遠くまで・・・    松山愼介のブログ   

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読書会に参加しているので、読んだ本の事を書いていきたいと思います。

   石川淳『白頭吟』を読んで

2024-02-29 11:17:54 | 読んだ本
      石川淳『白頭吟』              松山愼介
 話の中心は、尾花晋一と平板志摩子の恋愛関係だが、これに笙子が絡んでくる。笙子は口先だけの自由恋愛主義者で、結婚しても恋愛は自由だという考えを持っている。この尾花晋一はかなりいい加減な男である。とにかくモテる。女性に不自由しない。父親の七歳上の後妻とも関係をもって平然としている。モテる面だけなら、村上春樹の小説の主人公の男性のようである。尾花晋一の父親は金持ちで、自費で洋行できる身分である。
 夏目漱石や森鴎外は官費留学生なので、現地でそれなりの苦悩があった。最近、NHKのテレビで知ったのだが、当時のロンドンは石炭の全盛時代で昼でも暗く、スモッグに覆われていたという。少し外に出て街を歩けば、真っ黒なタンが出たという。
 森鴎外も『舞姫』にあるように官費留学生の故に、エリスを捨てて帰国せざるを得なかった。森鴎外に救いがあったとすれば、医学の勉強だったので先生がいて仲間がいたことだ。漱石は孤独の内に文学の研究を続けなければならなかった。この小説の二人はロンドンへ行こうとしているのだが、この大正の末期にはロンドンのスモッグも改善されていたであろうか。横光利一は「旅愁」を書くにあたっての洋行は、毎日新聞社からのベルリンオリンピックを観戦して記事にすることであった。
 時代は上野の平和記念博覧会へ行くシーンがあるので、大正11(1922)年ごろで、次の年には関東大震災があり、大杉栄、伊藤野枝が、甘粕の手によって殺される。この頃の、アナーキズムにとって大杉栄の存在は大きかったのだろう。死後、東大新人会の一翼を担った林房雄、中野重治らの「社会文芸研究会」によるマルクス派によって、アナーキズムは駆逐される。
 平板登は、アナーキストだが、テロリストのようでもある。このころ、左翼的人物は劇団に集まっていたようである。なんとなく不気味な人物だが、晋一の父親の伝手で長崎から海外に脱出する。我々の学生時代にも一時、アナーキズムが流行った。マルクス主義党派の限界を感じ、ノンセクトとなった学生はアナーキストの色とされる黒色のヘルメットを被った。だが、アナーキズムについて何も知らないままの黒ヘルだった。中央公論社の『世界の名著』はプルードン、バクーニン、クロポトキンで構成されている。だが、この三人は一括りにできない。クロポトキンは相互扶助組織や、組合を作ろうとした穏健派で、バクーニンは、第一インターでマルクスと対立する人物で、マルクスより過激で、中央集権的組織を作ろうとしたアナーキストだったとされている。
 バクーニンの本が平板らの経典のようでもある。晋一もバクーニンの翻訳を手伝わせられかける。梢三太郎が、一応バクーニンの翻訳を仕上げるのだが、十三カ国語を操るというこの人物もいい加減である。梢や晋一は高等遊民である。晋一が、何もセリフがない役で舞台に出るというのが、それを象徴している。『白頭吟』は石川淳の自伝的小説とされているが、途中、炭鉱夫がダイナマイトを多量に隠匿して、なにか騒ぎが起こりそうな予感をさせるが不発に終わる。印刷屋のブラ半とか、魅力的な人物が登場するのだが、どの人物も中途半端に終わる。
 最近、フィクションでいいから、胸がワクワクする小説を読みたいと思うようになってきた。年齢的なものだろうか。          
               2023年12月9日

室生犀星『蜜のあわれ・われはうたえどもやぶれかぶれ』を読んで

2024-02-29 11:15:53 | 読んだ本
室生犀星『蜜のあわれ・われはうたえどもやぶれかぶれ』   
                                                 松山愼介

 会話だけで物語を展開していることに、まず驚いた。作者も自信がなかったが、書いていく内に先が見通せるようになったらしい。(赤井赤子 上山)
『蜜のあわれ』については『火の魚』に次のように書かれている。

 実はその小説は一尾の金魚に託して私の昔知った女の人を描こうとしたもので、たわいない小説であるが、そのたわいなさが書いたあとまで私に宿って、困っているとでも言える小説なのです。

『後記 炎の金魚』にはこうある。

 作家の慾はふかく実力はあさい。……作家というものの五体のところどころには不死身の箇所があって、いくら年月が経っても死なない部分だけが、色を変えずにつやつやと生きている。

