private noble

寝る前にちょっと読みたくなるお話し

昨日、今日、未来4

2023-06-25 16:08:31 | 連続小説

「それじゃあ、わたしも同じなの? おとうさんの言うことに、いちいちイラついてしまうのは、自分が追いつけてなくて、パニくってるだけ、みたいな」
 そこには広い空き地が広がっていた。そんな風景を見るたびに、ここは何が前にあったのだろうかと考え込んでしまう。そんなに昔ではないはずなのに、それなのに何かがあった風景を思い出せない。以前から空き地だったと思えるほど、この場に馴染んでいるし、自分の記憶もそれと同化している。
「あーん? ”パニ”なんて食いモンは、わたしゃ知らんよ」
 カズもその空き地を立ち止まって見ていた。パニックの日本語的進行形はカズには通用しない。
「自分がどれだけできるかは、自分が一番わかっとる。前に進むために、いまより成長するために、これまでしなかったことをやってみる。できなかったことに挑戦してみる。わたしだってそんなことを何かも繰り返してきた。うまくいったこともあるし、そうでなかったこともあった。そうでないことの方が印象に残り、自己否定をしてしまうんだ」
 コピーの枚数を確認するはずなのに、一向に前に進んでいない。忘れてしまったのだろうか。スミレもそんなことはもうどうでも良くなっていた。
 いろんな経験をしていうくちに、自分のできることがわかってきて、ひとの言葉にほだされて、それを突破しようと試みても、やはりできることは変わらないようだ。
 3年の時に、やたら誉める先生がいた。誉められれば誰だって気分がいいから、スミレはできる子だって思えるようになった。思い込むだけでは、できる子にはなれない。一学期末の成績表をみて、さして変化のない数字にガッカリしたことがある。
 どうやら誉める教育をして、どれぐらい成果が現れるか試していたらしく、何人かの親御さんに詰め寄られたらしい。いわく、実験的なことにウチの子をつかわないでと。
 それが原因か、二学期からはさほど誉められなくなった。それでも成績に変化はなかった。先生も殻を破るために何かしたかったのかもしれない。そして、それがうまくいかずにガッカリしただけに終わってしまった。
「ここは、むかしは、センダさんのところの畑だった。土が肥えていて、いい野菜が採れたんだがな。息子夫婦が新居を建てるってんでつぶしてしまった。どうせ継ぐ者もいないから、残しておいてもしかたない。何に価値を見出すか、それはその時、誰に判断を委ねるかによって変わるからな」
 場所の解明はカズが答えを出してくれた。そう言われれば確かに、ここはセンダさんの家があった場所だ。昨日まであったはずなのに更地になっている。引っ越したなんて話しは聞いていない。
「時間の流れが常に同じ方向に進んでいると思うのは大間違いだ。誰かにとっての未来は、誰かにとっての過去になることもある」
 意味がわからない。それにカズの立ち姿が明らかにしっかりとしている。とりあえず前かがみにはなっていない。カズの時間が逆行しているのを目の当たりにしていれば否定もできない。
「時間軸が一定ならば、誰も気づかない。昨日が終わり、今日になり、明日がやってくる。その人にとって、明日は昨日であってもな。それはあくまでも多くのひとが、そうでなければならないと思い込んでいるからだと、考えてみることも大切だ」
 さらに意味がわからない。ゲームの中ならなんら疑問も持たずに受け入れられることも、自分の身に起これば拒否反応しかない。それはこの世の中では、そんなことは起こらず、常に時間は前から後に進むという約束事のうえで成り立っているからだ。
 できるコと誉められただけでは、できるコになれなかったスミレには腑に落ちないだけだ。
「だれだって、そう思うさ。太陽は東から上り、西へ沈んでいく。わたしらは目でそれを見て確認しとるからな。ならば、ひとたび、目を閉じてみろ。スミレ。自分の前には何がある」
 そう言われてスミレは目を閉じた。そこには住みなれた街並みがあるはずだ。とはいえ、詳細に思い出すことはできない。スミレがなんとなく記憶しているのは、所々つぎはぎになった道路や、根元がイヌのし尿で黒ずんだ電信柱。センダさんの隣は木造の平屋建てで、庭に数本の木が植えられているといった大雑把なことだけだ。
 絵にしてみれば埋まる風景は少なく、いったい自分のこの街の風景をどのように見ていたのか不安でしかなくなる。現実にはあるものが自分の記憶にはない。逆に言えば目を向けた先にある物に対して、記憶を呼び起こしているだけで、その時に無いならば、それは自分が知っている世界にはなかったことになる。さきほどのセンダさんの家のように。
「自分がこうだと思っとる世界は、自分の目が見ている時だけのものだ。それは刻々と変化している。それ以外のところだって同じだ。行った場所や、時間によって、空間のひずみや、超越、逆回転が起こることもある。その時の、その場の風景を自分が見ているだけで、これまでがどうかだったなんてなんの確証もないだろ」
 そんなことを言われれば、ますますゲームの世界に身を置いているようで、それが現実に起きている。いや、現実がそうではないと決めているからそうなるだけで、自分が目にしたモノだけが、自分にとっての真実とすればなにもゲームと反転しても何もおかしくはない。
「いつまで、目をつむっとる。もう開けたらどうだ」
 カズにそう促されて目を開けるスミレ。そこは先ほどまでの風景とは一変していた。畑や、田んぼが広がり、広い空き地と、少しの家屋が点在している。いままであったもモノがあらかた無くなっている。
 唖然としているスミレにもうひとつの違和感があった。なんだか、目線が高い。カズの姿勢が良くなっているのでそれに気づかなっかっただけで、どうみても目を閉じた前より身長が伸びている。
 成長を感じられないなんて、さんざん文句つけたから、神様がそれを実感させてくれたのだろうか。こういった場合、なぜか仏様は例えにでてこない。
「どうしちゃったの? これ… えっ」
 振り向いて目にしたカズが、若い。
「こうして、見れば母と娘って感じね」
 カズは背伸びをしながらそう言った。これまで縮こまっていた身体を伸ばすようにして、それがずいぶん気持ちよさそうに見えた。


