチャーした。ツヨシも感じたらしく歩を進め、どこへ行くのか好奇心旺盛の顔つきだ、、、 子供はさすがに切り替えが早い。
 おれはせめてもの償いとして、ツヨシの期待に応えようと、永島さんがいなくなった裏のガレージへ、ツヨシを連れ込んだ、、、 無謀な行動だ、、、 そこにはスーパーカーとは言えないが、永島さんのレースカーが鎮座していた、、、 他人のまわしですもうをとってしまった。
 それは、おれの想像しているレースカーとは違い、白く塗られたボディは薄汚れ、かろうじてスポンサーのステッカーと円に描かれたカーナンバーだけが、普通のクルマと差別化されていただけだったのに、それでもツヨシは歓声をあげていた。
「すげえじゃん。なにこれ、おにいちゃんの? クルマ持ってるんじゃん。すげーえ」
 おっ。おお、まあな、、、 見得張るのもたいがいにしといた方がいいぞ、、、 おれ。
 いいか、ツヨシ。おまえも分かってると思うけど、おれも仕事しなきゃいけないから、いつまでもここにはいられないんだ、、、 ツヨシはおれの話しなど聞いちゃいない。右から左へ俊敏な山猫のように、、、 山猫見たことないけど、、、 動き回って、スゲー、スゲーを連発している。もうなにを言っても右から左だ。
 しかたがないのでおれはツヨシの首根っこを捉まえて、5時前に迎えにくるから、絶対にここから出るな。それとクルマは眺めてもいいから絶対に触るなと、二つの約束をした。ひとつ目は大丈夫だろうが、ふたつ目はかなり難しいだろう。ツヨシは目を泳がせながらうなずいて、おれに早く仕事に戻れとまで言ってくる、、、 どうみても厄介払いだ。
 永島さんには悪いけど、子供の興味を引かせるには好きなものを目の前にぶら下げておくのが一番で、おれもよくこの手を母親に使われたものだ、、、 いや、過去形じゃなくて、いまだにそうなんだけど。
 なんにしろこれで、クルマはキズつくかもしれないけど、ツヨシは傷つかない。悪くない判断だ。それがたった一日のことだって、、、
 おれはツヨシをかくまってから、そのまま洗濯物の様子を見に戻ってみたら、ちょうど安っぽいブザーを鳴らして、騒々しい音が止まった。フタを開けてみると、洗濯槽に何枚ものツナギが張り付いている。カゴを取りに事務所へ入るろしたところで、永島さんにバッタリと正面から向き合ってしまった、、、 ツヨシのことをどう説明する、、、 


Starting over09.11

2019-03-24 07:24:13 | 連続小説

「 …聞いてもらえれば、自分もまだ大丈夫だって助けられている。これは、わたしの勝手な思い込みってだけで、ホシノくんになにかしてもらおうとか、そういうつもりじゃないの。だってね、どこかに最後の望みを確保しておかないと、人って、ううん、わたしは、生きていけない… こういう言い方はホシノくんには、キツイ話だったかな」
 それは大人になれば、つらくたって関わっていかなきゃならないことが、どうしてもあるって、暗に言われているようだった。関わったとしても、どこで切りをつけるかは自分次第のはずなんだけど、それが簡単ではないらしい。
 おれも少しは理解した、、、 フリをした、、、 おれだっていっぱしに大きくなって、身長も伸びきったから、もうこれ以上成長することはないはずだ。これまでは自分に実感はないけど、気がつけば身長が伸びていたり、体力がついてたり、それこそ走るスピードがあがってたり、、、 ちんこの毛も生え揃った、、、
 だけど、だれだって、いつかはその成長が止まる時がくるんだ。そんなこと認めたくないから見ないフリしてたって、いずれは止まる。すべてが止まる。あとは劣化していくだけって、それを認めるのは、なんだか生きている意味を否定しているようだから。
 洗濯が終るにはまだ時間がかかる。キョーコさんは本当にしなきゃいけないことがあるはずだ。キョーコさんは誰かからの、、、 たぶん、おれからの、、、 後押しを、それも偶発的な後押しを期待している。キョーコさんは驚いたように、伏せていた顔をこちらに向けた、、、 すべては変換されていく。
「アナタ… ううん、ホシノくん。そうだった。ここに来たのは、ソレをするためだったから」
 ソレって、なにするのか、おれにはわからないけど、、、 まだ子供なんで、、、 変な気をまわしすぎ。少なくともおれが濡らした洗濯物の、手伝いに来たのではないことは確かで、倉庫にひとりでいる永島さんと、サシで話しをするには絶好のタイミングだ。
「ホシノくん。部屋干は、洗濯物同士がくっつかないように、間隔を10センチくらいあけてね。衣類が重なると、そこだけ半乾きになっちゃうから。作業着はポケットとかが多いから、扇風機で風を当ててあげると乾きがいいわ」
