遠くまで・・・    松山愼介のブログ   

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ
読書会に参加しているので、読んだ本の事を書いていきたいと思います。

車谷長吉『颱風』を読んで

2024-02-29 10:45:38 | 読んだ本
       車谷長吉『飆風』            松山愼介
 車谷長吉は、写真で見る容貌や文章から、一癖も二癖もある人物だと思っていたが、これほどだとは思わなかった。また、講演『私の小説論』を読むと、実によく勉強している。全部、読んだ作家の全集として漱石、鷗外、荷風をはじめ二十人の作家の名前をあげている。中でもカフカをドイツ語で読んだというのには感心した。
 この本は作品集だが、読み方がわからなかった『飆風』が一番のできであった。『密告』は文章が乱れている感じがした。この『飆風』と、高橋順子の『夫・車谷長吉』をあわせて読むと内容がよく理解できる。順子さんは色川武大の『狂人日記』も読んでいる。私は精神病というのがわからない。幻視、幻聴の体験もない。ただ、潔癖症(ここでは強迫神経症?)というのは聞いたことがあるが、それでも一日に多くて手を数十回洗うという症状で、精神科で「今日は五回で済みました」と話しているテレビ番組を見たことがある。『飆風』の主人公のように、石鹸が三個も一日になくなるほど、五百回も洗うというのは理解できない。また穢れを祓うために、家中を清めまくるというのも凄い。こういう生活に、よく順子さんが耐えたと思う。多分、順子さんが車谷長吉の元を去るということは、即、彼の死を意味していたのであろう。
 鬱病や、最近、よく話題になっている発達障害というのも実感としてわからない。また、精神障害による殺人事件(刑法い三十九条)なども理解できない。友人の弁護士に聞くと、裁判での精神鑑定というのは、精神科医によって違い、同じ診断が出ることは少ないという。『飆風』では、車谷程の症状になると治癒は望めず、逆に治療にあたる精神科医が精神障害になることもあるという。ただ、これらは高度資本主義が病根になっているのであろう。今後も、小説にとって精神病は大きなテーマになっていくような気がする。
「私の小説論』は上智大学での講演であるが、この時は『飆風』を書いている時と同じ時期だが調子が良かったのだろう。人間は死ぬべきことを定められているので、それが「淋しさ」から「悲しみ」になるというのは卓見である。漱石もよく読んでいると思う。
車谷長吉の作品は、派手さはないが、人の胸をうつものがある。小説はあまり売れたかどうかわからないが、三島由紀夫賞、平林たい子賞、直木賞と、受賞歴はすごいものがある。小説に命を賭けていたようなところがある。一方で、お金や出世を望まないというような偏固な性格もあるようだ。
 高橋順子によると、朝からビールを飲んでいたというから、アルコール中毒だったのであろう。脳梗塞もあったという。最後はイカの足を喉につまらせての窒息死という、車谷長吉らしい(?)最後だったのか。
 この作品集、特に『飆風』を読んでいると、本当の小説家というのは、大変なものだと感じた。最終的にはフィクションと現実の境目が不分明になり、精神を病むのだろうか。
 普通、小説を書く人は自分の体験を書くことから始まり、フィクションへと進んで行くのだろうが、その道も簡単なことではないと思った。作中に根津権現が出てくるが、ここは小説家にとって鬼門なのだろうか。藤澤清造、西村賢太も若くしてなくなっている。
 高橋和巳の奥さん・高橋たか子は夫に対して冷たいような気がしたが、順子さんは車谷長吉によく尽くした人のようだ。彼を詩の題材にしながらも。
                       2023年2月11日

最新の画像もっと見る

コメントを投稿