昨日、今日、未来 3

2023-06-11 09:55:14 | 連続小説

 なにか自分の運動能力が突如開花したのかと、スミレはカラダを見回した。
「どうした?」
 カズがそう訊いてきた。疑問を持ったというよりも、何かを確認するような口ぶりに聞こえた。そう訊かれてもスミレは、自分に起きた変化をうまく説明することができない。自分が訊きたいぐらいだ。
「残念だが、学校とはそういう場所なんだ。どうやらいまだに変わっとらんようだな」
 先ほどまでしていた話に戻ったようだ。カズはこれまで腰のうしろに手を回していたのに、それをやめて少しシャンとなっていた。それでも歩みは鈍い。
「わたしの隣の席のコは、クラスで一番の仲良しだった… 」
 そうカズは続けた。スミレは自分のカラダのムズがゆさが気になって、しきりに腕や足を動かしていた。
「最初は遊び半分で、相手の机に自分の物が少しでも触れれば取り上げられるっていう罰ゲームをはじめた。机はひとりひとつを隣同士くっつけていたから、その重なり部分を境界線にして。ほりゃ、鉛筆とか、消しゴムとか、時にはノートや教科書まで。やりはじめは面白くて、笑いながら授業が終わったら取り上げた物を返していた。それがささいなことでエスカレートしていき、やられたら、やりかえせと必要以上に相手からモノを奪うようになっていったんだ」
 単身赴任をしているスミレの父親は、最初の頃は毎週末に家に帰ってきていた。いつしかそれは月に一回、半年に一回に延びていった。母親も頻繁に帰ってこないほうがいいようで、それについては容認している。
 半年に一回で目にする娘は、その成長を実感するらしく、しばらく見ないうちにずいぶん大きくなったなと必ず言われるようになった。スミレは父親にその言葉を言われるのイヤで、以前は待ち遠しかった父親の帰宅が憂うつになっていった。
 久しぶりに会うことに引け目をおって、わかりやすいところで誉めておけばいいという安直さも厭だった。スミレを味方につけておこうとする裏に母親との関係性も垣間見える。
「わたしが大切にしていたキャラクターの鉛筆が肘に当たって少し転がった。境界線にかかったかどうか微妙なところで止まりそうになった時、彼女はそれを手に取り、自分の使っていた鉛筆を筆箱にしまい、我が物顔でそれを使いはじめた。わたしは抗議したかったけど、先生の目も有り不満を顔に出すしかなかった。授業の前に彼女がその鉛筆をうらやましがっていたのも伏線になっていた」
 スミレは自分が認識できていないことを父親から繰り返し言われることで、そのたびに気持ちが落ち着かくなる。
 半年前から自分がどれだけ成長しているかなんて自分ではわかるはずもない。まわりも一緒に成長しているし、大きくなったと言われても両親にはまだまだとどかない。
 こういうことは、ある日突然、ああ、おかあさんの背まで届いたなと気づくぐらいで、それを半年ごとに特定されても自己認識とかみ合ってこない。それが余計にスミレを不安定にさせる。
「だからわたしもやり返した。そうすると、もう意地の張り合いになっていく。いかにして相手に気づかれないように、相手の持ち物を自分の机に移動させるか。自分がそう考えるんだから、相手もそう考えているはずだと、もう疑り出したらキリが無くなっていた。そうして相手の授業のジャマをしようと考えだした。ノートはなんとかなっても、教科書の場合は先生に当てられようものなら読むこともできず、当てられないように身を潜めて授業を受けなければならない。それでも当てられれれば、忘れましたと言うしかない。だって、隣りのコが教科書を貸してここから読むのよって教えてくれることはないんだから。それどころか、その困っている状況を見てほくそ笑んでいた」