 最後は笑って言ってくれたキョーコさんだった。おれはまた、将来いい奥さんになる豆知識をひとつ手にして、、、 それを活用することはない、、、 はず、、、 キョーコさんを送り出す。
「人間って、いろいろな経験をして成長していくんだけど、経験が成長を妨げることもある。いいことばかりじゃないから臆病になったり、変に先読みして身動きがとれなくなったり、子供の時のように思いきった行動がとれなくなる。おかしな話しよね。成長と後退は同一線上にあり、行ったり戻ったり、結局は同じ場所にとどまり続けているのかもしれないし、そうなった時点で自分の役割は終わっているのかもね」
 脇に立てかけてあった濃紺の傘を広げて、黒のロングブーツがゆっくりと歩んでいく。重い足取りは変わっておらず、昨日の再放送を見ているようだった。
 キョーコさんの言うことは、おれにもよくわかり、それは決してキョーコさんだけが感じてるわけではなく、少なくともおれも同じように弱腰になることは年々多くなり、経験を活かしてうまく立ち回れたともいえるし、同時に思い切りがなくなったともいえる。
 事務所の裏口で見送っていたおれに、マサトが寄ってきた、、、 必ずこういうタイミングで現れる、、、 少しは浸らせろって。
「あれ、キョーコさん、来てたんだ。今日は、差し入れなかったのかなあ。あっ、オマエ、ひとりじめしたんじゃないだろうな。これまで食べれなかった分、挽回しようって」
 オマエじゃないって。まったくマサトの図々しさっていったらありゃしない、、、 経験を糧に、少しは自重することを覚えろよ。
 おれがひとりじめしたのは、キョーコさんの手作りクッキーとか甘いモノではなく、ふたりのあいだに横たわる苦い関係性だ、、、 口当たりも悪く、飲み込んでも腹に重く、数日かかっても消化できそうにない。
 なんだかマサトに関わるたびに、厄介がやってくるんじゃないかと思うと、昨日コイツの悩み話しを聞かなくてよかったと安堵した、、、 もうこれ以上の面倒ゴトは、さすがにノドを通らない。
「あっ? あれな。あれはまだいいや。オレにはまだ早いから。ははっ」
 なにが? マサトのワケのわからない理由を耳にしたら、ついついキョーコさんに代わって文句のひとつも言いたくなる。永島さんに無責任に傾倒しているマサトに、、、 誰だって無責任だけど、、、 でも、少しは現実を認識させてやりたくなってくる。
 ホントにまた、永島さんがレースで勝てるようになると思ってるのか。いったいどこにその根拠があるのか。無責任な期待をまわりがするから、永島さんも引けなくなってるんじゃないのか。クルマいじってても、走ってなきゃしょうがない。鉛筆ばっかり研いでも、成績上がらないと同じだよな。
「そうだよなあ。図書館行くふりして、スタンドでバイトしてちゃ、成績上がらないもんなあ」
 うるさいよ。おれの指摘は功を奏さず、逆に妙にうまい揚げ足の取り方されて、おれの例えの貧困さが際立つばかりになったじゃないか。それに誰のせいでこんな状況になっていると思ってるんだ、、、 最終的にはおれのスケベ心のせいだけど。
「先輩さ、ちゃんと走ってるぜ。土・日になるとサーキットに行ってるんだ。だから、土・日はいないだろ。おかげでキョーコさんの差し入れもない」
 おかげでおれもキョーコさんも土・日は大忙し、、、 マサトのボヤキはこの際どうでもいいとして、だから土・日は人手がたりなかったんだって、いまさらながらに納得していた。事務所に戻るヒマもないから、永島さんがいないなんて知らなかった。
 じゃあなにか、いまだってそうだけど、それってずいぶんココに、スタンドに、つまりは会社に迷惑かけてるんじゃないの。職場の私物化っていうか。おれのふところが痛むわけじゃないからどうだっていいけど、いまは口が止まらない。
「えっ? どうゆうこと? ああ、仕事をおろそかにしてるって? いいんだよ、永島さんここの石油会社とスポンサー契約しているって言ったろ。クルマにさ、ステッカー貼ってレース出ると、それだけで宣伝になるんだ。上位に入賞とかすれば、注目度も高いからさ。充分もととれてるんじゃない。会社としては」
 はあ、そうっスか、、、 つまりさ、スポンサーとかいっても、別にカネをもらえるわけじゃなく、仕事中の自由のみを保障された、いわゆる子飼いってヤツなんじゃないの。会社的にはなんの損もなく、永島さんが自分の責任の内に成り立っているわけで、、、 ひがみもあって、そんな穿った見方をしてしまう。
「なに? そうなの? よくわかんないけど、いいんじゃないそれで、お互いそれで納得してるなら別になんの問題もないだろ、永島さんもステッカー貼ってレースに専念できて、会社も永島さんが目立てばそれでいいわけでさ。なんか気にかかる?」
