宇野浩二『思い川・枯れ木のある風景・蔵の中』
松山愼介
宇野浩二の作品を読むのは始めてである。子供の頃、『子を貸し家』という舞台中継をテレビで見た覚えがある。年譜を見たら芥川龍之介にも影響を与えているようだ。昭和十三年には芥川賞選考委員として火野葦平の『糞尿譚』を推している。昭和三十三年には若松に火野葦平を訪ねている。広津和郎の松川事件裁判の支援にも関わっている。
この講談社文芸文庫の作品集の中では『蔵の中』が一番面白かった。近松秋江がモデルというが、質入れした着物の虫干しに、質屋の蔵に通うという発想が面白い。今は質屋という言葉も死語になっているのだろうか。
NHKで再放送している『ゲゲゲの女房』では質屋がよく出てくる。税務署が来たときに質札を見せて追い払ったシーンは面白かった。幸い、私の家では質屋のお世話になったことはない。質屋が預かった着物が悪くならないように虫干しするとは知らなかった。虫干しできるということは、質屋は相当大きな蔵を持っているということだろう。水木しげるの奥さんも嫁入り道具の着物を質屋に入れている。
宇野浩二の代表作といわれている『思い川』には、なかなか入り込めなかった。幸田文の『流れる』は芸者置屋が舞台だった。置屋と待合茶屋と料理屋がセットになっているのだが、三重次は芸鼓であり、茶屋も経営するし、旦那がいることもある。牧も結婚している。この二人のプラトニック的恋愛を書いているのだが、三重次には村上八重というモデルがあるという。
「思い川」はなんとも不思議な小説である、と私は感じる。宇野と村上八重の三十年にわたる恋、しかも多分にプラトニックな要素の強い恋自体も、なかなかに信じがたいようなものだが、例えば作中にしばしば挟まれる三重(八重のこと)からの甘い恋文を見て、異様に思うのは私だけだろうか。(中略)四十代の小説家と 三十歳近い芸者の行為として自然に受け入れられるものなのか。
と、講談社文芸文庫の作家案内で柳沢孝子が書いているが、同感である。
三重次が何故、牧に惚れていくのかが、この作品だけではわからない。当然、肉体関係があったのだろうが、そこはほとんど書かれていない。逆に、このような世間的にはありえないような、作家と芸鼓の関係を書いたことが、この作品を評価する勘所になるのだろうか。そういう意味でこの作品は非常に危うい作品だと思う(他の作品を読んでいないのでなんとも言えないが)。読み方によっては、世間離れした駄作とも読めるし、作家と芸鼓の麗しい恋愛とも読める。
昔の文士の世界は狭かったという。『蔵の中』を読めば、近松秋江だとわかるし、『思い川』を読めば三重次は村上八重とわかるのだろう。当然、創作の部分はあるのだろうが、この作品は文士の世界で現実の宇野浩二、モデルとなった八重も含めての評価だされたのではないだろうか。田山花袋の『蒲団』もそのような世界で書かれたものらしい。この作品を、昔の文士仲間でないものが読めば、つまり、現代的に読めば、この作品には三十年にも及ぶ歳月が流れている。関東大震災から昭和二十一年ごろまで。その間の風俗を細かく描写しているのは価値があるだろう。
そういう意味で「私小説」は「風俗小説」ともいえるのではないだろうか。
この作品で思ったことは人が家庭で死ぬということである。現在では、重い病気になればすぐ入院となり、死は病院で迎えることになる。ここでは、となりで寝ていた人間が気がつけば死んでいたという場面が何回かあった。ある程度の病気では病院にかからない、そのうちにゆっくりと死んでいくという人間本来の姿があったように思う。
2019年12月14日
松山愼介
宇野浩二の作品を読むのは始めてである。子供の頃、『子を貸し家』という舞台中継をテレビで見た覚えがある。年譜を見たら芥川龍之介にも影響を与えているようだ。昭和十三年には芥川賞選考委員として火野葦平の『糞尿譚』を推している。昭和三十三年には若松に火野葦平を訪ねている。広津和郎の松川事件裁判の支援にも関わっている。
この講談社文芸文庫の作品集の中では『蔵の中』が一番面白かった。近松秋江がモデルというが、質入れした着物の虫干しに、質屋の蔵に通うという発想が面白い。今は質屋という言葉も死語になっているのだろうか。
NHKで再放送している『ゲゲゲの女房』では質屋がよく出てくる。税務署が来たときに質札を見せて追い払ったシーンは面白かった。幸い、私の家では質屋のお世話になったことはない。質屋が預かった着物が悪くならないように虫干しするとは知らなかった。虫干しできるということは、質屋は相当大きな蔵を持っているということだろう。水木しげるの奥さんも嫁入り道具の着物を質屋に入れている。
宇野浩二の代表作といわれている『思い川』には、なかなか入り込めなかった。幸田文の『流れる』は芸者置屋が舞台だった。置屋と待合茶屋と料理屋がセットになっているのだが、三重次は芸鼓であり、茶屋も経営するし、旦那がいることもある。牧も結婚している。この二人のプラトニック的恋愛を書いているのだが、三重次には村上八重というモデルがあるという。
「思い川」はなんとも不思議な小説である、と私は感じる。宇野と村上八重の三十年にわたる恋、しかも多分にプラトニックな要素の強い恋自体も、なかなかに信じがたいようなものだが、例えば作中にしばしば挟まれる三重(八重のこと)からの甘い恋文を見て、異様に思うのは私だけだろうか。(中略)四十代の小説家と 三十歳近い芸者の行為として自然に受け入れられるものなのか。
と、講談社文芸文庫の作家案内で柳沢孝子が書いているが、同感である。
三重次が何故、牧に惚れていくのかが、この作品だけではわからない。当然、肉体関係があったのだろうが、そこはほとんど書かれていない。逆に、このような世間的にはありえないような、作家と芸鼓の関係を書いたことが、この作品を評価する勘所になるのだろうか。そういう意味でこの作品は非常に危うい作品だと思う(他の作品を読んでいないのでなんとも言えないが)。読み方によっては、世間離れした駄作とも読めるし、作家と芸鼓の麗しい恋愛とも読める。
昔の文士の世界は狭かったという。『蔵の中』を読めば、近松秋江だとわかるし、『思い川』を読めば三重次は村上八重とわかるのだろう。当然、創作の部分はあるのだろうが、この作品は文士の世界で現実の宇野浩二、モデルとなった八重も含めての評価だされたのではないだろうか。田山花袋の『蒲団』もそのような世界で書かれたものらしい。この作品を、昔の文士仲間でないものが読めば、つまり、現代的に読めば、この作品には三十年にも及ぶ歳月が流れている。関東大震災から昭和二十一年ごろまで。その間の風俗を細かく描写しているのは価値があるだろう。
そういう意味で「私小説」は「風俗小説」ともいえるのではないだろうか。
この作品で思ったことは人が家庭で死ぬということである。現在では、重い病気になればすぐ入院となり、死は病院で迎えることになる。ここでは、となりで寝ていた人間が気がつけば死んでいたという場面が何回かあった。ある程度の病気では病院にかからない、そのうちにゆっくりと死んでいくという人間本来の姿があったように思う。
2019年12月14日