遠くまで・・・    松山愼介のブログ   

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NHKEテレ『サリドマイド事件・50年』を見ての感想

2015-04-02 10:25:54 | エッセイ
 サリドマイド事件は、わたしのにとって忘れられた事件であった。被害者が青春時代の物語が映画になったのは知っていたが。
 このドキュメントを見て、サリドマイドの被害者たちが、五十年後の今日も懸命に生きていることを知らされた。両腕、両足に障害があったため、それを補完して日常生活を送らねばならない。そのため五十年後の今日、背中や首などにいろんな障害が現れているという。ある女性は乳がんの摘出手術をしたそうだが、血管が普通の人の半分の太さしかなかったそうだ。このような、身体の内部の障害は今までわからなかったらしい。
 事件は訴訟になり約四千万円支払うことで事件後十年目に国、製薬会社と和解した。これを積立年金にして、毎年お金を受け取っている人もいるが、ある家族はの父親は、それを元手に商売を始めたが失敗し、両親は離婚してしまったという。
 ある男性は乳児院の前に捨てられた。現在では腎臓障害で人工透析を行っている。腕がないので、太腿の血管を使うのだが、その血管も弱くなっていて、人口血管にしているという。この人工血管置換術も大手術だそうだ。彼が筋ジストロフィーの患者を見て、自分より大変な人がいるということで、自分を励ましているのには心を打たれた。彼は決して和解すべきではなかったという。患者側には必要なお金が入るのだが、その半面、加害者の国と製薬会社を許してしまうのだから。こうした和解制度があるために、その後も薬害が続いたというのは的確な指摘であった。
 サリドマイドは西ドイツで開発された。やがて薬害が明らかになり販売が中止された。ところが、日本が中止に踏みきったのはその十カ月後であった。このような日本の厚労省の行政の遅れは薬害エイズでも同じである。西ドイツと、ほぼ同時期に販売中止をしていたら被害者はかなり減っていただろう。日本人の認定被害者は三百九名、西ドイツでは三千人以上にのぼるという。
 ある被害者は、親が子の姿を恥じて、子供を外に出さなかったという。御用聞きがくると、あわてて被害者の前に立ちはだかって、姿を見せないようにしたという。
 最後に、サリドマイド被害者の母から生まれた子供が薬学部に入り、薬剤師を目指しているということが紹介された。この学生は薬の、効果と薬害を研究したいという。二人はサリドマイドについて、これまで親子で対話してこなかった。無意識に避けていたのだろう。しんみりした対話で親子の愛情が感じられた。
 最近、スーパーである母と子の姿を見た。五、六歳の子供が、かくれんぼ遊びのつもりで姿を隠したのだ。しばらくして、お母さんが見つけたのだが泣いていた。本当に誘拐でもされたのではないかと、母親は必死に探していたのだった。スーパーの片隅で母親はキョトンとする子供を泣きながら抱きしめていた。このように母子の愛情は、父親にはわからないところがある。
 サリドマイド事件の被害者は五十歳を越えた。これ以後も彼らは懸命に生きていくだろう。その生き方とともに、親子の愛情についても考えさせられた番組であった。
                              2015年4月2日
 

長谷川四郎『シベリヤ物語』(講談社文芸文庫)(「文学表現と思想の会でのリポート)