 気にかかるのはおれじゃなくてキョーコさんだろ。そんな境遇じゃあそりゃ生活も大変だ。それなら実際の場所より、現実は下に居るはずで、対等だと思っている相手に、いいように遣われてるなんてことはありがちで、それで自分が納得していればいいけど、踊らされてるだけなら惨めでしかない。自分がどこに属しているか、自分でわかっているって、わかっているようでわかってない、、、 どっちだ、、、 
 マサトは単純にステッカー貼って、いいとこ見せるのが宣伝効果だと思っている。目立つってことは、それを見る位置で意味合いは変わってくるだろ。自分のカッコ良いところを見せて目立てばいいと考えるのは自分だけで、まわりがそれだけを期待しているわけじゃない。
 なにをしたって注目を浴びればいいわけで、それこそ、抜かれたり、コースからはみ出したり、そして事故でクルマがつぶれたって、目立つには変わりない。
 おれがそんな見方しかできないのは、陸上の競技場では有力選手が抜かれたり、走れなくなってコースから出たり、転倒してケガしたりしたヤツに注目が集中するからだ。それに自動車レースでそうなるのは、まるで自分の命を切り売りしているようで、キョーコさんにしてみればたまったもんじゃないだろう。
 それで、その程度のスポンサーで、毎週レース場に通ってるとなれば、かかる金もバカにならないだろうし、、、 あとで知ったんだけど、おれの想像以上だった、、、 クルマだってそのたび整備してるだろうし、ここで働くだけでそれを賄えるとは思えない、、、 おれにだってそんな計算できる。
「そりゃなあ、ほとんどつぎこんじゃってると思うよ。生活費はキョーコさんの給料でやりくりしてるんじゃない。いやあ良妻賢母だなあ」
 オマエな、そこまでわかってて、よく差し入れ、ねだる気になるね。おれがほとほとあきれてるのに、マサトはさらに輪をかけるあつかましさで応える。
「そうか? 二人で頑張って夢に向かって生きてるんだ。うらやましくって、オレも少しはあやかりたくて。それで、おいしいお菓子をいただいてるわけだよ」
 オトコは夢を追ってればいいけど、オンナは現実に追いかけれるている、、、 なんてな、おれもわかったこと言っちゃって、、、


Starting over08.31

2019-03-17 07:32:25 | 連続小説

 マサトが意外な行動をしたからだろうか、翌日は突然の夕立になった、、、 朝、急に雨が降っても朝立ちとは言わんのはなぜだろうか、、、 意味が違うからか、、、 
 夏の終わりにありがちな、濃い青に真っ白な入道雲が立ち込めていた空が、瞬く間に暗くなってきたと思ったら、大きな雨粒が一気に落下しはじめて路面に水しぶきが立ち上る中で、あたりの風景も霞んでいく。
 平日の客の入りが少ない日だったとはいえ、いくらスタンドには屋根があるから雨をしのげるとはいえ、外で働くのは億劫で、できれば客は来て欲しくないと思っていると、そんな時に限って客はやってくる、、、 そういうのに限って厄介な客だったりする。
 たまたま近くでタイヤの片づけをしていたマサトが相手をすることになる。おれは背を向けてガレージでかたづけ、、、 のフリをして、、、 で、急場をのがれる。おれのとっさの緊急回避もいけるじゃないか、野生の感覚がよみがえってきたか、、、 なんて自画自賛して、、、 んっ、なにかを忘れている気がする。
「おーい、ホシノーッ! 洗濯物ーっ!」オチアイさんが事務所から大声をだす。
 それだっ! おれは事務所まで急いでもどり、階段を駆けあがり、、、 腰の具合で駆けあがれない、、、 屋上についたら急いで物干しからはずして、、、 行き先がない、、、 もはやこの行為に意味がないとわかった頃には、自分ももうびしょぬれになっていた。
 午前中に干しておいた洗濯物だから、完璧に乾いていたはずなのに、帰るまでに取り込んでおけばいいやって、いつまでもほかっておくからこんなことになる、、、 ここでも先延ばしの弊害が、、、  そもそも男子高校生の生活スケジュールに、午前に干した洗濯物は早めに取り込め、などという習慣も観念はない。
 とりあえず抱え込んだ洗濯物とともに、屋上から降りようとしたとき、傘も差さずに裏のガレージへ走っていく姿が目に入る。それはもちろん永島さんしかいない。なんだろう、雨漏りでもするんだろうか?階段を降りると、オチアイさんが間に合わなかったようだな。とタバコをふかして週刊誌をめくっていた。そんなことしてるぐらいだったら、気づいたときにすぐに引きあげてくれれば間に合ったかもしれないのにとは言えず、、、 こころの中では言った、、、 いやなことや、面倒なことから逃げてると、結局それ以上の苦難が待っているんだ、、、 なんの教訓だ?