 突然、女のコらしいカラダつきになったと言われたときは、カラダに虫唾が走った。父親ではなくひとりの男性に自分を品定めされているようで、母親にそれとなく相談もした。
 母親には、実感できないことを、さも知ったかのように言われることが癪なだけ、スミレも大きくなって、そういうことが気にかかる年齢になったのだと、さも知ったかのように軽く言われた。
 自分のカラダも、気持ちの変化も自分ではなにもわからない。そうやって人に言われて納得していけということなのだろうか。
「と、同時に相手に蔑んだ目で見られるのが屈辱的だった。こんなくだらないことはもうやめよう、前みたいに仲良しでいようと言えばいいだけのことが言えなかった。これまでとおり授業が終われば相手の机の上に返す無意味なことを繰り返していた」
 父親はスミレの勉強や、運動や、習い事をいちいち見るわけではない。なにを持ってスミレの成長を口にするのか。成長は自分で確かめられる部分と、ひとから言われて初めて実感できる部分がある。そうして父親からの言葉は、スミレを片肺飛行にさせ、くずされたバランスを元に戻すにはエネルギーが必要だった。
「ある朝、隣りのコは、ピタリとくっついていた机を離してきた。わたしもそれを見て、自分の机をもう少し離した。それが戦いの終了であり、ふたりの仲の永遠の終了でもあった。クラスが変わっても、卒業してももう二度と口をきくことも、顔も合わすこともなくなってしまった」
 カズが言いたいことは、学校とはそういう子供じみた争いを後悔して、おとなになっていくという教訓なのだろうか。
 それよりもこのハナシは、先生が、この頃よく口にする、どこか遠い国の戦争に似ていた。知り合いも、親戚も多くいる仲良しの隣国と、土地を奪ったとか、奪われたとか。争いが続くたびに、お互いが憎しみあいが増幅していき、後戻りできなくなっていくところも。
 本当はもっと複雑な理由があるようで、先生はもったいぶるように首をふって、まだキミたちには言ってもわからないからねと教えてもらえなかった。
 その話を聞きたいわけではなっかったし、確かに聞いてもわからなかっただろう。ただ、自分だけが知ったようにふるまう先生の態度がスミレは気に入らなかっただけだ。
「ふざけ合っていただけなのに、いつのまにか一線を越えてしまったのは、学校のなかで自分と、まわりとの変化に追いついていない自分がいたことが問題の本質だった。必要以上の多くの情報、それは、勉強であったり、自我の芽生えであったり、厄介事や、友人関係、先生との付き合い方、それらはいま自分がしなければいけない量を越えていたとしても選別することはできなかった。もう抱かえきれないほど自分にのしかかってきて、自分では冷静に対処しているつもりで、できなくても、できていると思い込まないと、とても息ができなかった」
 世の中はずいぶんと複雑になってきたようで、ひとりの人間がすべてを知ることはかなわなくなり、その一部を担うことで生計が立てられているらしい。
 ごくごく一部のひとが全体を把握していても、それは従順な専門家がまわりにいることで成り立っているだけだと、企画会社で勤めるスミレの父親は母親にそうぼやいていた。だから自分はこれ以上出世できないのだと。

