遠くまで・・・    松山愼介のブログ   

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佐藤泰志『海炭市叙景』を読んで

2020-09-21 23:42:09 | 読んだ本
     佐藤泰志『海炭市叙景』            松山愼介
 佐藤泰志という作家は初めてだと思っていたが、調べたら学生時代「北方文芸」に載った『市街戦のジャズメン』を読んだ記憶がないでもない。これは高校生の主人公が十・八羽田闘争に思いを馳せた作品である。佐藤泰志は函館西高の出身で、大学の一年下の友人が彼と同期だった。社研や、市民運動で一緒になったことがあり、高校生の時から早熟の天才の気配があったという。『海炭市叙景』が映画になった時には、友人と共にカンパをしたそうだ。映画のエンドロールには二百名を越える個人名、多くの団体、企業も名を連ねている。北海道大学の名もあった。多くの市民が協力して作られた映画で、函館市文学館に佐藤泰志コーナーがあるとのことである。ちなみに北島三郎も函館西高の出身である。『函館の女』の星野哲郎の原題は『東京の女』だったのだが、三浦洸一に『東京の人』という曲があったので、「東京」を「函館」に変えるように直訴したそうだ。
「海炭市」となると、作者の出身からいって海炭市=函館市と考えてしまう。『まだ若い廃墟』には、「去年の夏、兄の勤めていた小さな炭鉱は閉山した」「元々、海と炭鉱しかない街だ」と、書かれている。ところが、函館の背後には炭鉱はなく、函館は石炭の積出港でもない。上記にあてはまるのは室蘭市のような気がする。映画『海炭市叙景』を見た別の友人は「唯一不満なのは炭鉱の臭いがしないことだ」といっていた。
 小説では兄は炭鉱に勤めていたことになっている。そうすると函館の実情に合わない。映画もそこで、兄の勤め先を「海炭ドック」という造船所にし、造船不況でドックが一つ閉鎖され解雇されるという設定にしている。結局、「海炭市」は函館をモデルにした架空の街ということになる。
『佐藤泰志』(河出ムック)には一九七〇年代くらいにエネルギー革命で石炭から石油に変わって行き、北海道の炭鉱は閉山に追い込まれる。それを佐藤さんは意識していたのではないかと書かれてある。『海炭市叙景』を『函館市叙景』としていたら全く面白くない。北海道の出口(入口?)である函館を一方で「海」に象徴させ、北海道全体の石炭産業のイメージから「炭」をとったのかも知れない。ただ言えることは「海炭市」という言葉はとてもキレイで、深いイメージをかきたてる。
 佐藤泰志の父は八年間中国にいて、抑留され復員してから闇米のかつぎ屋をしていたという。青函連絡船で本州の米を仕入れ、函館で高く売るのだ。一九五四年の「洞爺丸台風の時には、両親は一度は乗船したが、不吉な思いに駆られて下船し命拾いをした。この時には両親の商売仲間も随分死んだ」(『青函連絡船のこと』)。青函連絡船は十回以上乗ったと思う。大阪から特急に乗ると午前0時頃に青森に着き、四時間で函館に着く。湾内を航行中は揺れないが、津軽海峡の真ん中に出ると相当揺れることもあった。港には青函連絡船メモリアルシップが残っているそうだが、もはや過去の産物か。
 福間健二の『佐藤泰志 そこに彼はいた』を、感銘を持って読んだ。福間健二は佐藤泰志の公表された作品だけでなく、同人誌に発表された作品にもひとつひとつあたってコメントを書いている。このような友があり、このような本を書いてくれただけで自死した佐藤泰志も幸せだったと思う。
 佐藤泰志の生涯を見ていくと、やはり芥川賞候補に五回になりながらも受賞できなかったというのは、文学賞というものの悪意を感じる。『そこのみにて光輝く』は衝撃的な作品であるが、これも第二回三島由紀夫賞の候補になりながらも受賞できなかった。江藤淳が推したというが中上健次の強力な反対にあったということだ。『そこのみにて光輝く』には「サムライ」「犬殺し」という言葉もあり、内容的には中上健次の作品に似ているところがある。中上健次が若い才能に恐れをなしたのか。ちなみにこの時、受賞した大岡玲(あきら)は小説家としては鳴かず飛ばずで東京経済大学教授におさまっている。遠く火野葦平の例を持ち出すまでもなく、文学賞は作家の人生を左右するのではないか。もし佐藤泰志が芥川賞を、三島由紀夫賞を受賞していたら自死することはなかったとも考えられる。『まだ若い廃墟』で失業した兄は、妹だけをケーブルカーに押し込んで自分は徒歩で下山する。いくら雪道だといっても、夜が明けているのだから道を間違うはずがない。『海炭市叙景』は後、二章書いて完成するはずだったという。『まだ若い廃墟』を書いた時点で死への欲動に支配されていたのだろうか。
 映画『海炭市叙景』は十八の物語を、うまくまとめてひとつの流れのある作品に仕上げている。映画、小説ともすぐれた作品だったが、ただ作品から伝わってこないというか、体験がないと感じられないのは北海道の寒さと雪である。                 
                              2020年6月13日
 それにしても、この昭和四〇年代は高度成長に向かっていた時代である。だが、貧困は現在と同じように、偏在していた。この兄妹は明日のご飯を食べる、お金を持っていない。それで自分で山を徒歩で下山し行方不明になる。妹を残して自殺するとは考えられない。これがこの作家の弱点かも知れない。主人公を自殺させるのは、小説の結末としては一番安易なものである。それとも佐藤泰志には若い頃から自殺願望があったのだろうか。