 事務所の裏手にある洗濯機に、洗濯を終えた時より水分を含んで重くなった作業着を放り込む。腰に厳しい作業だ。そしてこれで明日は倍の洗濯をこなさなければならない。とりあえず現実逃避して事務所に戻る。
 オチアイさんはもう読み飽きたのか、週刊誌をマガジンラックに放りだしてタバコに火をつけた。
「永島のヤツ、新しいスポンサーからの電話取ってたからよ、雨降りだしても動けなくてな、なんとか切り上げて、急いで出てったよ」
 その情報、おれにいるのだろうか、、、 ああ、読んでる人向けね、、、 オチアイさん、代わりに行ってあげればいいのにって思った。言わなかったけど。
「あのクルマは誰にも触らせないんだ。永島のヤツ。京子さんにもな」
 この情報もいらんなあ、、、 あとから役に立つんのかな、、、 キョーコさん別に触りたくないだろ。もっと言えば見たくもないぐらいじゃないのか。つーかそんな大事なクルマなら、シートでも掛けときゃいいんじゃないだろうか。
「シートを掛けたり、外したりする時間だってもったいないんだ」
 うーん。おれには永島さんの目指す方向と、オチアイさんの察しの良さが理解できなかった。
 雨が小降りになってきて、おれは未練がましく洗濯機の方に向かった。脱水かけりゃ何とかなるんじゃないだろうかって、そもそもそんなシャレた機能が付いているほど良い洗濯機じゃあない。
「あら、間に合わなかったのね洗濯物。こんなに溜めこんじゃ明日が大変でしょ。室内干ししてでもかたずけちゃったほうがいいわ。私、やっておくから、かしてごらんなさい」
 キョーコさんは手際よく、洗剤の箱に付属している計量スプーンで適量な洗剤を取り出し、サーッと洗濯槽に放り込んで、洗濯機をまわし始めてしまった。魔法を見ているようで、おれがやったら5分はかかることを、アッというまにやってしまった。
 たしかに明日まとめてやったとしても、干す場所がないから室内干しになるのは同じことで、だったら今日の内にやっておいたほうがいいのはわかったけど、そこは不精な男の性で、どうにも億劫さだけが先立って、、、 洗濯物でさえも先送り、、、
「突然、暗くなって、この降りかたでしょ。しかたないわ」
 そうです、しかたないんです。雨が降ってきてすぐに洗濯物のこと思い出せるほどの器量も、主婦でもないので、洗車待ちのクルマに洗剤でもかければ勝手に泡立つんじゃないかって、くだらないことを考えていたぐらいで、そこらへんは立派な高校生だと自負できる、、、 立派ではないか。
「なあに、それ。ハハッ、おもしろい。ホシノくんって、以外と、お茶目なのかしら?」
 あっ、ウケたらしい。笑顔、初めて見た。こういうの好きなのか。おれ、オチャメなんて初めて言われた。そこはおれと永島さんの若いころとは違うんだろう。そうしてキョーコさんはまたグレーな表情に戻っていった。
 キョーコさんがこんな時間にここにいる。会社が終わる時間には早すぎる。今日は仕事を早く切り上げたんだろうか。キョーコさんは洗濯機のなかで回転しながら泡立つ洗濯物を確認し、ゆっくりとフタをとじ、、、 おれはいつも、バンッと勢いよく閉じてるからガタがきてる、、、 その手をフタの上にのせたまま腰に手を当てた。
 キョーコさんの一連の動作は、ここでもよく手伝ったりしているんだろうと思わせる、、、 もしくは永島さんの洗濯もここですることがあるとか、、、 おとこは待たせるだけ、おんなはいつか待ちくたびれて、それは悲哀を語るわけではなく、甲斐性を自慢しているようで、おれはこの場につなぎ止められてしまった。
 おれはもちろん、ココに留まる理由は何ひとつなかったんだけど、キョーコさんがこの状態では、なんだか離れることを許されていないようで動けなかった、、、 つまり、なにかおれに言いたいことがある、、、 といったとこか。
「なんだか、ごめんなさい。昨日は変なこと言っちゃって。ホシノくんに余計な心配かけちゃったかなって。だから、今日は、お詫びしようと思って」
 なに? そんなことのために、わざわざ会社を早びけして寄ってくれたのか。おれのため? いやいや、それは考え過ぎだろ。たぶんおれの浅はかな考えではあるが、きっと彼女が面と向かって話しあいたいのは若き日の永島さんであって、おれにではないだろう。
 おれに伝えたいことと言えば、おれが永島さんに余計なことを言わないようにと、含ませた言葉なのだ、、、 おれもこれぐらい、気をまわせる、、、 たまには。
 そこでおれは、なんとも頼りないこの双肩に乗っかった重荷を、ひとつでも無くして、深みから逃れられるならと思い、はあ、そうですか、おれなんかに気をつかわなくてもなんて、心にもない見え透いた返事をしてしまった。
 
キョーコさんは、まばたきを忘れた深い目で虚空を見つめていた。いわゆる年代物の洗濯機は、多すぎる洗濯物に抗議しているように必要以上の音をたてても、きっと彼女の耳には届いていないし、フタの上に乗せた手から伝わる振動も感じていないようで、それじゃあおれの言葉の行方も同じなはずだ。
 振り向けば裏のガレージが目に入る位置なのに、雨の中、小走りで走っていった永島さんを追おうと思えばできる距離なのに、キョーコさんの脚は固まったまま動きそうもないし、振り返って目を向けることもない。
 それはあえて引き寄せられる引力に抗っているようだ。もしかしておれは、キョーコさんがここにとどまっているための接着剤の役目をはたしているのか、、、 どうせそれぐらいのものだ。