 まわりがあっての自分。それを最初に知らしめられるのは、学校という枠の中であり、猛烈なスピードでそれを吸収することを強要されていることに誰もが戸惑ってしまう。
「集団のなかでは意見を合わせなければはみ出し者となり、みんなその意見に従わなくてはならなくなり、集団に採決を委ねるようになる。それが一番混乱せずに事がスムーズに進むからな。そして多くの人が関われば、誰かひとりでは意見を動かすことができなくなり、全体が有機的で無秩序な状態になってしまう。誰もこの意見に責任を持たなくてすむかわりに、誰も全てを理解できていない意見に縛られることになる。それなのに、どれ程世の中を理解できてなくとも、どれ程人間関係が複雑に成り立っていようとも、すべて理解しているようぬ振る舞って生きている。そうしなければ不安で、いてもたってもいられなくなるのは誰だって同じだ」
 できていない自分を認めるのがイヤで、できているふりをして、アタマの中がオーバーヒートしていったのは、カズもスミレも同じだった。
「戦争も、学校もよくおなじさ。多くの情報が飛び交うなかで、多方面に対処するより、いま目の前の見える敵だけを攻撃するしかできんのだよ。この世の中はもう、ひとりでなにかを解決するにはテキが多すぎるんだよ」
 スミレの母親もPTAの会合から帰ってくると、今日もなにひとつ決まらなかったと、疲れ切ってテーブルに伏せてそう嘆いている。強力な権力者がいるか、同じ方向を向いている共感者が多いコミュニティでなければ、周りのひとたちは敵でしかなくなり、物事はなにひとつ進まなくなるか、悪い方へ進む。
「残念だな。すべてのひとがほかの誰かの幸せを喜べれば、みんなが競ってそうするだろうに。誰かに幸せをもらえた人は、その喜びを別の誰かに知ってもらいたくて、誰かのために親切にする。それがどんどんと広がっていけば、どこにも争いなどおこらんのにな。それなのに、ひとは誰かの幸せを妬むことで活力が生まれる。わたしが言っとるのは、その最初の一歩を変えなければ、なにも変わらんということだ。スミレも、学校に行けばみんなと仲良くしなさい。困っているひとを助けなさい。弱い人には手を貸しなさいと言われていただろう。いや、学校に入る前から、そう親に言われてきたはずだ。それなのに学校ではひとを選別していく。誰が誰より優れているかということをいろいろな順位をつけて決めていく。それで成績がつき、次の進路が決まっていく。通信欄に誰々さんは誰にでも優しくできてクラスの人気者ですなんて書かれても、そんなものはお慰みにしかならん」
 テストや、運動会、発表会があると、なんとなくひとりひとりが線引きされているような気になるのは、そういう理由があったからなのかと、少し悲しい気持ちになったスミレだった。
 それで、運動会では順位をつけないようになり、絵や、工作をつくれば上手だとかヘタではなく、個々の個性を誉めるようになる。いわく、色の使い方がキレイだ、あなたらしい表現だと。
 それは社会に出た時に、再び選別にさらされる延命にしかすぎない。問題の先送りをして、より困難な状況の中に放り込まれたあげく、さらにひどいパニックに陥っても、卒業する場所はもうないのだ。