 作家が老境に差しかかっている。その家の庭には小さな池があり、そこには何匹かの金魚やメダカがいるという風景を想像してしまう。そこから作家の想像力が膨らんでいく。
 星野晃一『室生犀星』 によれば、金魚のモデルとなったのは、大丸デパートの時計売り場の店員、小山万里江さんということである。彼女は昭和三十五年十月頃から住み込みの秘書のような存在となった。妻・とみ子さんの死は昭和三十四年十月である。
 この作品を読んで、川端康成の『眠れる美女』を思い出した。老境に差しかかった男性の性の問題をエロス的に取り上げている。それに比べれば、『蜜のあわれ』はメルヘン的といえる。しかし、その中にも作家の業のようなものは感じられる。
『われはうたえどもやぶれかぶれ』は、室生犀星の最後の病院での話が主になっている。メインは尿閉による、尿道へのカテーテル挿入である。尿閉はつらいらしい。同時に、この作品には、コバルト照射というガン治療の様子が書かれている。しかし、どこのガンかは書かれていない。この作品を読んだ中野重治は、室生犀星が自分のガンのことを知っていたのかどうかを問題視している。この頃はまだガン告知は一般的ではなかった。星野晃一は、犀星はガンのことを気づいていながら、知らないふりをしていたのではないかと書いている。
 
 話は変わるが「対手」という言葉が出てくる。これは日中戦争の時に、当時の首相・近衛文麿が「蒋介石を対手にせず」といって話題になった。「対手」はあいてと読まれていたが、それは本当だろうかと疑問に思っていたが、この作品で犀星は普通に「対手」をあいてとして使っている。この世代にとって通常の用法だとわかったのが思わぬ収穫であった。
                     2023年11月11日

   大西巨人『迷宮』を読んで

2024-02-29 11:09:35 | 読んだ本
    大西巨人『迷宮』         松山愼介
 大西巨人の『神聖喜劇』は読んだことがある。これは、大日本帝国の軍隊を、主人公の透徹な記憶力をもって揶揄するもので、長編ながら面白かった。だが、今回の『迷宮』は読みにくかった。文体が硬い、登場人物、特に主登場人物の皆木旅人が秋野香見(よしあき)と、もう一つのペンネームを持っているのでわかりにくい。さらに妻・路江とその縁戚、友人関係が複雑であり、語り手というべき春田大三も友人が多い。登場人物を整理するだけでも時間がかかった。
 物語は皆木旅人の死の原因をめぐって推理小説的に展開する。自殺か他殺かである。一応、最後まで読んでみると、死因は妻・路江による嘱託殺人であったことがわかる。推理小説を読む時の禁じ手であるが、犯人がわかってから、もう一度読み直すと割と理解できた。青酸カリは三木鍍金から手に入れている。金属メッキには、その溶液に青酸カリが必要とされる。
 尊厳死を望んでも、本人の死期が近づいたとき、認知症になっていれば本人の意志を表明できない。そのために、信頼できる人物に後を託す必要があるというのが結論であろうか。

 このように物語を展開しながら、戦後から一九六〇年にかけての政治、文学運動批判を挿入し、著者の短歌にたいする造詣も披瀝している。小説でありながら評論的要素もある作品である。
「死にはぐれ派文学」は第一次戦後派作家のことだろう。日本人民党は日本共産党であり、「当代文学」は「新日本文学」のことであろう。一九六〇年安保闘争後、安部公房らを含む新日本文学グループは共産党の安保闘争を批判し一九六一年に集団で離党している。確か、谷川雁も同じ頃離党している。このとき、共産党中央委員であった中野重治が、党を批判すると新日本文学グループに約束しながら、宮本顕治に遠慮して曖昧な態度をとったという話もあった。
 皆木旅人は、この頃に文筆活動と絶縁し鏡山市の私立舞鶴女子高校で英語教師を務める。これは、文芸ジャーナリズム批判ではなく、革新運動の現実に愛想もこそも尽き果てたからとされている。
「俗情」という言葉がよく出てくるが、これは野間宏の『真空地帯』を批判した、『俗情との結託』を意識しているのであろう。脳漫(つやひろ)という人物は野間宏のことであろうか。
 わかりにくいのは、全学合の初代委員長とされる鶴島直義(なおのり)の〈知行鍛錬運動〉である。この言葉は右翼的運動を連想させるが、実態については、あまり詳しく書かれていない。一九六〇年の安保闘争の教訓として、知識だけでなく、肉体の鍛錬も必要だと考えたのだろうか。
 小説ではあるが、「革命標榜的政治運動」を否定したり、戦争中の皇国文学が、戦後の社会主義リアリズム文学と根は同じだという批判を混じえている。
 短歌(俳句?)でも「行く年や遠きゆかりの墓を訪ふ」を問題にしているのは面白い。案外、「遠きゆかり」とは自身のことかも知れない。私もそろそろ死や墓について考える年齢になっている。たまに墓石屋さんからセールスの電話がかかることもある。
 私の家は早くに次兄がなくなったので、豊中市にお墓がある。お墓は長子相続ということなので、現在は長男の死にともない、長男の息子名義になっている。この息子に子供がいないので、ある程度、年がいけば墓仕舞いをするとのことである。そう考えれば、私が自分の墓を建てても遠からず無縁になりそうである。合葬墓というものもあるらしい。最後はそのようなことを考えさせられた。               2023年10月14日