「なんだか、いつからか、こんなふうになっていた。どこからはずれちゃったのか、もうわからない。いつのまにか、こうなってた。道を戻すタイミングは何度もあったのかもしれない。でも、目を背けていた。だから向こうも引けないし。わたしも終わらせることはできなくなっていった。それで、こんな作られた生活をやめにできない。おかしいでしょ。はたから見れば仲むつまじいカップルに見えるのに、本当はそれぞれ自分のことだけを考えている。アイツもそれが正しいと思ってる。もうひとはな咲かせれば、すべてが解決すると信じてる。わたしもそれを望んでいると信じているフリをしている。だからね、なんらかの答えが出るまで、ひとりだけ先に降りるわけにいかないの。どんな答えがでるのかわかってるはずなのに。もしくはもう答えは出ているのに… 」
 キョーコさんは思いのたけを吐き出しているようだった。おれなんかに言ったってしかたないのに。でもそれがきっと、キョーコさんが、やる必要もないのに、ここで洗濯を回している理由なんだ。
 不思議なものでおれたちは平穏な生活を望んで、穏やかに暮らしたいと思っている反面、争いごとがあるとその刺激を生きる糧にしてしまうらしい。もう一度、平穏を取り戻すためにしなくてもいい我慢や、抗いが目的にすり替わっていく。
「 …またこんなこと言っちゃって。全然お詫びになってないわね。でもね、なんだかホシノくんには… 」
 おれにできるのは、ただ話を聞いているぐらいしかできないのに、それがいまのおれに与えられた役割りなら、まっとうするのがキョーコさんへの礼儀なんじゃないかと思っただけで、たとえ結論がすでにでているのならそれでもいい、おれに話すことで自分を納得させようとするならそれもいい、どうせおれは気の効いた言葉のひとつもかけられないんだから。
 すべてを正しいとか、間違っているとかで推し量るってのは、おれたちの悪い癖だと思うんだ。良識ある人達ほどそれを突き詰めようとしている。生真面目そうにみえるキョーコさんはきっと、そんなジレンマの中で行き場を失っているみたいに見える。
 なんとも手がつけられないと観念している一方で、なんとか明りが見えるようにできないかと、その狭間の中でもがいている。正しいと人から言って欲しい、間違っていると人から正して欲しい、それがなければ自分を確立できないことだってある。
 なんの責任もない立場であるおれの言葉では、それこそ、大きなお世話以外のなにものでもなく、なんの解決にもならないはずないんだけど、辛いなら止めればいい。それに意味があるなら続ければいいって、ツヨシにでもわかりそうな簡単な論理が、大人になればなるほど簡単に捉えられなくなっていくようだ。


Starting over08.21

2019-03-10 06:08:58 | 連続小説

「 …なんてさ、いいだろ?」
 マサトの妄想が終わったらしい。なにを言っていたか耳に入ってないけど、、、 たぶんキョーコさんのような彼女が欲しいってはなしだ、、、 この夏に実現できたら良いなって、それっぽく口を合わせてみたら、マサトも『だろ?』って言うから、間違ってはいないはずだ。話しを聞いてなくても気持ちが通じ合ってしまう、、、 まるで熟年夫婦、、、 熟年夫婦がそうなのか知らんけど、、、 ウチの母親と父親は違うな。
 ひと夏で、彼女もクルマも欲しいモノがなんでも手に入るなんて、そんな思いどおりにいくもんじゃないだろう。おれなんかそうなったら、舞い上がっちゃってしょうがないだろうな、、、 クルマ要らんけど、、、
 しかしどうなんだろ、休憩時間とかいっても仕事中なんだわけだし、永島さんだからなにしてもいいってわけじゃないだろ。そのしわ寄せがおれに来て忙しくなってるんじゃないかないだろうか、、、 たぶん関係ないな、、、 だけどそんな文句のひとつも言いたくなる、、、 そこは口にしない、、、 
 永島さんは、そこまでして、、、 キョーコさんにそこまでさせて、、、 クルマに手をかけて、いったいなにがしたいんだろうか。キョーコさんの痛みも知ってか、知らずか。どうしたって、男ってヤツは女に苦労させるのが甲斐性みたいだった、、、 この時代までは、、、 おれもなかなかハラグロイ。
「あれ? 言ってなかったっけ?」
 たぶん、言っていたと思うよ。マサト、、、 2回目。マサトは口に出すほど疑問にも思っていないぐらい、合いの手のように口にしてくるから、もはや罪悪感もわいてこない。
「永島さんさ、ノービスのレースに出てんだよ。結構、いいタイムで走るんだぜ。おととしなんだけど大会で優勝してさ、スポンサーもつくって話まで出てたんだから。でもそのあと、運悪く事故しちゃって。それからタイムが伸びなやんで、その話もいつのまにか立ち消えたんけど。でも、永島さんも巻き返そうとして、クルマの性能をあげるために懸命なんだ。だからああやって、日々いじりまくってるんだよ。クルマが決ればタイムも伸びて、また優勝できるようになるさ。永島さん、ホントに速いだから」
 うーん。これは、性格的な問題なんだろうけど、マサトの楽観的な思考には、おれにはついていけない。最後に勝ったのが一昨年で、事故して、前ほど速く走れなくなって、スポンサーから逃げられ、勝つための理由をクルマに追い求めて、自分の現実を見ていない、、、 おれが言えた義理じゃない、、、 ひとのことはいくらでも言える。
「それに先輩、このスタンドのステッカー貼ってレース出てるから、レースで活躍すればスタンドの宣伝になるから、社長も応援してるんだ。だから、いいんだよ」
 そういう、暗黙の了解があるのね。持つ者と、持たざる者の違い。それはそれで素直に受け入れられるほど大人でもない。そしておれはどうやら、コップの水があと半分しかないとしか思えないタイプの人間なんだ。ところで『のーびす』ってなに?