2015-04-02 10:21:32 | 読んだ本
       長谷川四郎『シベリヤ物語』            松山愼介
 学生時代からソ連のスターリン主義を如何に克服すべきかを考えていたので、シベリヤ抑留については興味があった。ちょうど大学に入学した一九六七年に内村剛介の『生き急ぐ―スターリン獄の日本人』が出版された。ソルジェニーツィンの『イワン・デニソービッチの一日』は一九六〇年代半ばに出版されており、一九七〇年代半ばには『収容所群島』が話題になった。他にも香月泰男の絵や石原吉郎の詩があり、ちょっと変わったところでは胡桃沢耕史の『黒パン俘虜記』があった。たが長谷川四郎については『シベリヤ物語』が手に入りにくかったのか、そう話題にはならなかった。
 この会にいた、山本さんにも抑留生活の話を聞いたし、作品も読んだ。また知り合いの父親が数年前に亡くなったが、彼もシベリヤ抑留者だった。陸軍幼年学校出身でパイロットを目指したが日本国内の制空権は失われていたので、訓練を受けるため満州に渡ったのだが、そこで敗戦をむかえシベリヤへ抑留された。最も輝くべき青春の数年間をシベリヤで過ごすことになった彼は、シベリヤを思い出すので雪が怖かったらしい。
 シベリヤ抑留といえば山崎豊子の『不毛地帯』(一九七六年)とその映画(監督山本薩夫、主演仲代達矢)があまりにも有名である。二〇〇九年には唐沢寿明主演でドラマ化され、エンディング曲のトム・ウェイツの「トム・トラバーツ・ブルース」が話題になった。極寒のシベリヤでまともな食事も与えられず重労働させられ、日本人抑留者がバタバタと死んでいったという『不毛地帯』のイメージに比べると、この長谷川四郎の『シベリヤ物語』は過酷ではあるが、息を抜けるところがある。これは長谷川四郎が意識して、苦痛な場面を書かないように心がけたのであろう。『掃除人』では作業中、ソ連兵に監視されることなく、民間人の家に入って暖をとったりしている。凍ったゴミ穴を突き崩して、中身を掘り出すのだが、それを二輪車で集めに来るヴィクトルはハホール(ウクライナ人)であった。ドイツのソ連侵攻は石油とウクライナの穀倉地帯が目的だったといわれているが、彼はドイツに占領された時はドイツにこき使われ、ドイツの敗北後はナチ協力者としてシベリヤ送りになったのであろう。ある民間人の家には老婆がいて、彼女の娘は配給切符の不正(?)から二年間の監獄送りとなっているという。
 私は『不毛地帯』のイメージが強力だったので、この『シベリヤ物語』の話はひょっとすると、ソ連兵の監視のもとでの護送途中、町並みやそこに行き交う人々を見ての空想かもしれないと思った。だが、自らの父もシベリヤ帰りであった天沢退二郎の解説(講談社文芸文庫)によれば「当時のソ連は日本人捕虜の大群を多種多様な仕事のための格安な労働力として、きわめて有効に利用した」ことが、ペレストロイカの結果、ソ連側の資料で明らかになっているらしい。それでも不信で小川護『私のシベリヤ物語』(光人社NF文庫)を読むと、場所や条件によって、楽な(?)作業現場もあったらしい。現場監督の性格もあるし、作業に慣れてくれば、午前午後各二時間くらいで百パーセントのノルマを達成できる現場もあったらしい。食料も運良く炊事班に配属されれば、いいものを食べることは出来なくても、餓えることはなかったという。またこの小川護の場合は若いソ連の女性の囚人とペアになっての作業もあり、性行為を迫られたという。彼は軍医から女性の囚人はひどい性病を持っていると脅かされていたので、行為に及ぶことはなく、食料が十分でないので、肉体的にその状態にならないと嘘をついて何回も黒パンを持ってこさせただけで、最終的には逃げ出している。
 映画のカメラマンでもある長谷川四郎の長男、長谷川元吉の『父・長谷川四郎の謎』(二〇〇二年 草思社)は父・長谷川四郎はソ連と日本のダブルスパイであったかも知れないというトンデモ本だが、長谷川四郎は「その時のぼくは、シベリアに持っていかれたかったほうなんだ。革命のロシアをちょっと見たい気もしたし、社会主義体制がどんなものか知りたかった。そう、みんなは日本へ帰りたいと思っているんだ。でも全部が全部そうじゃない。シベリアへ行く、それならそうでいいよ。そういうところもあった」と『自由人漂流記』に書いているという。
 五味川純平の『人間の条件』でも主人公の梶は、共産党にシンパシーを持っている。そのためソ連の赤軍というのは革命の規律による、立派な軍隊だと幻想を抱いている。ところが、実際のソビエト兵は満州でレイプ、略奪の限りを尽くした。囚人部隊が居たからという説もあるが、戦争とはこんなものだろう。長谷川四郎もなんらかの意味で共産党に幻想をもっていたため、甘んじてシベリヤ送りを受け入れた。また。この本では「関東軍がシベリアを占領したとき、その占領地のどこかの司政官を約束されていた」のではないかとも推理している。その贖罪感のあったのかもしれない。ともあれ長谷川四郎にこのような独自のシベリヤへの想いがあったからこそ『シベリヤ物語』は被害者の視点で抑留生活をえがくのではなく、シベリヤに住んでいる人の視点をも持った作品となったのではないだろうか。ただ自分のソ連に対する幻想が、シベリヤでの過酷な強制労働によって、どのように変化していったかは記されていない。
 なお『勲章』に出てくる共産党幹部タカクラテルは男性である。ロシアも正しくは「ロシヤ」である。「Я」という文字が使われる。
                                2015年3月14日