  大原富枝『於雪』を読んで

2024-02-29 11:07:12 | 読んだ本
大原富枝『於雪』             松山愼介
 
 海外からの宣教師が世界にキリスト教を布教しようとして、さまざまな地域に命がけで出かけていった。純粋に布教目的の者もいただろうが、ポルトガルから種子島に鉄砲が伝わったように、彼らは単純に布教に来た宣教師ではなかった。「帝国主義(重商主義)」の尖兵としてやってきて、その背後の国は通商から初めて、最終的にはその国を支配することが目的であった。また、イエズス会とフランシスコ会の対立もあったという。
 高知県で生まれた大原富枝が、中村を舞台にして、あまり知られていなかったであろう土佐一条家の歴史を、兼定と、彼に仕えた於雪を主人公としてこの作品を書いたことは素直に評価できる。大原富枝は死後、正五位に叙せられている。
 一条家が京都からやってきて、土佐の中村地方の荘園を支配し、戦国大名とも互角に戦争をしているとは知らなかった。於雪は一條兼定に十七歳から九年間仕えることになる。兼定は長宗我部氏に敗北し、一旦は豊後に敗走するが、キリシタンとなって再度抵抗する。しかし、側近の裏切りにあって、顔だけでなく体中を切られる。奇蹟的に助かるが顔は正視できないほど傷つき、歩くのにも不重な身体になってしまう。伴天連のヴァリニヤーノに出会った時は六十歳の老人に見えたが、三十八才であった。その後、御所は戸島に逼塞させられ、薨る。
 於雪は、この間、御所が不自由な手で抜書きしてくれたキリシタンの教えを読み、機を織る暮らしを続けながら強い女性に変わっていく。天草びととの文通を楽しみにしていて、その使いを権之助(かつての許婚者?)が演じている。権之助は、於雪が御所に殉ずるのを心配して、天草どのに、御所の死を知らせないように懇望する。
「お前さまと天草びとをあざむいておったのは、かえってわが身であろうもの……」という自分の心情を吐露しているように、於雪にはすでに御所に殉ずる気持ちはなくなっていた。むしろ、男性による、仏教、キリシタンの教えに疑問を持つようになっていく。「女身は往生のとき、仏の功力によって転じて男子と成るを得る。それより他に成仏の方法はないのだ」という香山寺の和尚の「女人引導」に疑問を感じている。
 於雪はおそらく、マリアの処女懐胎も信じていない。それは女性や性交渉を不浄のものとする男性の論理である。「なぜゼゼズスは未通女のマリアから生まれなければならなかったのか。仏はなぜ、女身を男子に転生することによってしか、女人救済をなし得ないのか。なぜなのか。/雪は激しくそれを問いながら、それに答え得るものが女身である自身より他にあり得ないことを知っていた。それに答えをあたえてくれるのは、わが身のこの色身一つであった」。
於雪は「されどいつの世にか、女人とて女身のままに救われる世もやこん」と思うのであった。この故、マリアに対する信仰は強く持っている。
最後の雪の書き置きは御所の死を知ってからの心情が綴られている。雪は御所に殉ずる気持ちはなく、死ぬとしても百姓の女として死ぬつもりであった。「いまははらいそにて御所にまみえまいらせんとものぞみ申さず候」と書いている。

 余談だが、日本人は戦国時代、戊辰戦争の内戦を通じて、実に多くの人間が殺し合っている。それだけなら世界によくある話かも知れないが、日本人の特徴は自らの主人に殉じて死ぬことだろうか。長宗我部氏が四国を統一するにあたっても実に多くの人間が死んでいる。城とともに死ぬことは当たり前だったようである。この長宗我部氏も土佐一国におしこめられ、家康の時代には山之内氏の支配下に入り、下士として生きざるを得なく成る。
 戊辰戦争でも多くの死者がでたが、徳川慶喜が勝海舟の交渉術によって、江戸城を明け渡したために、官軍の標的は会津藩になった。会津では四、五カ月の間、会津兵の死骸を片づけることが許されなかったという。会津の家老の家では、一家全員を自ら殺している。
八月は恒例になっているように、NHKで多くの戦争に関する番組が放映されたが、日本が対米戦において、南方の島々で玉砕したのも、軍国主義の思想が第一要因だろうが、この戦国時代の伝統もあったかも知れない。
                       2023年9月9日