「それは、レースのカテゴリーでさ、永島さんが出場するのは… 」
 ああ、なぜだろう、どうしてもマサトの言葉があたまに入ってこない、、、 コッチから訊いといてなんだけど、、、 いつもだけど、、、 
 いつだってそうなんだ。おれがマサトの話しを真面目に聞いてれば、これほど自分の首を絞めるような状況にならなかったんじゃないかって。クルマ云々のところまでは聞いてだけど、、、 今もそう、、、 それで、どうでもよくなってきて、マサトの声が右から左に抜けていった、、、 なんて表現はよくあるけど、実際はおれのあたまの中で消えてなくなっただけだ。
 こうして、自分に相容れないものとの絡みを拒絶していたら、かえって逃げ場のない袋小路に向かってしまった。じゃあ、気に入らなくても興味深げに話しを聞いて関わっていけば良かったのかって、それはそれで、、、 やっぱりドツボにハマってただろう、、、
 それをマサトや他人のせいにしてしまうのは簡単で、自分の人生がいつまでたっても、自分の手中に戻ってこない最たる理由だ。
「 …って、言うわけ」
 たぶん、マサトはおれが感心して『へーっ』とか言うのを待っていたんだと思うんだけど、おれがボーッと黙りこくっているから、マサトは首をひねって、おれの顔をまじまじと見る。ようやく熱い視線に気がついたおれが、そうだな、きっと勝てるようになるなって、1mmも思ってないことを口にする。
 マサトは、そうだろ、そうだろって、満足そうに日課のタイヤ倉庫のかたずけに向かって行った。何かおれに言いたいことがあったはずだ、声をかけてみたけど、マサトはこちらに振り向きもせず、手を振って行ってしまった。マサトが思わせぶりな行動をするのは珍しく、おれはそこんとこが少しだけ気にかかっていた、、、 少しだけな、、、 
 今日一日働いたら、いろんなことが起きた。いろいろなひとが生きていて、いろいろな人生を過ごしているから、関わる人の数が多ければ、関わる予定のないはずだった厄介ごとにも絡むことになる、、、 良いことに絡めば、いい一日だったって終わるだけだ、、、 
 それが人のしがらみってヤツで、じゃあ誰とも関わらずに生きていくことだってできるはずなんだけど、どれだけ遠回りしてもそうならないのが人生だ。
 これまでと同じように疲れきった帰り道では、なにがその日に起きたことなのか、以前起きたことなのか、はたまた本当は起きていないことなのか、こうなってくると、そんな記憶がごちゃまぜになってわからなくなってしまう。
 昨日と今日を分け隔てているのは、壁の隙間から目を光らせていた子ネコがいなくなり、玄関に据えつけたダンボール製のスウィートホームに寝そべっていることぐらいで、子ネコは、おれが倒れこむように玄関に転がり込んでも、うっすらと片目だけ開いて、からだはびくとも動かずタヌキ寝入りを決め込んでいる、、、 ネコなのにタヌキ、、、 
 少しは感謝してほしいもんだな、おれが救い出したんだぜ、、、 1日放置して、翌日も帰るまで忘れてたな、、、 なんてこちらが恩着せがましく思ってたって、本心からの善意でやったわけでもないから、そんなものは子ネコだってわかるもんだなんて、反省するやら、感心するやらしているおれに『ミヤァ』と、おおきなアクビがてら答えてきた、、、 ついでか、、、 ネコが起きていようが、眠ったままだろうが、どうでもいいんだけどね。それでなにかが変わるわけじゃない。
「あら、おかえり。どうしたの、えらく疲れてるわね。毎日、毎日。そんなに勉強して東大にでも行くつもり? それとも、何か、ほかのことでもしてるのかしらねえ?」
 そう? 別にそんなに疲れてないけど。さあ、夕ご飯でも食べようかなあ。と言って、軽快に立ち上がり、無理やり足取り軽やかに廊下を歩きはじめたら、あら、ムダに元気ありそうねと、ここぞとばかりに、ベランダに干してある洗濯物の取り込みを頼まれてしまった。
 おれはきっと、こうやって、弱みを隠し切れず、そいつをダシにいいように扱われていくんだ、、、 特にオンナに、、、 あのネコもきっとメスだ。そうに違いない、、、 以前、オスだって確認したな、確か。
 洗濯物を見わたせば、父親と、母親の物ばかりで、自分の分は数えるぐらいにしかありゃしない。そりゃそうだ、毎日スタンドで作業着に着替えて、汗だくになるからそのまま洗濯機に放り込んでくるから、おれのといえば行き帰りのTシャツと下着ぐらいだ。
 夜は家で洗濯物を取り込み、明日は朝からスタンドでヘビーに汚れた洗濯物を回して事務所の屋上に干す。ホント、いい奥さんになれるな、おれ。
「よう、よく働くな。朝から、夜まで。さすが、スポーツ選手。 …元」
 まあな、誰彼かまわず、いろいろと仕事言いつけてくれるから。おれも一日中ヒマしなくて助かるってなもんだ。
 なぜかマサトが、駅からは自分の家と反対側のおれの庭先にいる、、、 どうせ来るなら朝比奈のほうがよかった、、、 母親に言いつけられた洗い物を、取り込んでる姿を笑いに来たわけじゃあないだろう。今度こそヤツの言いたいことを訊くためにおれは、ベランダに胸を支えにして寄りかかり、両手をダラリとたらし、マサトが何を言ってきてもいいように準備した。
「あのさ… イチエイ。おまえ… 」
 
なんだよ、死人にでも声かけるような感じだな。おれは、ベランダの上から文字どおりマサトを見下ろしていた。長い付き合いだ。マサトが何かを決断しようとしていることも、それを言いづらそうにしてるのもわかっている、、、 おれたちは熟年夫婦だ。