西村賢太『苦役列車』を読んで

2024-02-29 11:01:23 | 読んだ本
   西村賢太『苦役列車』         松山愼介
 西村賢太と藤澤淸造は切っても切っても切り離せない。NHKETV特集『魂を継ぐもの~破滅の無頼派』で初めて、藤澤淸造の墓の横に「西村賢太墓 藤澤淸造自筆◯◯」を見ることができた。藤澤淸造の墓は予想に反して旧漢字ではなく、新漢字で書かれていた。藤澤淸造の墓石をむりやり横に移動させて、西村賢太の墓石を建てていたようだ。
 それにしても、藤澤淸造の「歿後弟子」を名乗り、毎月、東京から石川県七尾に墓参りに行ったり、そのために七尾にアパートまで一時、借りたりしていた。これは誰にでも出来ることではない。最初は田中英光を読んでいたが、遺族との関係が悪化し、出入り禁止となっていた時に、藤澤淸造と運命の出会いをする。以後は、神田神保町の古書店主と懇意になり、古書市に出された藤澤淸造関連のもの、すべてを塊集することになる。藤澤淸造の自筆の三枚の葉書(?)を、五十五万円を投じて落札している。この古書店主には相当借金をしていたようである。
 西村賢太の作品には「どうで」とか「結句」、「慊ない」という言葉が頻発する。「どうで」は「どうせ」、「結句」は「結局」の意味だが、おそらく藤澤淸造の作品や大正期の作家の作品からきているのだろう。これらの作家を読みこむことによって、このような語句を使い、それが西村賢太の作品に独特の効果を与えている。「曩時」は「その時」、「年百年中」は「年がら年中」であるが、このような語句の使い方も面白い。「ぐりはま」という言葉もあって、これは「はまぐり」という言葉を逆転させて、物事がうまくいかないことをいう。
 藤澤淸造に関する、評伝みたいなものを書き始めていたら、それが小説みたいなものになったので『墓前生活』と題して、同人誌に投稿したのが、作家としての出発点である。この同人誌に発表した三作目が同人誌優秀作として「文學界」に転載された。
『雨滴は続く』(2022)は絶筆となった作品だが、これらの経緯が詳しく書かれている。「文學界」に転載されたことによって、他の文芸誌からも声がかかり、順調に作家としての生活を歩み始める。『どうで死ぬ身の一踊り』(2006)から約五年、『苦役列車』で芥川賞を受賞する。『雨滴は続く』によると、編集者から藤澤淸造にこだわらない作品というアドバイスを受けたこともあったらしいので、『苦役列車』はできるだけ藤澤淸造にこだわらないようにして、中卒以後の日雇い労働者の生活を書いたものだろう。この単行本がNHKの番組によると十九万部売れたという。この後、テレビのバラエティ番組にも出演していたが、好感はもてなかった。
 この絶頂期には、年収が軽く一千万円を越えていたという。藤澤淸造の『根津権現裏』、『藤澤淸造短編集』を新潮文庫から出版したのは評価できるが、もう少し頑張れば藤澤淸造全集の刊行も夢ではなかった。西村賢太が亡くなった時、ネット上に、彼が集めた藤澤淸造関連の資料はどうなるかと話題になったが、すべて石川近代文学館に収められたとのことである。
『苦役列車』他の作品も読んでみたが、面白くてどんどん読めるのだが、テーマに繰り返しが多く、作家としての次なる展開はあまり期待できないように思った。つまり西村賢太のように私小説を標榜する作家は自身の貧困や惨めな生活がテーマになるものだから、それが解消されてしまえば、私小説作家にとって次の切実なテーマはなくなってしまう。
 NHKの番組でも取り上げられいたが西村賢太は女性には受けないようである。これだけ赤裸々に男の性欲や風俗通い、女性との性について書かれたら、男としては困ってしまう。もし娘がいたら西村賢太は読まさないだろう。           
2023年7月8日




二〇一一年の芥川賞受賞作『苦役列車』を読んでみたが、他の作品より、いいとは思わなかった。それは最後になるまで「藤澤淸造」の名が出てこなかったからであろう。この会で藤澤淸造の『根津権現裏』を読んだのは記憶にあるが、西村賢太の作品を取り上げたどうかは定かではない。ただ、その時かどうかわからないが、西村賢太の作品はそこそこ読んでいた。今回、絶筆となった『雨滴は続く』(二〇二二年五月)とその他の作品も読んでみた。
(NHKの朝ドラ『らんまん』で、槙野万太郎(牧野富太郎)の下宿も文京区根津である)
「文學界」に同人誌推薦作が載り、次の作品の打ち合わせで、編集者は藤澤淸造にこだわらなくてもいいのではないかと言ったという。『苦役列車』もそのようなアドバイスから書かれたような気がする。

半分狂気の沙汰である。そういう狂気を秘めているから作家となることができたのであろう。