 夏の夕暮れは長くて、なかなか日が落ちない。マサトの表情を隠すにも至らない。煮え切らないその表情で、ここまで引っ張るということは、明日に先延ばしにする選択肢もありえる。
 おれは黙ってその時を待っていた。こうなりゃ、厄介事がひとつふえたってたいした違いじゃない。それにマサトの厄介事はおれの優先順位の一番最後にまわされる。
「いや、なんでもない。またな、明日… 」
 またな、明日。いいよな。いい言葉だ。いったい、いつまでおれたちは、この言葉を有効に使い続けられるんだろう。まだ、当分はいけるはずだと思っていると、その期限はあっというまに少なくなっていく。
 マサトだって、おれだって。それでもいいじゃないか。たとえコップの水が半分だとしても、いずれはそいつもなくなるんだ。永遠にあるってことはありえないんだから。


Starting over08.11

2019-03-03 13:53:56 | 連続小説

「そうだった、ホシノくん。そう聞いてたけど、なんだかそう呼ぶキッカケがなくて。でも “アナタ”っていうのも、たしかに変だった。オバサンの言うことだからだから、気にしないでちょうだい」
 そんなオバサンだなんて、やめてください。憂いを持った微笑みで彼女はそう言ってきた。最接近したキョーコさんからは、いい香りが漂ってきて、得も言われぬ気持が昂ぶってくる。香水とかでなくもっと自然な、そして女性特有の香りだと思う。
 おれが永島さんだったらクルマなんかかまうより、絶対にキョーコさんかまうな。そんな顔されたらおれ、、、 夜まで欲望が抑えきれない、、、 抑えとけ。
「ホシノくんは、なんだか、タツヤに似てる。もう少し若かった頃の、ちょうどホシノぐらいの歳の頃。だから、タツヤも、ホシノくんのように… ってね… 」
 おれのように、ナニ? 丁度、大型トラックが走り抜けて、肝心なところが良く聞こえなかった。こういうの前にも聞いたような気がして、時系列が正しく並んでないような、どうにも腑に落ちない感じ。自分が一体、どこの世界にいて、どこで生きているのか、時おりわからなくなってしまう。ツヨシが言ってたことって、こういうことなのか、、、 子どもの言うこと真に受けている、、、
 そんな言葉を放り投げられても、とても受け止める余地も、裁量もないおれはただ、キョーコさんの目を見ることしかできない。その鳶色の瞳の中には宇宙が拡がっているくらいに、さまざまな闇と光が混ざり込んでいた。
 キョーコさんは、そんなシーンにありがちな、遠くを見て、次の言葉を選んでいる姿だ。いったいその先に、その瞳で何が見えるんだろう。おれも一緒になってその先を見てみたけど、、、 おれにはキョーコさんの陥っている深みの底は見えない、、、 あるのはでっかい、入道雲だけ。
「あっ、いけない。もう行かなくちゃ、ホシノくん。タツヤのことお願いするから。よろしくね」
 そう言ってキョーコさんは軽く手を振って、笑顔で青に変わった歩道を小走りに行ってしまった。白いシャツの下には同色の下着が薄っすらと透けていた。勤めている会社で、こんな女性が隣の席にいたら、仕事にならんな、、、 おれなんか、、、
 キョーコさんたら、それはないでしょ。おれにいったい、このおれに、永島さんのなにをお願いされればいいんだか。捨てゼリフなら、もう少し色気でもあれば、おれも喜んで受け取れるんだけど、、、 捨てゼリフじゃないし、、、 ただでさえ欲望を抑えきれないくせに。
 どうも最近、こうやって軽くひっかけられては、何らかの解答を出さなければならない状況が続くけど、、、 厄年か? いや、厄月か、、、 だいたいさ、おれが永島さんの若い頃に似ているってのはいいでしょ。ありがちな例えだ。おれを気にかける理由にもなるし、おれが永島さんに近寄りがたい気持ちも理解してくれてたうえで、同じ姿を見ている気になったのも、それが、どうにもぎこちなくて、見るに耐えなかったんだろうな、なんて、、、 おれもわかったような気になっていた。
 それはいいとしてだ。永島さんがおれのように? おれのように、どうだってんだろうか? おれのアタマではなんとも理解しがたく。普通は逆だろ、、、 言い間違い? 某国営放送のアナウンサーだって言い間違えることはあるしな、、、 聞き間違い? 耳はいいほうだけど、、、 記憶力はそれほどでもない、、、 ほとんどない。
 なんだか、後姿のキョーコさんの足取りは重そうに見えた。さっきの笑顔がよけいにそれを引きたてている。彼氏の働き先に差し入れをして、みんなの喜ぶ姿を見て引きあげるという状況にはそぐわない。好きでやってるなら、意気揚々と足取りも軽く会社に戻ればいいはずなのに、そんな様子は微塵も感じられない。
 彼女が実際そうだったのか、おれが勝手にそう思い込んでいたから、キョーコさんに映し込んでいたのか。そんな自分では答えが出せない疑問が、ひとつひとつカラダにのしかかってくる。それが重さの原因なんだろうか、、、 そんな物質的なハナシではない、、、 それほど彼女の後姿は、おれに多くのものを突き付けてきた、、、 おれとしては突き付ける方がいいんだけどな、、、 妄想が止まらない。
 スタンドに戻ると車内で清掃を続けるオチアイさんは、おれの方をちらりと見て、そしてまた仕事を続けはじめた。こうなることを予感していたような身の動きだ。それを見るとおれが事務所に行かないことを見越して仕組まれたんだろうか。それで救われるのはおれではなくキョーコさんのほうだ、、、 オチアイさんも、いろいろと気をつかって、そんなキャラじゃないから気苦労が絶えないはずだ。
 誰もがなんらかの問題を背負っている。オモテに出そうとも、内にしまっておこうとも同じことだ。おれのこの先は、知らなかったことや、知らなくていいことの中に、こうして飲み込まれて、いずれは知らなかったからなんて、ラクな逃げ場はなくなっていく。
 キョーコさんに言われて、それを知るのが遅かったのか、もしくは知らないほうがよかったのか。彼女は彼女なりに、永島さんのムリを少しでも緩和したかったのかもしれないけど、おれがなにか助けになるなんてのは、それこそムリな話しだ。彼女もまた、自分に与えられた配役を、自分を押し殺してまで必死になって全うしようとしていると、みるしかないんだろうか。
 永島さんといい、オチアイさんといい、キョーコさんもそうだけど、これじゃあ大人になるっていうのは、持たなくてもいい荷物をあえて持つっていうか、なにか重荷をせおっていなきゃ、生きていちゃいけないようなもんじゃないかって、おれはまた、ションベン臭い疑問を持ってしまう。
 この件については次の次の休みの日にでも考えようと、先送りのお題を増やす一方で、何ひとつ解決の糸口さえつかめていない。つまりは棚上げ前提として深入りしないようにして、そのあいだに誰かがなんとかしてくれるって、わが国の政治家のような心境になっていた、、、 おっ、この政治ネタはどうだろうか、、、 ありきたりか。
 そんな自分にあきれつつ事務所に向かって行ったら、突然に永島さんが扉を開けて出て行くのが見えた。えっ、さっそく永島さんと絡むのか? なんて矢継ぎ早な展開なんだ。みんな舞台のそでで待機しているわけじゃないだろうな、、、 主人公だからかな、、、 大体、一人称の小説って、いったい誰に向かって話してるんだろうかって、それを言っちゃおしまいだな。
 コッチに来るのか? これまで逃げの一手だったおれは、後ろめたさからか心臓が、ギュッギュッと収縮した。先送りのしわ寄せは、突然、巨大になって圧し掛かってくる。だからその都度に解決していかなきゃいけないわけで、、、 それができればこうはなってないわけで、、、
 永島さんはずいぶんと急いでいたようで、まわりに意識がいっておらず、おれの存在にも気付いていならしく、そのまま足早にスタンドの裏口へと向かって行ってしまった。
 キョーコさんのことで、何か言われるのか、キョーコさんにお願いされたからって、すぐに答えがでるだなんて思えないし、と構えていたおれが拍子抜けしていると、あとを追うようにマサトが出てきたので、おれは永島さんがどうしたのか聞いてみた。
 そうはいっても、興味あるようには思われないように、あくまでもたまたま見たからってぐらいの感じで。マサトはおれに何か他の話をしようとしていたみたいだけど、おれの質問に答えることを優先してくれた。
「あれ? 言ってなかったっけ?」
 と、思い出すような素振りで口にした。たぶん、話していたと思うよマサト。おれが興味のない話だったから、適当に聞き流していたんだろうな。そうである自信は120パーセントぐらいあったけど、さあ? なんてとぼけてみる。
「そっか。おまえ、まだ知らなかったんだな。先輩さ、スタンドの裏にあるガレージでクルマ、組んでるんだ」
 あっ、そう、クルマ組んでるの。はあ? 組む? 組めないでしょう。自動車工場じゃあるまいし。ひとりでどうやって組み立てるっていうんだ。
「えっ? ああ、ちがうよ。組んでるっていうのは、チューンナップしてるってことで、レース仕様に改造したり、修理したりして組み立ててるんだよ。だから、先輩。早朝とか、昼休みとか、休憩時間も、あと仕事終わってからね。寸暇を惜しんで、クルマの面倒みてるってわけ。徹夜でやってることも多いみたい。だからさ、キョーコさんが着替え運んだり、お弁当とか持ってきたりして、まあそのついでにオレ達に差し入れをね。やさしいよなあ。彼氏想いっていうか。いつかおれもそんな… 」
 マサトの暴走する妄想には興味ないので聞かない、、、 こうして、マサトからの情報が欠落していく、、、 
 なるほど、そういう美談的な側面があったわけだ。おれも、さっきのキョーコさんの話をきいてなければ、彼女の永島さんへの行為を、そうやって感じてたりして、マサトのようにほだされていたにちがいない、、、 なにしろ、話しを聞いてないから。
 おれがあの時に変な気分になったのは、やはり彼女が誰に向かって、何を言いたかったのか良くわかっていなかったためで、いまとなれば、それが痛いほどに絡み付いてくる。
 キョーコさんはおれに若い時の永島さんを見ていた。そして少し疲れた様子で仕事に行かなければならないことを告げた。そんな彼女を置き去りにして永島さんは、何をしようとしているんだ。時間を惜しんで、彼女を働かせてまでしてクルマを組み上げて、そうまでして何を手に入れるつもりなのか。
 若輩者として言わせてもらえるなら、それじゃあ手にするモノより、無くしていくモノの方が多いはずだって、、、 失くしたモノの大切さに気付くのは、ずいぶんあとになってからか、気付かないまま、いつのまにか一人ぼっちになっていることか。